新宿「たまちゃん」を見に行くwithコイコリン考  (2007年7月16日)
                           流政之作品追加 (2007年9月17日)

                                 

 玉ちゃんはどこにいるのか
  新宿高層ビル街の一角、住友三角ビル、正式には新宿住友ビルディングというそうですが、その前の広場にいます。
     新宿住友ビルディング  新宿区西新宿2−6−1

 この玉ちゃんは残念ながら招いてはいません。厳密には招き猫のカテゴリーには入りません。しかし、招き猫伝説のひとつである太田道灌を招いた猫であることは由来のプレートを見ても明らかです。そこで招いてはいないものの、招き猫の派生として紹介することになった次第です。
 地図を見てもらえばわかりますが、自性院(東京都新宿区西落合1-11-23)まではすぐです。歩いても行ける距離です。
 玉ちゃんがはたしていつできたかはわかりません。由来書にも「文明狂年」としかありません。かなり前から知っているのでおそらく、ビルの誕生と同時ではないでしょうか。新宿住友ビル自体は1974年竣工で新宿三井ビルやKDDI本社ビルと同時代のものである。淀橋浄水場跡地再開発で京王プラザホテル(1972年)についでオープンした高層ビルで新宿の象徴的な存在だった。
 当然ながら、都庁ビルなどはなかったわけで、玉ちゃんが誕生したころはまさにまわりはこれから開発される広場だったはずで(ヨドバシカメラに始めていったときはまだ平屋の倉庫みたいな建物だった)。新宿住友ビル、京王プラザホテル、新宿三井ビルにかこまれたこの広場は西新宿再開発の中心地であったはずだ。玉ちゃんはそのような西新宿の生き証人なのかも知れない。

 奥が新宿三井ビル  左手が新宿住友ビル

 玉ちゃんは赤御影石の台座の上に座り、京王プラザホテル方面を見ています。なぜその方向なのかはわかりません。今度いったとき性格に方角と身体計測をしてこようと思っている。

 奥は都庁ビル
     
 玉ちゃんは京王プラザホテル方面を向いている
         
  人気者で休日は撮影者が絶えない

 ところでなぜ太田道灌を招いた猫がここにいるのか?由来書どおりに事の起こりの自性院はここから近い。

 猫の由来を知るには作者の流政之氏がどのような方なのかということを知らなければならない。、

流 政之
 1923年、長崎生まれ。
 少年時代に古流武道教育を父から受け、刀鍛冶や戦時中零戦のパイロットを経て、戦後になり日本各地を放浪した。
 1955年には先の戦争で亡くなった日米戦没パイロット追悼のための木と鉄による作品で初個展を開き、本格的に彫刻の制作を始める。
 石による彫刻は1956年、こどもを亡くした母親が石地蔵を運ぶ姿に感銘を受けて製作した「ながれ地蔵」であった。四国に渡り、62年「石匠塾」を結成、大分県庁にコンクリート型枠の壁画「恋矢車」をつくり日本建築学会賞を受ける。
 63年に「石匠塾」と共にニューヨークに渡り、世界博日本館に石の壁画を制作。75年にはニューヨークの世界貿易センター前の広場に250トンの彫刻「雲の砦」を設置します。この作品は2001年のテロでも残ったが、人命救助のため取り壊された。
 1979年日本アカデミー賞のため「映画神像」をつくった。その後、81年に奥尻島に「北追岬」、最近では2002年東大沼の流山温泉に彫刻公園「ストーンクレージーの森」、JR札幌駅のJRタワー、2003年JR函館駅歴史壁画「きのうの敵はあすの友 函館解放1868年」、2005年北海道知事公館に「サキモリ」などの作品を設置した。

 流政之氏の活動のひとつに、日本各地を渡り歩いて、その地方の文化や言い回しを彫刻作品にしたり、名物をそのままかたちにしたりするやり方があるのだそうだ。そして、その地方を元気づける。「地方の用心棒」を自称しているのだそうである。(北海道近代美術館インフォメーションより)

 制作のいきさつはわからないが、地域文化を愛する流氏が由来にもあるようにまさに「猫故に名前も残らないことを不憫に思い・・・」ということなのだろう。


銀座のコイコリン考

      
     コイコリン のんき   こちらも「のんき」 「ごろべえ」は撮影しにくいんです
   
   「ごろべえ」も撮影してきました

 それならば、銀座のコイコリンはどのようないきさつがあるのだろうか。昭和38年、株式会社三愛の方が三愛ドリームセンターの建設時に銀座の名所になるように置かれたらしいのです。コイコリンという名称は正式にこの作品(それぞれ1体ずつ「コイコリン ごろべえ」、「コイコリン のんき」となっているようで、コイコリンという名称自体は恋をもとにした響きのいい造語のようだ。銀座三愛といえば数寄屋橋からそう遠くない。まさか、「君の名は」の真知子と春樹、それとも昭和36年(1961)「銀座の恋の物語」の直後の制作なのでこちらか?地域の話題を大切にしている流氏だけに、このあたりの話が元になっているように思えてならない。
 はたして真相はいかに、一度伺ってみたいものだ。



北海道で流政之の作品を見に行く
 北海道には流政之の作品が多い。やはり大きな作品を展示するのに適しているのだろう。

函館駅
 まず、函館駅。かつての趣のある駅から近代ビルに変わってしまった。その改札口広場の真ん中に鎮座しているのが流氏の有名な作品「サキモリ」だ。これまで函館駅に行ってもまったく目に入っていなかったが、あらためてみると不思議で重厚な作品だ。

  
 函館駅改札口   「サキモリ」


彫刻公園 ストーンクレイジーの森
 大沼公園付近にできた流山温泉と彫刻公園、ここは流政之がプロデュースしたらしい。鉄道関係のものがなぜか不自然に多いと思ったら、JR北海道が経営しているのだ。遠くに見えた新幹線の車両は「流山温泉」駅の駅舎なのだ。
 温泉施設や温泉そのものにも流氏のこだわりがあるようだ。今回は先を急いだので入浴はパスした。

 建物全体が作品になっている


 キャンプ場や敷地がそのまま彫刻公園になっているという感じだ。雨が降ったあとに行ったからか少し足下がぬかるんでいた。広い園内の奥の方が作品展示のメインだ。御影石の作品が多いが、金属のものもある。

 「タマゲタ101番」  「おっちゃんこ」
 「逢瀬の門」  ストーンクレイジー入り口ゲート  「ボチボチ」

 作品名は考えさせられるものから北海道の方言?まで多種多様。詳しい案内図があるといいのだが、何もなしで巡回するのもいいのかもしれない。ちなみに流政之の仕事のひとつに、日本の各地を渡り歩いて、その地方の文化や言い回しを彫刻作品にしたり、その地方の名物をそのまま作品にしたりするやり方があるのだそうだ。

 「MOMO]  「ワタシモリ」  「GOD FATHER}
 「イイベヤ」  「駒ヶ辻」
           
            「トッポイ」              「カチバチ」  「トーレバ」

 作品は建物の近くや館内にもある。館内にあった「ミルベヤ」はきっと方言をもじったのだろうな。

 帰りに館内のレストラン「停車場」で手打ち蕎麦を食べる。安くて、おいしい。ここにも鉄道グッズが展示してある。

 「ミルベヤ」
 館内への入り口  落ちついた館内レストラン  大もり 600円だったかな?

  流山温泉   営業時間 平日10:00〜20:00  土・日・祝10:00〜21:00
           北海道亀田郡七飯町東大沼294番1  TEL 0138-67-1726    
     「ストーンクレイジーの森」はいつでも見られる。  


                             流山温泉オフィシャルサイト


 今回はここまで。北海道立近代美術館や札幌市内にはかなり作品があるようだが、残念ながら今年はまわることができなかった。特に9.11同時多発テロで後に撤去された「雲の砦」を二分の一に縮小した「雲の砦Jr.」などの見学は来年度以降の課題となりました。

 ちなみに、銀座のコイコリンは地方の名物?を形にしたもの(もちろん銀座の恋の物語)なのだろうか?