堺土人形(堺湊土人形)   

堺土人形
 種類:土人形
 制作地:大阪府堺市
 現制作者:津塩吉左衛門
      佐治某により創始
      北尾春紀・良による一時的な復刻
      津塩政太郎・・・・津塩吉左衛門
      金田新平(明治31年(1898)-昭和51年(1976))、金田章子(明治39年(1906)-昭和51年(1976))夫妻によって住吉大社授与品を中心に復元がおこなわれた。
 
 文化・文政のころ、佐治某により海運で栄えた堺港街道での子供の土産物用の玩具を制作販売するため、伏見人形の職人を雇い、その指導の下に作り始められた。
当初は伏見人形の模作が中心であったが、やがて独自の型が多くなっていった。
しかし明治になり交通網の変化により堺港が衰退していくと共に土人形の制作も衰退し明治14年には廃絶してしまった。
 その後、昭和初期に堺の郷土玩具蒐集家によって古い型が見つかり、住吉土人形の制作者北尾に制作依頼して趣味家相手に一時的に復活した。
 また大正半ば頃、古い湊焼き窯元であった津塩政太郎により堺土人形の伝統が引き継がれて人形制作が始まった。さらに金田新平も住吉大社の授与品を中心に制作をおこなった。
しかし昭和50年ころ両氏共に亡くなり再び廃絶した。現在は津塩吉左衛門により制作されているようである。(土鈴制作をやめたという情報もあるが
未確認である 2021年4月)

 堺土人形、堺湊人形、湊焼土人形と呼ばれている。

津塩吉左衛門作の堺土人形(堺湊土人形)   
紫の着物(左)と青の着物(右) わずかに大きさが異なる
    右手挙げ(右)と左手挙げ(左) 黒の紋付き羽織
 
彩色あるいは焼き締めの際に串を刺した穴
高さ63mm×横48mm×奥行33mm  高さ65mm×横55mm×奥行36mm          

 

 とぼけた感じの表情は独特である。古くから制作されている型のようだが、古いものは猫の顔が上向き加減である。

堺土人形(堺湊土人形)の初辰猫
 津塩政太郎制作と考えられる初辰猫
楠珺社の授与品であるかは不明

現在の作品に比べて顔が上向き
 青い着物に緑の帯 左手挙げ
 高さ57mm×横50mm×奥行30mm 黒の紋付き羽織
窯焼きの際の穴 左は北尾製初辰猫   比較は五百円硬貨







参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
全国郷土玩具ガイド3(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
招き猫博覧会(荒川千尋・板東寛二、2001 白石書店)
浪花おもちゃ風土記(奥村寛純、1987 村田書店)