鴻巣練り物を探しに秋のひなの里を歩く

                                                           2021年11月6日

   2021年11月6日訪問はここ
   2021年12月12日訪問へ
   2021年12月19日訪問へ




 鴻巣へはしばらく行っていない。21世紀になって初めて、いや2回目か?その間にずいぶん変化があったようだ。そのあたりの事情を知ることも含め秋も深まってきた日に行ってみることにした。緊急事態宣言が解除されてしばらくたった。みんな少しずつ動き始めた。家を出るのが遅くなり途中が混んでいたこともあり到着は13時頃となってしまった。以前はなかったひなの里駐車場に車を駐める。それほど混んでいない。

天気も気温も快適
青空が広がっている
ひなの里駐車場 気持ちよく晴れている
臼井常吉商店はシャッターがおりている 鴻巣市産業観光館「ひなの里」を見学する
赤物関係の展示 残念ながら赤物の招き猫はなかった
会津天神(右奥)
干支もの 辰と丑 鯛金と海老
タネ(原型)やそれから作ったカマ型 入れ歯ではない 獅子頭のカマ型
達磨のタネ(原型)とかま型 熊金カマ型 熊金
犬金太タネとカマ型 犬金太 カマ型 吉見屋本店前 三五月人形の文字が見える
大正13年の町内地図
招き猫ではおなじみの
臼井玩具店(臼井常吉商店)
秋元玩具店(秋元人形店 )
大塚玩具店(太刀屋)が
現在の位置と同じ場所にある

吉見屋本店の場所が
現在の「ひなの里」の位置に当たる
八幡神社の付近にある臼井玩具店の
詳細はわからない
(臼井一郎商店か?)

ひな壇ができたのは昭和になってからでかつてはひな壇も自作したそうだ
トイレ表示のピクトグラムも男雛と女雛
男性用(男雛) 女性用(女雛)
販売も行っている 臼井常吉商店の練り物 太刀屋の練り物
鴻巣市産業観光館「ひなの里」
江戸時代から300年間人形の製造や問屋として商いを行ってきた
吉見屋人形店とその雛屋歴史資料館(2009年5月閉館)の建物を活用して
2012年2月に開館した鴻巣市の観光展示施設。
鴻巣市の代表的な産業であるひな人形などを展示している。資料保管庫の蔵もある。
観光案内所や多目的広場も併設されている。



 鴻巣の練り物も制作者にもかつてに比べてかなり変化がある。いちばん大きいのは秋元人形店ではないだろうか?
 先日の招き猫まつり(2021年10月)で岐阜のNさんが行ったら店がなくなっていたという話を伝え聞いた。以前からストリートビューで店舗が確認できないことは知っていた。ストリートビュー見られた2012年にはすでに店舗は確認できない。今回の訪問はそのあたりの確認も目的のひとつであった。
 当日現地で聞いた話ではあるが、もう10年ほど前に店がなくなり、資料も博物館に寄贈されたようなことを耳にした。
 かつて秋元人形店は鴻巣市人形3-1-61にあり、現在は店舗があったと思われる場所には比較的新しい住宅が並んでいる。全国郷土玩具ガイド(1992)に掲載されている店舗写真の背景と比較する間違いなさそうだが確証はない。

 しかしその後、2015年に「合資会社秋元人形」が鴻巣市人形3-1-61と同じ住所で法人登録されている。
 また、「有限会社秋元人形」が鴻巣市人形3-1-52に法人登録されている。この住所は太刀屋のとなり付近でこちらも現在は更地になっている。
 ストリートビューで見ると最も古い2012年にはどちらも現在(2021年)とほぼ同じ状態になっていた。

 どちらにしろ秋元人形店の現在の状況は今回の訪問ではわからずじまいであった。

秋元人形は住所からいうとこのあたり このあたりのはずだが・・・・・どうも新しい家の建つところのようだ
酒巻商店は招き猫は制作していない。
酒巻商店
外観はまったく以前と変わっていない
太刀屋に寄る
今の季節は
表のウィンドウには赤物はない

今月から3月の節句に向けた
展示になっている。
黒招き猫大々の
在庫を問い合わせるが、
残念ながら黒の大々は
制作していないようだ。

制作を依頼する。
とりあえず手元にない
赤物の招き猫を購入する。
太刀屋(大塚)
広い太刀屋の店内 赤物招き猫は中のサイズのみ

 太刀屋に行く。表のウィンドウには赤物は展示されていなかった。今月から3月の節句に向けた展示になったのだそうだ。
 早速、目的の黒招き猫大々の在庫を問い合わせる。しかし黒の大々は制作していないのだそうだ。確約はできないがということだったが、制作を依頼する。練り物はそれぞれの生産者の生産歴があるので、できても来年の今ごろになるだろうとのことだった。1年ほどかかりそうだが気長に待つことにする。
 とりあえず手元にない赤物の招き猫を購入する。太刀屋では赤物の招き猫は「中」のサイズしか制作されていない。
 当代の大塚文武さんに古い招き猫に関してうかがったが詳しいことはわからなかった。なお、招き猫・猫図鑑でタネ(原型)を外部依頼したような記述をしたが、現在の招き猫のタネは大塚家で制作されたとのことだ。


 次は人形制作としては後発の広田屋。今では鴻巣では目立つ存在になっている。

広田屋店舗と長寿橋 店舗前
会長の斉藤藤次郎作、練り物招き猫
招き猫と同じつくりの寅 現在も「人形町」という町名はなく「人形」
これまでも人形町は慣例で使用されて
いただけのようだ

 地名の変遷を見るとおもしろい。「人形町」という町名はこれまでに存在しなかったようだ。現在も「人形」で「人形町」は慣例として使用されていたようだ。現在でも人形町自治会館であり、郵便局も人形町郵便局となっている。

太刀屋から出てきた観光協会のおねえさんが持っているのは太刀屋の弓獅子
臼井常吉商店の前に車が駐まり
シャッターが少し開いていた。
臼井人形店のシャッターが上がっていた
  中を覗いてみると
達磨や天神に混ざって
まねきねこも少数あった。
時々開いているようだ
「「ひなの里」の話でも
たまにシャッターが開いているだけで
ここで制作しているのかは
わからないそうだ

声を掛けてみればよかった
赤い雛の幕が下がる旧中山道沿いの人形(町)
鴻巣駅前 駐車場に戻ってきた 日没、遅くなってしまった



今回の収穫
赤物招き猫
(太刀屋)

珍しいグレーの招き猫
煉瓦色(杏色)と黄色い首玉の黒猫
(臼井常吉商店)

小型練り物招き猫4匹
(広田屋)
              
赤物招き猫は中サイズのみ制作



 「ひなの里」によれば、臼井常吉商店はほとんどシャッターが閉まった状態というが、臼井ゑみ子さん(あるいはたみ子さん)のお子さんが少数制作しているようである。

 フリーペーパーのタウン誌「こうのす 11号」(2019.2発行)によれば鴻巣で赤物を作っているのは太刀屋、臼井常吉商店、臼井一郎商店の3軒だけであるという。
     ※臼井一郎商店:臼井常吉商店の分家。臼井常吉の息子の吉五郎が分家独立。吉五郎の息子の一郎が二代目を継ぐ。




                                    






     
                                                        2021年12月12日

 先月に続き鴻巣の街を散策する。前回訪問して時間切れで行けなかったところや気になることもあり、再びの訪問となった。


今回は早めに出発したので
早く現地に到着した。
ひなの里の駐車場に車を駐めて散策開始。
駐車場のはす向かいにある
臼井常吉商店には車が駐まっているが
シャッターは開いていない。

シャッターが降りているだんご屋を
通り過ぎて
ふと舞い戻る。
やはり反応してしまうのである。
招き猫の後ろ姿!。
倒れている猫を起こすと小判抱えた招き猫。
傘立てかフラワーボックスのようだ。
ストリートビューで見ると
かなり前から存在している。
今回もお世話になります ひなの里駐車場
臼井常吉商店はシャッターが降りていた もしかして・・・  吉見だんご店で見かけた招き猫
秋元人形店があった場所 太刀屋を過ぎて1本裏の通りへ
太刀屋の倉庫がある(というより続いている) 高立山金剛院山門 本堂
金剛院は真言宗の寺。
昭和56年(1981)竣工の
鐘楼寄付者には

鴻巣練り物の制作者の氏名も見られる。
よく見てはいないので
さらに多くの名前があるかもしれない。
金剛院不動堂 鐘楼
昭和56年竣工 臼井一郎商店 広田屋、太刀屋、酒巻商店
八幡神社は金剛院の僧により
元禄元年(1688)に
創建されたといわれている。
神仏分離により金剛印の管理から離れる。
右の方にあるのは浅間神社
昭和3年に奉納された狛犬 奉納石版
明治29年と40年の2回にわたり
伊勢を参拝した女性が
昭和3年に奉納した狛犬。
奉納当時87歳なので幕末の生まれ、

境内には人形町自治会館があるが、
以前にも書いたように
慣例として用いられているだけで
人形町という町名は存在したことがない。
人形町自治会館


招き猫を買うため広田屋に向かう。
裏の工場を撮影していると
声を掛けられた。

後でわかるが社長のようだ。
話をしながら
店内に裏口から入る。

広田屋店舗 人形制作現場
子育地蔵尊 子育地蔵尊の由来
大人買いで招き猫買い占め トラはまだ残っている 天神
制作者の広田屋会長斎藤藤次郎さん。
テレビの取材も結構あるようだ。
実はこのとき初めて知ったのだが
今年(2021)10月に91歳で
亡くなられたとのこと。
したがって先ほど購入したもので
招き猫完売。

広田屋の現社長も
練り物制作は継承していないので
広田屋の練り物制作は

実質的に廃絶。
比較的最近のテレビ取材(店内掲示)
酒巻商店の隣に古い作業場を見つけた。
ガラス戸に
右から「郷土(玩)具」と書いてある。

隣のお宅とはつながっていないようだ。
グーグルマップで見ると
奥の方に住居があるようだ。
次に行ったときに見てこよう。
「郷土(玩)具」の文字
落葉で酒巻商店の看板が
見やすくなってきた。
看板のある隣は何か練り物制作と
関係がありそうな姓の表札だが
詳細は不明。
そのさらに隣が上の制作現場がある家。
葉が落ちて看板が見えるようになった
元秋元人形店跡付近まで戻ってくる。
だんご屋の招き猫がまたおいでと
手を振っている。
元秋元人形店跡付近   招き猫が手を振っているようだ


ひなの里でフリーペーパー「こうのす」を
入手して買いもの

先日、臼井常吉商店のグレーを購入して
空いた場所にはトラがいた。
今回は海老を購入。
この海老は繊細で
なかなか運搬困難物品だ。
元秋元人形店跡付近 臼井常吉商店の棚
こんなに大きい 太刀屋の風水色招き猫 広田屋のトラ
今回も展示資料から情報収集。
「雛と人形」という冊子は1974年発行で
非売品のようだ。
上の埼玉県立営業便覧は
明治35年(1902)発行     
右の市街図は昭和6年(1931)
 
もう少し大きな画像は招き猫・猫図鑑に掲載予定
町巡りの集団
町内を巡っている集団がやって来る。
ボランティアでやっているのだろう。
説明を聞いているとおもしろい。
鴻巣も京都などのように
間口税があったようだ。
旧家はみんな奥行きがある。
茨城を震源とする地震があった。
みんなテレビを見る。
揺れはそれほどでもなかったが、
ショーウィンドウのガラスは激しく揺れた。

鴻巣公園まで足を伸ばす。
遠くに人形供養の勝願寺が見えるが
次回の課題とする
茨城を震源とする地震があった 鴻巣公園 遠くに見える勝願寺
吉見屋の古い看板を見つけた ひなの里の吉見屋の蔵
奥行きがある建物 作業場? 店頭は「臼井人形店」
駐車場に戻る際、
臼井常吉商店を見ていく。
横から見るとやはり奥行きがある。
間口税に対応しているのか?
裏の方にある屋根に
シートをかぶせた建物は作業場か?
屋号紋 店頭の看板


今回の収穫  
大人買いの広田屋招き猫。
買った後で制作者の斎藤藤次郎さんが
先日亡くなったことを社長から聞く。
少し前に制作したものということだったが、
これが斎藤藤次郎作最後の招き猫となった。
臼井常吉商店の海老
ひじょうに繊細でひなの里から駐車場まで
そのまま手で持っていきトロ箱に入れた。
正月飾りなどに使ったようだが、
当時どのようにして輸送したのだろうか。
   
 風水招き猫(白を除く)
太刀屋の風水色の招き猫。ピンク2体(少々)、金(少々)、緑(少々)
お祭りなどに向けて制作されているようだ。ふだん太刀屋店舗では見かけたことがない。
左の金(小)は、初めて見たが通常版か?
白のみ臼井常吉商店製の首玉ピンクの小。
 
フリーペーパーの「こうのす」vol.11 特集「鴻巣の赤物」
  スクラッチくじで2等が2本当たった。
観光協会でも初めてかもしれないといっていた。
こうのす冷麺、と川幅うどん、
200円足して
臼井常吉商店の白猫(リボン色ちがい)を購入。
   
 こうのす冷麺と川幅うどん 臼井常吉商店の白猫(右)





    またまた鴻巣練り物を探しに冬のひなの里を歩く
                                                          2021年12月19日

 太刀屋から急遽黒猫ができたというので年明けを待たずに受け取りに行く。訪問の中でいろいろと不明だったことが判明してきた。

今日も天気がいい。
駐車場に車を駐めてる。
臼井常吉商店は閉まっている。
絶好の散策日より
先週まであった団子屋の招き猫が
なくなっていた。
シャッターが降りていた ない!
バス停も「人形町」表示 富士塚ではないようだ
前回見ていなかった
八幡神社内の浅間神社を見に行く。
富士講の富士山があるかと思ったが
どうではないようだ。
しかし一段高い位置に祠があるので、
富士山信仰のひとつなのであろう。
拝殿の隣にある碑を見ると
拝殿などの改築記念の碑のようだ。
明治33年(1900)竣工。
秋元人形店の秋元定太郎、、
酒巻商店の酒巻龍次郎、
島田商店の島田森五郎などの氏名もある。
改築記念碑(明治33年)
散策していると
実際にはなかった「人形町」の
表示があちこちに見られる。
やはり「人形」より
「人形町」の方がぴったりくるのだろう。


 太刀屋に黒猫を受け取りに行く。大塚文武さんとの話の中でいろいろ得た情報は多かった。


太刀屋に黒猫を受け取りに行く。

暖簾の「藤堂」に関しては
わからなかったが、

帰宅してから「鴻巣の赤物」で
再度調べると

鑑札を出した領主の旗本「藤堂家」の
焼き印であることがわかった
太刀屋「藤堂の暖簾」   赤物が、招く
代表的な赤物が並ぶ 干支の寅
いろいろと話を伺う。

風水のカラフルな招き猫は
神社の依頼で制作したものであった。
こんな物も依頼されて制作したという
両手招きがあるとのこと。
早速見せていただく。
中のサイズで両手挙げ。

右足で千両箱を踏みしめている。
どのようなところからの依頼だったか
聞き忘れてしまった。
販路があるわけではないので在庫があり、
特に店頭にも並んでいないようだ。
どの程度の在庫があるかわからないが
興味のある方は問い合わせてみると
いいかもしてない。
1匹連れて帰る。
来春行ったときにもう1匹買ってこよう。

詳細画像は「招き猫・猫図鑑」に
近日中に掲載
黒猫大々と両手招き
太刀屋に行く前に先日「具○土郷(郷土玩具)」の文字が気になった
お宅の裏にまわってみた。残念ながら表札がなかった。
しかし太刀屋の大塚さんの話で「島田商店」と判明した。
もうかなり前に制作はやめたそうで、
奥は駐車場やアパートになっているそうだ。
裏側探索をしたときにあった駐車場やアパートは
すべて島田さんの敷地にあったようだ。

酒巻商店もすでに制作を辞めて看板しか残っていない。
道具などの資料は博物館に寄贈されたと聞いた。
酒巻商店の敷地も同様に奥に長かったとのこと。
 大正13年の町内地図  
秋元人形店も細長い敷地だったようだ。
秋元商店の資料に関しては
どうなったかわからないとのこと。
敷地は右奥の家よりさらに続いていた
間口税の名残
吉見屋製麺所(左)
はるか奥まで敷地が続く。
同様に後に買い取られて
開業した医院(右)も

細長い敷地が続く。
吉見屋製麺所 太刀屋近くの医院

 気になった赤物制作3軒のひとつ「臼井一郎商店」を探しに行く。調べてあった住所に店らしいものはない。しかし「臼井一郎」の名前はあった。この中で制作しているのか?家の前にある二階建ての建物がつながっているようにも見えるのでここが制作場所になっているのかあるいは無関係なのかは判明しなかった。

現在赤物制作をしている一軒の
臼井一郎さんの住所をたどる。
ポストに名前はあったが一般の住宅と
見分けはつかない。
表の2階建ての建物は関係が
あるようなないような、判断は難しい。
現在生産数はかなり少ないようだ。
臼井一郎宅
臼井常吉商店が開いていた 海老の木型
達磨や獅子頭が並ぶ 招き猫を出してきてくれた
福缶に入っていたのはオレンジも招き猫 海老(中) 12年前の寅
海老いろいろ 現在制作中の干支の寅 平成23年(2011)指定
海老のケシ(右)と中(左)
下はサイズ参考用の500円硬貨

わが家の鏡餅にはケシでも大きかった。
先週買ったのは大か?
今回帰りに臼井常吉商店のシャッターが半分開いているのを見かけた。
チャンスと戸を開けて声を掛けるがなかなか返事がない。
何回か声を掛けると女性が出てきた。現在干支の寅を制作中だったようだ。
いろいろとお話を伺う。お名前を伺ったがメモする前に失念してしまった。
詳細に関しては「招き猫・猫図鑑」の臼井常吉商店に掲載する予定
 
大のグレー(後左)をと薄小豆色(後右)
小の色違い。黒以外は初めて見る色。

グレーはひなの里で購入したものと
若干彩色が異なる

詳細画像は「招き猫・猫図鑑」に
近日中に掲載
 
臼井常吉商店で初めて?の赤物招き猫か 

 今回の訪問でこれまで不明だったこと少しわかってきた。何より臼井常吉商店の制作者とコンタクトをとる手段を得たことは大きかった。

 なお、招き猫に関しては「招き猫・猫図鑑」のそれぞれの制作者ごとに画像はアップする。
 来春、新型コロナの状況がどうなっているかわからないが、ひな祭りに合わせて再訪問・追加購入する予定だ。







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