初辰猫(はったつねこ)
種類:土人形
制作地:
授与:住吉大社楠珺社(大阪市住吉区)
制作者:
住吉土人形 明和年間(1764~1771) 北尾安兵衛(初代)が伏見人形の製法を習得して創始 昭和初期廃絶
堺土人形 元文年間(1736~1740) 笹治某が伏見人形の職人を雇い入れて創始 明治14年~15年廃絶
昭和初期に趣味家が古い型を入手して住吉土人形の北尾に復元依頼して一時復活。
大正中期 湊焼き窯元津塩政太郎・・・・津塩吉左衛門 (堺湊土人形)
同じ頃 金田新平(明治31年(1898)-昭和51年(1976))、金田章子(明治39年(1906)-昭和51年(1976))
夫妻によって住吉大社授与品を中心に復元がおこなわれた。
伏見人形 丹嘉からの卸し(清水人形も含まれるか?)
現在は住吉大社の楠珺社(くん:おうへん・たまへんに君)の授与品であるが、制作者が時代によって変わる。したがって個別の郷土人形とは別に「初辰猫」として扱うことにする。同じことは世田谷豪徳寺の「招福猫児」にも当てはまる。
住吉大社には月初めの辰の日に種貸社(たねかししゃ)→楠珺社(なんくんしゃ)→浅沢社(あさざわしゃ)→大歳社(おとししゃ)の4つの末社を巡る初辰まいりという慣わしがある。
初辰猫の始まりは明治時代に大阪の花街新町にあったお茶屋本莊亭の主人本荘五郎兵衛が熱心な住吉信仰者で毎月祭事日の卯の日に住吉大社を参拝し、周辺の土産物店で招き猫を買い集めたことに始まると言われている。
主人にならい家族や芸妓も招き猫を買い二千あまりの招き猫が神棚に祀られ「本荘猫」と呼ばれて評判になり商売も繁盛した。やがてそれにならって楠珺社への祈願が増え、招き猫を求める風習が広まった。
本来、住吉大社は卯年卯月卯日の創建で 卯の日が祭事日であったが招き猫の人気で混雑を避けるため翌日の初辰の日も縁日と定めた。昭和初期には土産物店は減少し神社自体が猫を授け始めて猫あつめのシステムが確立されていった。
戦後は一般参拝者の月参りは初辰の日に集約されていった。
住吉大社付近で売られていた招き猫の始まりについてははっきりした資料は見つからなかった。しかしこの本荘猫をきっかけに制作や販売数が増えていったようである。神社や参道で授与(販売)とあるが、最初から神社で授与していたかは先の通り明らかでない。
住吉大社(楠珺社)でいつから招き猫を授与していたかははっきりしないが、住吉土人形の制作者北尾春紀が神職であったことからこのあたりが始まりであるかもしれない。
そのころ初辰猫の授与が増え北尾の制作が追いつかず伏見人形の丹嘉からも卸していたようである(日本郷土玩具西の部、 武井武雄 1930)。
やがて住吉土人形の最後の制作者北尾良(北尾春紀の妻)が亡くなった昭和初期には住吉土人形は廃絶し、北尾製の初辰猫も途絶えてしまった。住吉土人形廃絶後は伏見からの羽織猫が授与されていた。
昭和になり住吉公園駅と改称されたころからだんだん参道の土産物店も減り、住吉土産として土人形を売る店はウヱト(植木屋徳松が転業)とはったつ屋の二軒だけになってしまった。
住吉土人形廃絶後の初辰猫の制作が伏見人形の丹嘉で続けられて初辰猫の授与も継続された。清水人形で触れた丹嘉からの小物下請けにはこの初辰猫が含まれていた可能性はある。
戦後は裃猫が好まれるようになり、現在の授与品に引き継がれている。現在の流し込みタイプの製造元は不明である。ただし住吉型にも裃タイプはあるのでかなり古い時代からこのタイプも制作はされていたようである。
堺土人形がどのように初辰猫の授与に関わっていたかは不明である。
なお、下記のデータベース上に初辰猫がいくつか見られるので参考にされたい。特に女猫と思われる土人形はデザインとしてもおもしろい。
初辰参り |
月初めの辰の日に4つの末社を巡る慣わし |
楠珺社で授与される初辰猫は奇数月には左手挙げ、偶数月には右手挙げの小猫を授かり、4年間休まず参拝すると48体揃い「始終発達」となる。 途中で不幸があるとそれまでの分をすべて社に収めてまた最初からやり直す。48体揃うと中猫と交換。そして中猫2体と子猫48体で大猫と交換。 右手挙げ:金招き 左手挙げ:人招き |
1 初期の羽織猫
おそらく参道で売られていた初期のものと思われる羽織猫。裏書きがあり明治26年6月の裏書きがある。裏書きの判読を依頼した方に見せようと思って準備をしていて落として破損してしまった。
古文書解読の会でも裏書きが住吉か観音かで議論があったようで最終的に観音となった。縁起物としては住吉の猫と見てよいのではないだろうか。
左手と羽織の袂の部分は型抜きが大変ではないだろうか。
裏書きについては「ねこれくと」中の次のところで詳しく書いているので参照されたい。
「羽織招き猫の底書き」
「羽織招き猫裏書きの謎」
初期のころのものと思われる羽織猫 裏書きから明治26年に購入したことがわかる 高さ110mm×横100mm×奥行60mm |
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黒の紋付き羽織 | 緑系の着物 |
左手挙げ | |
裏書き | 後付けと思われる箱に入っていた |
郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻) | |
おそらくこのようなタイプであろう |
いろいろな初辰猫 | |
左 浪速おもちゃ風土記(奥村寛純、1987) | |
右 郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻) すべて住吉型と思われる 左と中央は北尾製だろう 左の犬顔については後述 |
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左 おもちゃ画譜(川崎巨泉、1979覆刻) 1935初版 右の一対が「男猫、女猫」か? |
よく見かける48体揃いの初辰猫は現在の裃タイプやたまに見かける北尾製の手捻りタイプが多い。丹嘉で制作された48体揃いは比較的目にすることは少ないが次のサイトで見ることができる。「おもちゃのちゃちゃちゃ 10539」
2 北尾製手びねり初辰猫
時々市場に出てくる北尾製の初辰猫。黒い紋付き羽織に茶系統の着物。頭に黒う斑のある白猫。顔に薄い朱が入っている。なぜか手元にある猫を見ると犬顔(後述)以外はすべて左手挙げである。
偶然かと思い、「おもちゃ通信」に掲載されている画像を見ると10体中9体が左手挙げだった。また同誌の48体揃った画像を見ると、挙げている手の向きがわからないものもあるが、確認できるだけでも40体以上が左手挙げである。
「招き猫尽くし」に掲載されている48体揃いはすべて左手挙げである。また湊土人形の古作を見ても左手挙げが多い。
サイト上で見つけた「おもちゃのちゃちゃちゃ 10539」にある青い紋付き羽織の伏見タイプ48体揃いは右手挙げが圧倒的に多い。授与を受けた者の趣味趣味志向(嗜好)が関係している可能性もある。
少し古い文献では初辰猫の縁起や授与について右手挙げと左手挙げについては記されておらず、御利益のみが記されている。
川崎巨泉のおもちゃ画譜(昭和10年発行第十集)では「此猫普通は一寸位ひのものなれども中には大型三寸位のものもあり、左招き右招き男猫女猫等いろいろのものがある。何れも欲するものを求めて祀る。女猫のみ、又男女一対、或は大猫を中心に小猫を周囲に祀るもの等あり」とある。48体集めることには変わりがないが、集め方は様々だったようである。
初辰猫を「奇数月には左手挙げ、偶数月には右手挙げの小猫を授かり」という風習は案外最近になってできたものかもしれない。
北尾製の手びねり初辰猫 手びねりのため大きさにはばらつきがある 高さ28~33mm×横22~24mm×奥行18mm 形状や面相もひとつひとつ異なる 基本的には黒の紋付き羽織に茶系統の着物(青羽織もある) 頭頂部に黒斑のある白猫 目元に薄い朱が入っている 底には彩色の時に串を刺した穴がある |
北尾製の手びねり初辰猫 その1 手前は五百円硬貨 |
いずれも左手挙げ |
黒い紋付き羽織 |
手びねりのため形状にかなり違いがある |
北尾製の手びねり初辰猫 その2 |
北尾製の手びねり初辰猫 その3 |
3 犬顔の初辰猫
以前大阪の古物商が「住吉の招き猫に稀に犬が混じっているという話を聞いたことがあります」と話していた。これと似たものは「郷土玩具図説第七巻」(鈴木常雄、1988覆刻)にも掲載されている。
また「上方の愉快なお人形」(池田萬吉・池田章子、2002)の初辰猫にもカラー写真で2体掲載されている。こちらは羽織りタイプの通常の初辰猫と形状はひじょうに似ている。
この犬タイプはなぜか左右の耳の色が異なり、ひげが描かれていないのである。以前「初辰さん 北尾製」で紹介したときには「たまにひげを描き忘れるときもある」と書いたが、
これは意図的に描いていないとしか思えない。真相は不明である。
左の初辰猫に比べてかなり小さい 高さ24mm×横18mm×奥行16mm |
五百円硬貨と比べると大きさがわかる 三毛?ひげなし |
郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻) 左が犬顔の初辰猫 |
4 堺土人形の初辰猫 「堺土人形」を参照
「初辰猫のいろいろ」にもあるように住吉型に同等のものがある。
住吉土人形廃絶後、一部の型が津塩や金田の元へもいっているとのことで、その影響もあるのだろう。
堺土人形(堺湊土人形)の初辰猫 |
津塩政太郎制作と考えられる初辰猫 楠珺社の授与品であるかは不明 |
青い着物に緑の帯 | 左手挙げ |
黒の紋付き羽織 | |
窯焼きの際の穴 | 高さ57mm×横50mm×奥行30mm |
5 現在の初辰猫
現在(比較的最近)の授与品 すでに授与から20年以上たっているが現在でもそれほど変わってはいない 自ら楠珺社で求めたもので、1993年と1998年の授与年が記してある。 流し込みによる製法で製作場所は不明 裃に袴姿となっている |
1993年の授与品(右) 右と中央は同じ彩色者である可能性が高い |
すべて流し込みによる |
水色の裃に茶色の袴 |
流し込みにより形は整っている |
右は1993年の授与品 |
1998年授与品(右と中央) 右と中央は同じ彩色者である可能性が高い |
刻印はほとんど彩色で埋まっているが1つだけ「住吉初辰」と読める |
1998年授与(右と中央) |
楠珺社絵馬 1990年代の絵馬 |
平成8年(1996年)の限定復元品 手元の資料から1998年、 上の初辰猫2体と共に 授与されたことがわかった |
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茶の着物に緑の帯 | 青の紋付き羽織 |
右手挙げ | 高さ79mm×横52mm×奥行60mm |
流し込みによる製法 | 桐の箱に入っている |
同封の「初辰招き猫縁起」 |
日経新聞「大阪・住吉大社の「初辰猫」集め、人気だニャン」
※「郷土玩具図説第七巻」と「浪速おもちゃ風土記」は村田書店の連絡先が不明で掲載許可が取れていません。
参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
日本郷土玩具 西の部(武井武雄、1930 地平社書房)
「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972 私家版)郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
全国郷土玩具ガイド3(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
招き猫博覧会(荒川千尋・板東寛二、2001 白石書店)
浪速おもちゃ風土記(奥村寛純、1987 村田書店)
上方の愉快なお人形(池田萬吉・池田章子、2002 淡交社)
おもちゃ画譜(川崎巨泉、1979復刻 村田書店) 1935初版