新宿住友ビル(通称三角ビル)には彫刻家流政之作の「たまちゃん」が鎮座している。2007年に見に行ったときのことは当時レポートしているが、その後住友ビルが大改修されて玉ちゃんが一時不明に、そして改修が終わりビル内にあるという話が伝わってきた。今回新宿まで行く用事があったので様子を見に行くことにした。
新宿には超高層ビル群があるがその中でも古参の一つがこの新宿住友ビルである。1974年竣工で淀橋浄水場跡に建設されている。2007年の報告ではビルの足下の三角広場に「たまちゃん」はいた。広場に台座に載った玉ちゃんがいたので遠目にも存在がわかった。その後三角広場に屋根を設置してイベント広場にする計画があったが、規制があり実現しなかった。2011年の東日本大震災を契機に災害時の一時避難場所としての規制緩和で広場の屋内化に向けて計画が進んだ。2017年に大改修が始まった。これに伴い広場の玉ちゃんは行方がわからなくなった。2020年にビルの改修と全天候型イベントスペース三角広場が開業した。それに伴い玉ちゃんも三角広場に復帰した。情報はあっても実際にはまだ見ていないので見に行くことにした。
新宿区の「新宿住友ビル改修計画」 外部リンクの(PDFファイルへ)
玉ちゃんおさらい (2007年撮影) |
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初めて玉ちゃんを見に行ったのはおそらく2007年(平成19年)のことだった 所用で新宿に行った際に寄ったようだ。都庁に出かけたのだろうか? 新宿住友ビルは淀橋浄水場跡の再開発の草分け的な高層ビルであった 近くにあるヨドバシカメラもまだ平屋の倉庫のような店舗だった時代である |
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三角広場にいた 奥は新宿三井ビル | レンガ積みの上は議事堂通り | ||
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赤御影石の上に座っている | 広場の中にあるので結構目立つ | ||
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都庁ビルを見上げる | |||
玉ちゃんがここに座ったときにはまだ都庁ビルはなかった | |||
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2025年現在の玉ちゃん | |
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三角ビルフロアマップ | 三角広場は3カ所ある |
新しくなった新宿住友ビルには三角広場が3カ所ある 玉ちゃんは三角広場東(イースト)にいる サービスセンター前の壁際が玉ちゃんの勤務地 |
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白い服の女性あたりの場所 | いた! |
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三角広場東(イースト) | |
広い広場は意外に人が少ない しかし昼時になってくるとどこからともなく人が集まってくる |
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玉ちゃんの台座は黒になっていた。館内の色調に合わせたのだろう 床や台の色は玉ちゃんによくマッチしている 左耳がサクラ耳になっているのが気になった しかし古い画像を見ても欠けているので素材の石の性質によるものかもしれない |
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由来書き 制作は文明狂年となっており、2007年の報告では不明としたが ビルができたのと同じ1974年生まれのようだ |
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都庁ビルは見ることができない | 背面のスペースは狭い |
設置場所の関係で裏側の撮影はしづらい。裏側には入れるが撮影スペースがない 向こう側の壁に映っている、撮影者が見える |
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今回画像を見て気になったのは 玉ちゃんの左耳がサクラ耳のようになっていることだ 18年前の画像を見ると それほど欠けているようには見えない このあたりの事情は不明である 今度行ったときに左耳の状態をよく観察してきたい 左 2025年撮影 下の2枚は2007年撮影 |
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玉ちゃんはサクラ耳になったのか? | |
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このあたりがかつて玉ちゃんがいた場所と思われる 玉ちゃんは風雨から守られる屋根の下に入ったが 都庁ビルを眺めることはできなくなってしまった |
かつてこのあたりにいたと思われる | |
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ここがメインの三角広場ただし三角形ではない | キッチンカーが出ている |
せっかく来たので三角ビルの周囲を歩いてみた 昼時前でキッチンカーが4台入っていた |
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淀橋浄水場のバルブ | これは流作品か? |
淀橋浄水場の直径1mの水管とバルブが展示してある 三角広場西(ウエスト)の外に流作品と思われる像がある |
恋弁天と出雲大社 | ||||||
恋弁天 1975年の作なのでビル竣工の翌年になる この位置も大改修で換わったようだ 少し離れた楠の近くに新しい社がある |
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流政之作「恋弁天」 | 恋弁天由来 | |||||
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手前が恋弁天 奥が保存樹のクスノキ | 新しくなった社殿 | |||||
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天気の悪い日は影ができず撮影にはいいのだが、もう少し天気のいい日に再訪したい すでに50才を超えた玉ちゃんは東京都庁舎(1988年着工、1990年竣工)の 今後や変わりゆく新宿の景色をこれからも見守り続けていくことになる |
流政之氏の経歴を再編集・再録しておく
流 政之(ながれまさゆき) (1923-2018) 1923年、長崎生まれ。 明治から昭和の政治家、実業家、教育者(立命館大学の創始者)の中川小次郎の子。立命館大学を中退し、海軍飛行科予備学生として零戦のパイロットを経て戦後。戦後は日本各地を放浪した。独学で彫刻をまなんだ。 1955年には先の戦争で亡くなった日米戦没パイロット追悼のための木と鉄による作品で初個展を開き、本格的に彫刻の制作を始める。 石による彫刻は1956年、こどもを亡くした母親が石地蔵を運ぶ姿に感銘を受けて製作した「ながれ地蔵」であった。四国に渡り、1962年「石匠塾」を結成、大分県庁にコンクリート型枠の壁画「恋矢車」をつくり日本建築学会賞を受ける。 1963年に「石匠塾」と共にニューヨークに渡り、世界博日本館に石の壁画を制作。75年にはニューヨークの世界貿易センター前の広場に250トンの彫刻「雲の砦」を設置します。この作品は2001年のテロでも残ったが、人命救助のため取り壊された。 1979年日本アカデミー賞のため「映画神像」をつくった。その後、81年に奥尻島に「北追岬」、最近では2002年東大沼の流山温泉に彫刻公園「ストーンクレージーの森」、JR札幌駅のJRタワー、2003年JR函館駅歴史壁画「きのうの敵はあすの友 函館解放1868年」、2005年北海道知事公館に「サキモリ」などの作品を設置した。 |
新宿「玉ちゃん」を見に行くwithコイコリン考(2007) 銀座のコイコリン、北海道の彫刻公園(閉園)なども含む
これ以外にもこのページとリンクはさせていないが「ねこれくと」内にいくつか「流作品」が登場している