今町人形?          

                     今町人形に猫は存在したのか?

今町人形?
 種類:土人形
 制作地:新潟県南蒲原郡今町 (現・見附市)
 現制作者:廃絶
 

        備考
初代  橋本吉六   1860年ころ−    
二代 橋本政治         −1938         −昭和13年  
三代 橋本元治      
四代 橋本二七    
         



 今回初めて疑問符付きの土人形を扱った。実は以前三条人形で紹介しているのだが今町人形の可能性もあるので分離してみた。したがって、猫の画像は同じものを使っている。また三条人形で紹介した画像はそのまま残してある。
 今町人形は武井(1930)によれば「僅か30年の歴史しか持っていないとある。それに従えば明治中期の発祥となる。橋本政治は商人を志していたが、中年から人形職となり、師の元で指導を受けることもなく制作をおこなった」とある。
 初代の橋本吉六は明治の初めころから人形作りを始めたと考えられている。吉六の子の政治、その子の元治、さらにその子の二七と四代にわたり人形制作が行われたが、二七は断片的にしか人形制作を行わず、やがて人形制作を中止し下駄職人となり、長岡に移住し今町人形は完全に廃絶した。元治が制作をやめた後、従弟の橋本道太郎、兄弟弟子の石田善治郎も受け継いだが短期間で廃絶した。
 川口栄三が昭和の初期に橋本政治から直接聞き取りをおこなっているが残念ながら手元に文献を持ち合わせていない。各制作者の生没年もよくわからないのが現状である。

 新潟土人形を取り上げたときにも書いたが、新潟県にはかつて多くの土人形(や練り物人形、張り子など)が存在した。しかしそのほとんどは現在廃絶してしまった。今町人形もその一つである。その今町人形は三条人形と類似した作品が多い。

 参考文献にある郷土人形図譜第U期第1号(通巻第11号)三条人形・今町人形(2000 日本郷土人形研究会)が唯一のまとまった資料であると思われる。先に述べたように三条人形は日本郷土玩具 東の部(1930 武井武雄)では約30年程前に廃絶したとの記述がある。俵(1978)にも三条人形の名称は出てくるが解説はされていない。
 ねこれくと三条人形の再録になるが、三条人形は郷土人形図譜(2000)の調査によれば、三条市八幡町の八幡宮と泉薬寺の間あたりの場所、天神前通り付近で制作されていた。その八幡宮の近くで小林三六、野口某(3軒ある野口家のどこで制作されていたかは不明)、藤倉某(4軒ある藤倉家のどこで制作されていたかは不明)により明治時代の初期頃から作られていた。廃絶時期は日清戦争(1984−5、明治27−8年)物の人形があることからそれ以降と考えられている。また制作地の八幡町を分断するように八幡宮と泉薬寺の間に越後鉄道弥彦参宮線(現JR弥彦線)の敷設が1919年(大正8年)末に発表され、その工事着工が1922年(大正11年)であったので、この間に該当地域の居住者移転に伴い三条人形は廃絶したと考えている。制作者の移転先は不明で昭和初期にはすでにその手がかりとなるものは残されていなかったという。
   ※郷土人形図譜(2000)では泉楽寺となっているが泉薬寺の誤記と思われる。

 その三条人形と似た人形に今町人形がある。両者の制作地は近く、作品も類似した作品が多い。この点に関して郷土人形図譜(2000)では伏見系の同じ型から型抜きしたり、三条人形と今町人形間で型抜きをした結果ではないかと考えている。また両者の判別において三条人形はほとんどの作品に金泥を使用し金砂を使っているものも多く、銀泥は使用していない。それに対し今町人形は銀泥を使用し金泥・金砂を使用していない。目の描き方にも違いを認めているが動物の目には当てはまらないのでここでは触れない。またすべてではないが底の形状は今町人形は底が平らにできているが、三条人形では内側に凹んだり平らに仕上げられていないものも見受けられるとある。今町人形は練り物や張り子なども制作したようで張り子には猫もあると伝えられている。しかし土人形の猫があるということは確認できていない。
 今回扱った「猫と太鼓」も所有している三条人形の作品は金泥を使用している。郷土人形図譜(2000)に掲載されている人形も金泥を使用し、金砂のようなものも見られる。これは三条人形で間違いないと思われる。
 しかし今市人形の可能性がある下の2点は銀泥が使用されている。これはネット上で採集した画像なので限られた方向からの画像しかない。
 比較してみると型は同じように見えるが、彩色はかなり異なる。この2点共にまったく金彩は使われていない。その代わりに銀彩が用いられている。鼻の描き方も異なる。平田(1996)に掲載されている作品はモノクロであるが顔の彩色は銀彩の2点に近い。ちなみにこの個体を平田(1985)では今町人形として紹介している。どのような経緯で平田(1996)では三条人形としたかははっきりしない。
 残念ながら今町人形で「猫と太鼓」が制作されたという記録は今のところ上の平田(1985)しかみかけない。
 まだ標本数が少ないので決定的なことは言えないが、この銀彩の「猫と太鼓」は今町人形と考えた方がいいように思っている。
 今町人形は現在も時々手頃な価格で出品されるので、機会があれば今町人形の作品を入手して比較してみたい。

 ちなみに、この「猫と太鼓」の猫は目呂二の趣味の猫百種にも採用されている。この猫は銀彩に前垂れの下の縁に群青が使用されている。面相からも明らかに「今市人形の可能性がある土人形」と同じ彩色が採用されている。当時かなり流通していたことがうかがえる
                    目呂二ミュージアム「趣味の猫百種改訂版」


添付された目録はない
8番(八)で最初に頒布された
10点の中のひとつ
目呂二の三条とされる猫  


現在の今町と三条の位置関係
相互間の距離は近い
見附市みっけマップ小中学校区マップに加筆
旧今町は今町小学校、今町中学校のほぼ校区と同じというので紫線で囲まれたあたりとなるのであろう


 今町は1889年(明治22年)町村制施行により新潟南蒲原郡今町が誕生。1956年に見附市に編入合併されて消滅した。今町の町名は見附市の中に残る。編入合併前の今町の区域は現在の見附市立今町小学校・中学校の校区とほぼ同じという。

今市人形の可能性がある猫1  
猫と太鼓  
銀色の鈴を付ける 赤い首玉

はっきりした記録は残していないが
ネットオークションに今町人形として出品されていたと思われる
首玉の銀の模様から今町人形としたのだろうか?
白猫に黒い斑、頭には斑はない
耳の中は塗ってあったようにも見えるが
退色あるいは剥離したのか

赤い首玉に銀の模様(鈴?)、赤い前垂れの下の縁は群青
背面の彩色はかなり簡略化されている
太鼓の打面はよく保存されている

※画像の掲載許可を取っていません
ご連絡いただければ許可申請いたします
底部に穴が一つある


今市人形の可能性がある猫2  
猫と太鼓
鼻の描き方が異なる 首玉に銀色の鈴?
首玉の模様(鈴?)は銀 左後ろ足の斑以外模様はない
これもネットオークションに出品されたもの(らしい)
比較的彩色がよく保存されている
出品者は裏にいたずら書きがあるとかいている
おそらく手足の輪郭線だろう
前面の手や尻尾にも同様の線がある
今まで輪郭線のある個体は見たことがないので
やはり所有者が描いたものであろう
墨で書いてあるのでさほど違和感がない

黄色の丸目に黒い瞳
黒い斑のある白猫
頭に黒斑はなし
鼻の描き方が上の2点とは異なり赤い線描きになっている
赤い首玉に同じ赤い前垂れ
首玉には銀の模様(鈴?)
前垂れは二色の布で作られたようになっている
首玉には鈴が付く
前垂れの下の縁は群青
底部には彩色の際に串を刺した穴が2つある
郷土人形図譜(2000)に掲載されている「猫と太鼓」は
金彩を用いているが猫の面相はこれに近い



※画像の掲載許可を取っていません
ご連絡いただければ許可申請いたします


<参考> 今町人形天神  
今町人形の天神
高さ112mm

今市人形後期の作品か?
背面は衣装の黒のみの彩色
金彩は一切使われていない
手に持つ笏も銀で描かれている
胸には銀の梅鉢紋
郷土人形図譜(2000)と同作品であるが
目や口の描き方は異なる

底部は平らになっている


<参考>三条人形の「猫と太鼓」  

猫が太鼓を抱く構図
三条人形で動物単体はこの猫以外に犬と鶏だけと少ない

金泥を使用した三条の猫
黒い斑の入った白猫
黄色い目に黒い?瞳
鼻は黒で描かれている
かすかに鼻の線の赤が認められる
緑の首玉に金の鈴、赤い前垂れの縁は金
尻尾は長く黒い
底部には彩色の際に串を刺した穴がある

高さ95mm×横107mm×奥行50mm
<参考>「平田玩具店所蔵の猫と太鼓」 (下)  
 猫と太鼓
平田(1996)より

モノクロの小さな画像であるが
鼻の描き方がよくわかる
前垂れも二色になっているようである
金彩か銀彩かは不明
猫と太鼓
平田(1985)より

上の猫と同じ個体
ここでは今町人形として紹介している

平田嘉一 著『おもちゃのふるさと図鑑』,
東寺庵文庫,1985.1.
国立国会図書館デジタルコレクション


<三条人形?>
前垂れ部分の彩色が異なる  

「猫と太鼓」だがこれまでの作品とかなり彩色が異なる
前垂れは4色に塗り分けられていて
それぞれに金泥?で柄が入る
首玉と鈴も金泥による彩色と思われる
金泥部分は酸化によってくすんで見えるのか?
首玉の裏面は彩色なし
目の描き方が異なる
後頭部に黒の斑が入る
太鼓の裏面に黒

後頭部に黒い斑  

※画像の掲載許可を取っていません
ご連絡いただければ許可申請いたします
底部は平らで穴が1つ




今町べと人形伝承会
 現在「今町べと人形」として今町べと人形伝承会が制作している。平成16年(2004)の豪雨の復興計画で地域復興調査委員会が地域の歴史や文化を掘り起こしている中で郷土人形が制作されていることを知った。それを何とか復活させようと試行錯誤の結果、人形を完成させた。現在は伝統と創作を交えて制作を続けているという。中心となって活動している藤田さんが三条出身というのも何か因縁を感じる。詳しくは下記の関連リンク先をご覧ください。  





参考文献
 郷土人形図譜第U期第1号(通巻第11号)三条人形・今町人形(2000 日本郷土人形研究会)
 全国郷土玩具ガイド2(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
 おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
 日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
 「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972 私家版)
郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
 日本の土人形(俵有作、1978 文化出版局)
 高志路1965年8月号(川口栄三、1965 新潟県民俗学会)
 おもちゃのふるさと図鑑(平田嘉一、1985 東寺庵文庫)

今町べと人形伝承会に関して
  ふうど 2020年秋号vol.50(株式会社タカハシ ふうど編集室)
        リンク切れの時は「ふうど 2020年秋号」(ねこれくと内PDFファイル)
 どまいち(新潟ど真ん中市場) 「今町べと人形伝承会} 見附市観光協会
 みやげもんコレクション325「今町べと人形」 マガジンハウス
 新潟直送計画「今町べと人形伝承会」