伊賀土鈴(方隆窯)の篠田正隆さん

 今年の10月2日に九州の方から篠田正隆さんが亡くなられたらしいという話を聞きました。「エッ!」と思い、日本招猫倶楽部の中部支部に確認のメールを入れました。するとそれは事実であり、9月22日に亡くなられたという確認がとれました。
 今年の招き猫まつりでは瀬戸会場でも伊勢会場でも見かけず、100人展にも作品が出品されいないので心配していました。私は瀬戸で楽市会場を手伝っていたので知らなかったのですが、アートビレッジでは色紙にお見舞いの寄せ書きを書いていたそうです。伊賀土鈴の作者として、招き猫界では中部地方の重鎮として活躍されていただけに残念です。招き猫まつりの初期には日本招猫倶楽部中部支部世話役として尽力を尽くされ、自らも奥様と一緒に窯を開き創作土鈴「伊賀土鈴」を制作していました。招き猫仲間ではギョロ目の招き猫土鈴がお馴染みです。

 一昨年の招き猫まつりでは体調が悪く「来年は来られないかもしれない」と弱気なことを言っていたのですが、翌年はすっかり回復し、瀬戸会場では楽市に出展して元気な姿を見せていました。しかし、今年の招き猫まつりでは瀬戸会場、伊勢会場どちらでも姿を見かけず心配していた矢先でした。

 私が最初にお会いしたのは1996年の第2回招き猫まつりin伊勢でした。そのときはお休み処で招き猫の数当てクイズの会場をご夫婦で担当されていました。私がお会いした時はすでに定年退職後で、しかも顔を合わせるのは招き猫関係の催し会場でしたので、常に奥様と連れ添ってお二人で姿を見せていました。奥様も手仕事が好きでお二人で土をひねっていたようです。私は年に1回か2回、伊勢や瀬戸の招き猫まつりでお会いするくらいでした。それ以外の場所では京都・法林寺の招き猫供養と偶然藤枝博物館の企画展でお会いしたくらいです。しかし、いつも会場では先に私を見つけられ、お二人でニコニコと声をかけて頂きました。

 1999年招き猫まつりin瀬戸の70人展に置いてあったご夫妻のプロフィール(おそらくご自分で書かれた)をそのままスキャンして使わせて頂くと下のようになります。

 郷土玩具制作者とも作家とも違う位置に自分を置かれ、作品の制作や人との交流を楽しんでいたようです。

 ふだん顔を合わせ、身近にいることが当たり前だった篠田さんだけにこのような場所で作品を紹介しようと思っても自分ではほとんど持っていないことに気が付きました。唯一持っているのは昨年の招き猫まつりで購入した「宝づくり」だけです。逆に言えばそれだけ私にとっていつでも作品を購入できる身近な制作者だったともいえます。

  
平成17年の招き猫まつり瀬戸会場で奥様と
   
  宝づくし    宝づくしの招き猫
    
平成16年の来る福招き猫まつりin瀬戸の楽市で展示販売された作品

 これまでに撮影した写真から篠田さんを探してみると、これも作品同様に意外に少ないのです。一番古いものは1999年の『来る福招猫まつり』の伊勢会場での懇親会の記念写真です。これは篠田さんから何かの催しでお会いしたときにいただいたものです。

  
2002年招き猫まつりin瀬戸
招き猫供養で
     1999年来る福招き猫まつりin伊勢 懇親会で
2001年来る福招き猫まつりin瀬戸 懇親会で
2002年来る福招き猫まつりin瀬戸 懇親会で


 篠田さんはご自分で制作されるだけでなく、復刻も手がけられました。たとえば発見された山本香泉の招き猫やフクロウを香泉の地元四国の職人に依頼して復元したり、私の持っている「主夜神尊招き猫」をご自分で復元したり、また招き猫ポットも復刻制作されています。

     
山本香泉の復元品

別の型も復元しているという話を聞いたが、その後どうなっているのか聞き忘れてしまった。
 平成12年度限定29体復元「主夜神尊招き猫」
篠田正隆作。 型取りして焼いているため、オリジナルより少し小さくなっている。

   大きさ (横×奥行き×高さ) 
 オリジナル
   34mm×39mm×62mm
 復刻版
   31mm×35mm×57mm
 
 29体制作の中の2番目を表す。だれに配られたかは不明。


 土鈴蒐集から始まり、ご夫婦で窯や展示室までつくってしまった篠田正隆さん。招き猫と関わった期間は蒐集歴の中の一部かもしれませんが、招き猫界の発展に尽くされた力は計り知れないものがあります。きっと来年の9月には先に他界された郷土玩具制作者を一堂に集めて天国で「第1回招き猫まつり」などという企画をやっているだろうな。
  お一人になられてしまいましたが、ぜひ奥様には伊賀土鈴を制作し続けていただきたいと思います。