ほぼ完成版です
鴻巣練り物
種類:練り物
制作地:埼玉県鴻巣市人形町
現制作者:斎藤藤次郎(※廃絶)
※広田屋は雛人形等の制作販売はおこなっているが、練り物制作者であった斎藤藤次郎会長が2021年10月に亡くなり、広田屋の練り物招き猫は廃絶した。
斎藤国太郎(初代)・・・・斎藤藤次郎(2代目)( −2021)・・・ (3代目)
広田屋
1962年(昭和37年)創業。昭和初期に鴻巣へ移り住み、昭和30年代に人形町へ移り赤物や節句人形の製造販売を始めた。
かつては大きなものも制作していたようであるが現在は小型のもののみである。しかも常時制作しているわけではなく注文があったときに余分に作り販売しているようだ。小型で軽い練り物は寺社の授与品に活用されることもあるようだ。
「招き猫の文化誌」(宮崎良子著)では『埼玉県の鴻巣市には練物製の招き猫がある。種類は白黒の斑である。なんとも間の抜けた顔をしているという評があった』という記述があるが、出典は何であるかは不明である。その直前に高崎の招き猫(豊岡張り子)の日本郷土玩具 東の部(武井武雄)の記述を紹介しておりそれは確認できるが、前記の鴻巣の招き猫に関しては日本郷土玩具 東の部(武井武雄)では確認できない。
主観にもよるが、これまで見てきた鴻巣の招き猫で「間の抜けた顔」に該当しそうな猫は記憶にない。まさに広田屋の招き猫はぴったりな感じがする。「間の抜けた顔」は決して悪い意味ではなく、他にはないとぼけた飄々とした表情が魅力的な猫なのだ。ただし日本郷土玩具東の部(武井武雄)の発行時の1930年には広田屋はまだ創業していない。
1匹1匹微妙に表情が違う | |
ツメは描き忘れ? | 左手挙げ 経年変化でシミがでてしまった |
耳の内側はローズ | 赤い首玉 |
鴻巣練人形(広田屋 斎藤藤次郎作) 1997年製 高さ65mm×横35mm×奥行37mm 首ひも、口、爪はベンガラの赤 耳はローズ色、鼻先はサーモンピンク 尾はあるが彩色されていない (画像の物は爪を描き忘れ) |
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当時の写真が残っているが、見つからないので出てきたら追加でアップする予定である。
福の素への投稿原稿 |
再録 |
鴻巣の練り物の招き猫といえば、赤もので有名な秋元商店(ネコは赤くありませんが)と臼井常吉商店のものが有名です。しかし、鴻巣にはそれ以外にもちょっと気になる第3の招き猫がいるのです。 そもそもこの猫との出会いは、まだどこでどんな作者が招き猫を作っているか知らないころ(たぶん7年くらい前)、「招き猫の文化誌」(宮崎良子著)から鴻巣で招き猫が作られているらしいことを知ったことが始まりでした。その中には『埼玉県の鴻巣市には練物製の招き猫がある。種類は白黒の斑である。なんとも間の抜けた顔をしているという評があった』という記述がありました。それだけを頼りに鴻巣に出かけ、「人形」なる町名で、たくさんの人形店が連なる街並みを見つけました。その中の一軒で問題の招き猫を発見しました。その飄々とした表情はユーモラスでいて、どこか憎めない愛嬌のあるものでした。そしてそのつくりも、他ではあまり見かけないものでした。「これだ!」今から思えばずいぶん安い値段で、最後に残っていた2匹を手に入れました。それだけでも安かったのに、店の商品の座布団代わりのフェルトまでおまけでいただいてしまいました。 その後もっと大きい物はないかと同店を訊ねたことがありましたが猫は売れないから、もう製作はしていないということでした。しかし、型はあるのでイベントなどで数がまとまれば製作することがあるかもしれないのでまたのぞいてみてくださいとのことでした。 そして何年か過ぎ、店の方に印象づけるため、『現物の猫』を持って再び訪ねていくと、対応してくださったのは鯉のぼりのような派手なネクタイをされた方でした。 「これは私が作ったものです」ということから話がとんとんと進み、なんと製作していただけることとなりました。その対応してくださった方こそ、招き猫師、広田屋鰍フ取締役社長、斉藤藤次郎さんです。 お話をうかがうと、斉藤さんが製作している招き猫は高さ6.5cmの左手上げの小型のもの1種類だけということです。しかし、小さくても全体は胡粉と膠に染料を混ぜてしっとりした色合いを出し、斑やヒゲの黒はススを集めて膠と混ぜ絵の具を作るところからやり、つめや首輪の赤はベンガラを使った絵の具といった凝りようです。「市販の塗料を使うと簡単できれいだが落ちついた色調が出ない」ということです。まさに根っからの職人気質がうかがえる言葉でした。 最近では、平成7年の正月に向け、蔵前の神社で参拝者の授与品につけるためにかなりの数の注文があり製作をしたことがあったとのことで今回はそれ以来の製作だということです。 かつて鴻巣の練り物は玩具としての需要も多くあり、製作が追いつかないほどで、昭和20年代ころは30cm位の大型の招き猫も製作していたということです。しかし近代的なおもちゃの急速な普及とともにその玩具としての需要が極端に減少してしまい、大型の猫の型も今ではもうないそうです。残念!。 また、昭和30年代の初期まではキャラメルなどのお菓子といっしょに結びつけて売る菓子玩具としての需要もあったということです。招き猫以外にも獅子頭の中にお菓子を入れて鉄道の駅の売店で売るなどということもあったようです(今もある、おもちゃ入りのお菓子と同様のもののようです)。 そのような中で獅子頭や天神はまだわずかであるが需要があるので、少数製作しているが、玩具としての小型の招き猫はまったく需要がなくなり、今はほとんど作る機会さえなくなってしまったということです。 そしてもっぱら製作の中心は節供(句)人形などの人形つくりに移っていったということです。職人として作りたくても需要がない。でもそれだけではやっていけないという複雑な心境を語っていただけました。後継者に関しても店の経営や人形作りは続けていっても、「練り物については私で終わりでしょう」ということですし、現在需要がある獅子頭も「10年後はどうでしょうか」という、ちょっとさびしいお答えでした。 しかし、人形のかしらなどを作るため、会津方面から桐粉は入ってくるので、材料には事欠かないということです。ぜひいつまでも絶やさずに作り続けてほしいものです。 なお、これほど個性的でかつては全国に多数卸されていた広田屋の招き猫ですが、郷土玩具資料館や収集家の展示などでもほとんど見かけることはありません。斉藤さんご本人が見かけたのは鬼怒川温泉の近くにある郷土玩具博物館(これは40年くらい前に製作したものということです)と太宰府天満宮の裏にある資料館(?)だけだということです。やはり玩具や授与品などの運命である消耗品という性格だからでしょうか。 どこかで広田屋の猫(特に大型の猫)を見かけた会員の方はぜひレポートをお願いいたします。 いろいろお話をうかがった後、店で見つけた招き猫と同じつくりの練り物のトラ2匹と注文した50匹の猫たちが入った箱を手に、いつまでもこんな素朴なつくりの招き猫が作られ続けてほしいと願いながら店を出ました。 入手方法 招き猫は前記のように絵の具作りからしなければならないため、大きな注文が入ったときにまとめて100〜150匹ほど作り、残ったものを店頭で売るそうです。 今回の私の注文で製作した猫の残りも、私が引き取りにいったときは20匹ほどの招き猫が新しい飼い主を待っているのみでした。これがなくなると、あとはいつになるかわからない次の製作を待つことになります。 連絡先 広田屋梶@〒365 埼玉県鴻巣市人形1ー6ー18 0485ー41ー0451(代) ※上記の文章は1997年に日本招き猫倶楽部の会報「福の素」に投稿(福の素No.15に掲載)した文章の原文です。現在(2000年11月)は在庫はないものと思われます。鬼怒川の郷土玩具博物館にも行ってみましたが展示物入れ替えのためかは見あたりませんでした。 |
20年以上たっても作風はまったく変わらない。一目で広田屋の招き猫とわかる。昔製作していたという30cm級の招き猫を見たいものである。
2021年購入品 | |
基本的な仕様は以前のものと まったく変わっていない うっかりして上記の1997年製は 爪を描き忘れた猫を 掲載してしまったが本来はこのように 挙げている手と座っている足に 赤で爪が描かれている |
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制作者の斉藤藤次郎さん (広田屋ホームページより) |
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1997年製(左)と2021年購入(右)ほ比較 20年以上の年月を隔てたものだが、面相のタッチはまったく変わっていない。 右利きの特性か、右眉と左眉の描き方に特徴が出る。 これは左右のひげの描き方も同様である。 |
参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
全国郷土玩具ガイド2(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
埼玉県民俗工芸調査報告 第14集 鴻巣の赤物(埼玉県立民俗文化センター、2003)
さいたまの職人 民俗工芸実演公開の記録((埼玉県立民俗文化センター、1991)
福の素15号(日本招猫倶楽部会報、1997)
招き猫の文化誌(宮崎良子、1988 青弓社)
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)