串茶屋の猫宮再訪   2012年3月

 中野ひな市の寄り道その2として小松市串の猫の宮を訪ねる。今回は特に串茶屋資料館を見学することが大きな目的だ。
まずは猫宮から。車は串八幡神社の駐車場に駐められる。数々の奉納品を見ながら社殿に向かう。けっこう見逃していたものも多い。

 串八幡神社 なぜか入り口にあたる階段が社殿正面にない  
以前にも書いたようにこの神社には
やたら奉納品が目立つ。 
しかもそのサイズも
かなり大きなものが
多いのだ。
この地域にはある歳になると
年男達が奉納するようだ。
ある歳とは初老(55歳)らしい。
初老を調べてみると
はっきりした定義は

ないようだが40歳の別称として
使われているようだが、
この地域では55歳をひとつの
区切りとしているようだ。


憲法発布の碑があった。
もしかしてこれは明治憲法?
今度よく見てこよう。
 
 
 こんな碑があった(憲法発布の碑)  串八幡神社由緒の碑
 串八幡神社由緒
 
   社殿  
 こんなもの見つけた  猪は足腰健康と関係あったのだ
  こんなものもあった。 
これも奉納品。
足と腰の健康に
御利益があるのだとか。
   足腰が丈夫になりますように  

      
 さて2年ぶりの猫宮だが、似た祠があるのに気がついた。前回は本物を先に見つけたので気がつかなかったが、つくりはほとんど同じである。社殿の近くにありきちんと石畳の敷石もある。注連縄が張られていて目立つところにある。正面に柱がある点が異なるが知らないと見間違えてしまう。脇には昭和38年度(1963)の初老祝いの碑文があるので見分けが付く。でも見に行くときには気をつけたし。

 猫宮再見 これが本物の猫宮 
 正面  裏側から
 類似の祠に注意  
 社殿近くにある初老祝いの祠  昭和38年奉納の碑文がある
 つくりは似ているが正面に柱が2本ある。こちらの方がりっぱで目立つ   以前組み立てていた鳥居。これも奉納品?

 前回見逃した串茶屋民俗資料館に向かう。電話をするとしばらくして自転車で館長さんがやってきた。
 この資料館は古民家を利用して造られたと思っていたが、単なる古民家ではなかった。造り酒屋の客殿であった。しかも何回か移築をしているという。
しかしこれだけの資料館を町内会で維持していくのは大変なことだろう。

 串茶屋資料館は改修に向けて動き出した。増築分を取り壊し本来の姿に戻すとのこと
                               (2020年7月北國新聞より)

 
 串茶屋会館の裏にある資料館 一般の民家を利用した資料館と思ったら・・・ 
 
塀の向こうが資料館   欄間
明治天皇の休憩のために利用した部屋。一段高くなっている。 
 串茶屋民俗資料館
住所 石川県小松市串茶屋町甲30
電話 館長および前館長の自宅のため掲載しません 
備考  バスは本数が少ないので注意
  普段は閉館しており、電話すると開けに来てくれる 

  明治天皇の北陸巡幸の際に御小休所としても使われた 
いろいろ調べて掲載しようかと思ったのですが
こちらを見ていただいた方が間違いも
少ないと思いますのでどうぞ
 『串茶屋資料館へようこそ』
(リンク切れ)
 
 壁は跡からの改修らしい  
 天井画の「雲龍」は
加賀藩お抱え絵師であった
佐々木泉景の作
  天井の雲龍 
 さすがに御小休所として使われただけあって
重厚なつくりだ 

 平屋建てだが奥にりっぱな部屋がある。元々は酒屋の客殿であったらしいが、その後明治天皇の北陸巡幸の際の休憩所として使用するため一段高い今のようなつくりとなったようだ。その後企業で使われたり公民館として使われたりしたこともあるようだ。
 遊女の墓にちなみ串茶屋関係の資料が多いが、民俗資料館とあって地元に関係する人にちなむ品々も多く展示してある。説明を聞かないとなかなか展示物の重要さはわからない。

 貴重なものがさりげなく置いてある
文政のころの
遊女の俳句奉納額もそのひとつ
かすかに文字らしいものが残る所もある
X線など今の技術を技術を使えば
文字を判読することは可能と思われるが
町内会の一資料館としては
なすすべがないのだろう
   遊女の俳句奉納額  
   ネットで調べてみると
天保のころ飢饉などで

お客が激減し、またお客がたくさん来て
早く年季が開けるのを願って
お狐様を彫ったのだとか。
しかし狐を見たことのない遊女達は
見本になった白山狛犬を
お狐様の化身と信じて彫ったのだとか。
館長さんの話しの中にも
お狐様の表面は石で磨いたと
いう話しがあった。

???
むかしはそんなに狐が珍しかった?
稲荷信仰もあるし疑問が残る
白山狛犬について調べてみたが
これも奥が深い。 
 遊女が彫ったとされる狛犬 なぜかお狐様と呼ばれていたらしい
   
 雲龍と同じ佐々木泉景の襖絵   佐々木泉景の天袋の戸棚絵と
清水春坡の漢詩の額 
 
  小松砂丘の
「串茶屋の 繁昌おもふ 花の春」
うら若き おいらん衆や 松の花」 
   明治初年の串茶屋一里塚  
 大聖寺屋の看板 駒屋の花魁「玉舟」 明治初年   
 
40年前の遊女の墓   40年前の遊女の墓
 文献が豊富にある ただし当然ながら展示は複写が多い  遊女の使用した品々 

 せっかく貴重な資料を収集展示してあるのに来館者がきわめて少ないのは残念だ。もっとも多ければまたそれに対応しなければならないので人手の点で大変だ。ゆっくり見ている間、質問をしながら館長さんにお付き合いをさせてしまったのは申し訳ない。
 ちなみに猫宮の件を尋ねるとよくわからないとのことだった。しかし資料を探し出してくれそれを写真に撮らせてもらった。少し長居させてもらったが御礼を言って資料館をあとにした。

 串茶屋バス停  串茶屋猫
 昔の風情が残る家も少なくなった  一里塚跡(江戸から東海道まわりで142里)

 遊女の墓に行ってみる。墓地の入り口近くに府中屋と表示された墓石群があった。もしかして串茶屋の始まりである茶屋府中屋と木下の府中屋か?

   府中屋 もしかして串茶屋発祥の府中屋か?
 説明板が新しくなっていた  管理者は串茶屋町内会とある
補修中>ブルーシートに包まれた墓石もある    俗名 越之井
  法名「釋妙幻」 何となく艶めかしい法名だ 
 俗名 若藤    
ブルーシートに包まれていたのは俗名政尾の墓だった。2年前にも崩壊寸前だった  駒屋 志可
 俗名 きぬ 享年十四歳だった    こちらも補修中


 さて先を急ごう。おいらん灯籠のある正八幡神社に行く。おいらん灯籠は本殿の脇にある観音堂前にある。本殿の改築に伴い、旧神殿を移築して建てられたようだ。ここの灯籠と狛犬にもブルーシートがかけれれていた。やはり補修のためなのだろうか。それとも単に風化防止なのだろうか。どちらにしろ風化しやすい石材だけに単に日々を補修したくらいでは今後の劣化に対応しきれないだろう。

 
 一の鳥居 創建当時は右の道はなかったのだろう   社殿
本殿などは 1967年に改築  おいらん灯籠と狛犬にはブルーシートがかけられていた
おいらん灯籠のある観音堂は
本殿の改築に伴い、
旧神殿を移築して
建てられたもののようだ。 
   補修中か風化防止か  
 下の部分は覆いがない  風化が進んできた 文久の文字も風前の灯火 

 一日遊んでしまった。まだまだやることはたくさんありそうだ。
 通りを中心に歩いていたが、水運の遺構もあるようなのでそちらも次の機会に見学しなければならない。小松の博物館も行く必要があるだろう。
 猫宮のあった位置もまだ特定できていない。

 
 造り酒屋があった  串バス停  
 
 かつてこのあたりに猫宮があったはずなのだが 猫宮さんに何か知っているか聞いてみたい 

 なお、ネット上で調べてみると電話帳に載っている「猫宮」さんは25件ということだ。最近では電話帳に載せない人が多いがそれにしても少ない。北海道20件、石川県4件、千葉県1件とのこと。北海道が圧倒的に多いが北海道の苗字は東北地方と富山・石川・福井の北陸3県に起源を持つ苗字が多いからなのだそうだ。開拓時代の移住者と関係があるのだろう。これだけ少ない猫宮さんなのでやはり語源はもとあった猫宮と関係がありそうだ。
 ひとつうっかり忘れていたことがある。それは小松市串町チ118という住所だ。現在もこの住居表示は使われている。地図を見ていると「甲乙丙セトヰいう」いろいろな文字が番地に使われている。目的の小松市串町チ118は思っていたより少し串八幡神社に寄った所だった。大きな家があるようだ。町内図には住居表示がない。今度確かめに行ってみよう。



                              小松市「猫宮」を探しに行く 2010年3月