=^・^=第5回壇王法林寺主夜神尊法要に行く  (2002年12月7日)

12月にもなると年末に向けて仕事も忙しくなってきます。でも行きます。昨年までは仕事で行けなかったのですが、今年度から第一土曜日も休みになり、やっと主夜神尊の法要に行けるめどがついたのです。
 とはいっても忙しい時期だけに、終えなくてはいけない仕事をすべて終えたのは夜中の2時ころでした。それから自宅に戻り、1時間ほど仮眠して出発です。
 =^・^=が乗ったのぞみが京都に着いたのはもう10時を過ぎた時刻でした。法要は10時30分からです。急いでバスに乗り込んだのですが、いつになく道路が込んでいて15分程度でいける距離が40分以上かかってしまいました。ちょうど同じバスに法要に参加する方が乗っていたのでいっしょに本堂の脇から会場に乗り込んでいきました。法林寺自体には何回か行っているのですが、本堂に入るのは初めてです。
 今日は『成道会喜びの集い』と『主夜神尊大祭』を兼ねておこなわれるのです。『成道会喜びの集い』とはお釈迦様が12月8日に悟りをひらかれたのを祝う集いだそうです。読経の後、参加していた園児(法林寺は幼稚園も併設している)による歌や沖縄のエイサーの奉納で前半は終了します。なぜ京都で沖縄のエイサーなのか。法林寺を開創された袋中上人が中国渡航を目指したが果たすことができず、琉球に上陸し、浄土念仏を広めたときの「念仏踊り」が後の「エイサー踊り」の元となっているのだそうです。

本堂前  大祭の案内  


 後半が主夜神尊の法要です。
 法要後、毎年恒例の抽選会です。抽選会の後、各自焼香や見学です。また来られることを願って今回は主夜神尊招き猫の大を1匹いただいてきました。1体3000円也。
 肝心のお使いの猫はどこにいるのでしょうか。みんなでのぞき込んでいるのですが、よくわかりません。結局みんなはっきりわからないままでした。全国の招き猫を展示してあるショーケースの上に新旧取り混ぜて置いてあったのがそれではないか。でもあまりに不用心な展示です。本堂の隣に主夜神尊を奉っているお堂があるのでそちらにある。など諸説出ましたが結局わからずじまいでした。(ショーケースの上の猫たちは蔵から出てきた古い頒布品と思われます)

説法をするご住職   主夜神のお使いの猫たち
 おそらく新旧の頒布品だと
思われる。
いただいてきた縁起書

 よく見ないとわからないが左上の写真でご住職の右上に2個光っているのは電飾の電球です。お寺に電飾、しかもクリスマスの12月に。何かミスマッチのような感じを受けますが、ご住職曰く、お釈迦様が悟りをひらいたときに明るい星が輝いていたのだそうです。それはキリストの誕生よりも古いのでこちらの方が先なのだそうです。どちらにしろ外の木にも電飾が施されているということで夜10時ころまでやっている幼稚園のよい目印となっているようです。もっともこの電飾が点灯されるのはあまり長い期間ではないようです。

 法要の後は忘年会を兼ねた昼食です。今回の法要には郷土玩具研究で著名な畑野栄三氏も参加されており、忘年会にも参加されていたのでお話しをする機会を得ました。来年の法要は12月6日、又の再会を願って各自京都の町に散っていきました。

忘年会(昼食会)の後 忘年会終了

浄土宗 朝陽山 壇王法林寺
   〒606−8387 京都市左京区川端通り三条上ル 法林寺門前町36番地
   TEL  075−771−0870


壇王法林寺
 文永九年(1272年)、浄土宗三祖・然阿記主・良忠上人の高弟、望西楼了恵上人(ぼうせいろうりょうえしょうにん)が、三条の地に浄土宗「朝賜山悟真寺」を開基。約300年後の永禄年間に全山消失。
 慶弔十六年(1611年)に袋中上人が「法林寺}として復興し、京都の町衆に念仏信仰を広めた。正式寺名を「朝陽山 栴檀王院 無上法林寺(ちょうようざん せんだんのういん むじょうほうりんじ)」と言い、この頃より、『だんのうさん』の通称が始まる。本尊阿弥陀如来は、恵心僧都の作と伝えられる。

主夜神尊
 『婆珊婆演底主夜神(ばさんばえんちしゅやじん)』と言い、お経の「華厳経入法界品(けごんぎょうにゅうほうかいぼん)」に登場し、「春日神」とも伝えられ、闇夜の陸においては火災盗難を消除し、海においては海難者のために船や魚等を司る王や海神に示唆して悪風雨を止め、大波浪を鎮め、また日月及び星や様々な光明を用いて、恐怖の厄を免れさせて安隠を与える等、古くからすべての衆生を救護するという篤い信仰を受けてきた神である。

                                              (鎮守・主夜神尊 パンフレットより抜粋)


おまけ
 以前に撮影した写真から (2000年6月18日撮影)

 表は目立たない  奉納ののぼり