高松張り子と諸玩具暫定版      

紙張り子・土人形
 種類:紙張り子・土人形
 制作地:香川県高松市
 現制作者:川端理恵、臼井融
 
 高松張り子の始まりは松平頼重(1622−1695)が転封〈国替〉により寛永16年(1639)に讃岐国高松藩初代藩主となった時、人形製作をできる家臣が製法を伝えたとされているがはっきりした文献などは残っていないという。明治になり旧高松藩士の梶山政吉が反故紙などを用いて張り子制作を始めた。

 高松張り子をはじめとする諸玩具は宮内フサさん・マサさんの作品群があまりにも有名で「高松張り子=宮内フサ」という構図になってしまったが、実際には多くの制作者が存在した。
 ここでは高松張り子の制作者の研究に関しては先達の調査があるのでそちらに任せ、猫に関してを中心に取り扱うものとする。

 残念ながら高松張り子には猫の作品がほとんど見当たらない。縁起物が多い高松張り子だが猫に関してはせいぜい「猫に小判」程度である。最近は宮内フサの孫にあたる太田みき子が張り子を制作をしていたが残念ながら2025年1月に亡くなり、そのあとをフサのひ孫にあたる川端理恵が継いでいる。またフサの孫にあたる永井節子がつまみ人形を制作しているが現在でも制作を続けているかは不明である。最近は宮内家の系統の張り子を「高松宮内張子」と称している。
 「沢井徳増・ツネは昭和の初めに首振り猫(他に獅子かぶり首振りや首振り猿)を注文で制作したとある。20年ぶりに型を取り出して制作した」(加藤増夫 1977)とあるのであまり多くは制作されなかったと思われる。明治か大正頃の古い型なのであろう。
 現在制作が確認できている猫は先の「猫に小判」の外に「鈴付き猫」の張り子とつまみ人形がある。「鈴付き猫」は箱座りをした猫であるが、かなり洗練された形をしているので比較的最近になって作られたのかもしれない。どちらにせよ型は空襲ですべて失われているので、現在制作されている張り子は戦後にフサやマサエにより型が復刻あるいは創作されたものである。
 また宮川家とは別の系統で黒川房吉の黒川系の流れをくむ「乃村玩具製作所」やそこで修行して独立した「張り子工房ウスイ」でも張り子制作がおこなわれている。「張り子工房ウスイ」では伝統張り子の奉公さん以外に創作張り子の招き猫や眠り猫を制作している。
 乃村玩具製作所の乃村七重に関しては現在制作を続けているのかは確認できていない。

梶川屋      
初代 梶川政吉     −1914     -大正3年  
   梶川竹次郎     −1938     −昭和13年  政吉長男  明治43年廃業
沢井徳増店      
  沢井(梶川)ツネ
沢井徳増
    −1934
    −1939
     -昭和9年
    −昭和14年
政吉長女 沢井徳増と結婚 
沢井徳増店 昭和9年廃業
         
梶川竹次郎     −1938     −昭和13年 一時制作を再開
高松宮内張り子      
初代 宮内フサ 1883ー1985 明治16年-昭和60年 政吉二女
二代 宮内マサヱ 1910−1995 明治43年-平成7年  
三代 太田みき(幹)子      -2025       −令和7年 宮内張り子三代目 張り子制作
四代 川端理恵     みき子の子
  永井節子     フサの孫 つまみ人形制作
※1 高松宮内張り子として    
         
高松張り子(黒川系)      
  黒川房吉     −1918       −大正7年  
  黒川ミチエ     房吉の養女
  参川キヨ 1878-1957 明治11年−昭和32年  房吉の手伝いで後継者
  及村定一       -1979       −昭和54年 昭和30年頃より技術を習う 
  及村タツ子     定一の子
  及村七重     定一の子  及村玩具製作所
         
張り子工房ウスイ      
  臼井融(とおる)     及村玩具勤務後独立
     春代    
         
大崎文仙堂       
  大崎豊五郎 −2008 −平成20年  
         
         





高松・宮内張り子

梶川屋      
初代 梶川政吉     −1914 嘉永?年−大正3年 藤内屋人形店で修業 80歳没
  梶川竹次郎     −1938       −昭和13年 政吉長男  明治43年廃業
         
沢井徳増店      
  沢井(梶川)ツネ
沢井徳増
    −1934
    −1939
   −昭和9年
   −昭和14年
政吉長女 沢井徳増と結婚 ※1
沢井徳増店 昭和9年廃業
      梶川政吉の型を受け継ぐが跡継ぎがなく廃業
梶川竹次郎   沢井家の型を受け継ぎ一時制作再開
         
高松・宮内張り子      
初代※2 宮内フサ 1883ー1985 明治16年-昭和60年 政吉二女 ※5
二代 宮内マサヱ 1910−1995 明治43年-平成7年   ※3
三代 太田みき(幹)子      -2025       −令和7年 宮内張り子三代目 張り子制作 ※4
四代 川端理恵     みき子の子
  永井節子     フサの孫 つまみ人形制作
         
         

 ※1 フサの姉ツネは沢井増徳と結婚して沢井増徳店で制作
 ※2 高松宮内張り子としての代
 ※3 フサの子 マサエは小野氏と結婚して中国に渡るが夫が病死して昭和18年帰国して実家の宮内家に戻る
    マサエと長男宮内薫の嫁米子が奉公さんを作った
 ※4 マサエの長男宮内薫    マサエの姪  神戸で人形制作
 ※5 梶川フサは宮内利吉と結婚して宮内姓となる フサ長男孝太郎  次男利三郎(現宮内電機 取締役会長)
     高松、宮内張子コーナーを開設している(株)宮内電機の取締役会長の宮内利三郎はフサの次男にあたる。

  ※Facebook(有)民芸福田の2025年1月発信で太田みき子さんが92歳で亡くなられたとの情報があった。


 香川県伝統工芸品でも「宮内張り子(土人形)」の名称が使用されている。
 初代の梶川政吉は武士の家柄であったが、明治になり生活が厳しく鍛冶屋町にあった藤内屋人形店に修業に入り、伏見人形の系列である人形制作の技術を身につけた。その後独立して鍛冶屋町に嫁入り道具販売兼張り子製造販売店梶川屋を開業した。
 加藤博揚(1940)では梶川政吉は大正14年に61歳で亡くなっている。弟子入りしたのは藤田屋となっている。
 政吉には6人の子供がいたが、その中で政吉の長女ツネと次女フサ、長男竹次郎の3人が小さい時から見よう見まねで手伝ううちに人形制作の技術を習得していった。特にツネとフサは小さい時から父親の傍らで人形づくりを競っておこなっていた。長男竹次郎は梶川玩具製造販売を相続したが器用でいろいろと事業を広げた結果事業に失敗して廃業してしまった。
 政吉の長女である梶川ツネは沢井徳増店の沢井徳増と結婚して梶川政吉の型を受け継いで人形をを制作した。しかし跡継ぎがなく戦前にツネ・徳増が共に亡くなり沢井家での人形制作は途絶えてしまった。梶川竹次郎は沢井の型を引き継ぐが昭和13年(1938)に竹次郎も亡くなってしまった。
 その後を継いだのはツネと小さいころから人形作りをおこなって、宮内家に嫁いだ梶川(宮内)フサであった。
 しかし太平洋戦争により時代は人形どころではなくなり、人形制作も中断した。さらに空襲により宮内家の型もすべて失われてしまった。戦後、宮内フサの記憶により大小150種余りの型が起こされ張り子制作が復活した。その後フサは102才まで娘のマサエと制作を続けた。フサが90才を超えるころには彩色までの仕事はすべてマサエがおこなっていたという。ネットオークションでもフサの銘が入った作品は多いが、マサエの銘は少ない。戦後いっしょに制作していたはずだがフサの銘で販売していたのだろうか?マサエの彩色はフサ以上に豪快であったという。日本橋東急で郷土玩具販売会が開催されていたころはマサエ作の作品はいくらでも入手できたが当時は購入していなかった。マサエが亡くなった後もその親族によって制作が続けられ現在に至っている。
 張り子の「鯛もちえびす」が昭和34年(1959)用の年賀切手に採用された。

 なお、フサには5女2男の子供がおり、マサエ以降の制作者である太田みき子や永井節子がだれの子であるかはまだ調べがついていない。
 フサの長男孝太郎の嫁米子もフサを手伝ったようである
 マサエの長男は宮内薫であるが夫が中国で病死しているので他に子供がいたかは不明。
 マサエの姪が神戸で人形制作を続けている(21世紀に残したい香川 四国新聞2002)

猫に小判   

猫に小判
右(大)は張り子
左〈小〉はつまみ人形

張り子は川端理恵の作であるが
つまみ人形も彩色などから
川端の作と思われる
猫に小判(張り子)  

猫に小判
大阪練り物の猫に小判(大崎文仙堂で復元したタイプ)とは
かなり形状が異なる
大阪練り物には小判を縦に抱いたタイプもあるので
その流れの可能性もある(大阪練人形)

高さ98mm×横90mm×奥行52mm

              
 鈴付き猫  
鈴付き猫
右(大)は張り子
左〈小〉はつまみ人形

川端理恵作
 鈴付き猫(張り子) 太田みき子作  


3代 太田みき子作

白猫に黒い斑の猫が箱座りしている
首には赤い布の首玉を結んでいる
鈴は首玉には付いておらず金ラメが施されている
前足としっぽの輪郭が描かれている

高さ81mm×横114mm×奥行66mm


鈴付き猫(張り子) 川端理恵作


4代 川端理恵作

色遣いなどもみき子作と同じで
3代目太田みき子のつくりを踏襲している
耳の彩色はみき子作とは左右異なる
またひげの描き方も異なっている
鈴は金色の紙が使われている

高さ83mm×横103mm×奥行65mm

つまみ人形
つまみ人形 座り猫(左)
高さ31mm×横52mm×奥行29mm

つまみ人形 猫に小判(右)
高さ40mm×横30mm×奥行20mm
どちらも土製
永井節子さんがつまみ人形を制作していると聞いたが、
東京民藝協会たより(2015)によれば視力が悪くなり人形作りが難しくなったとの記事がある
つまみ人形の彩色は張り子と同じで「高松 宮内張子」と紙が貼ってあるので
つまみ人形も川端理恵作と思われる

参考画像  
太田節子作と宮内フサ?作のつまみ人形  
※掲載許可を得ていませんので、ご連絡いただければ正式に掲載申請いたします 
   


 高松のつまみ人形はセット物をよく見かける。種類は30種以上あるようでそれぞれに縁起のいわれがある。よく見かけるセット物は20種類が共箱に入ったものだがこの中には「猫に小判」は見かけない。
 一方この地方にあったデコもらい(デコくばり)の風習では「猫に小判」はよく使われたようである。

参考画像 
羊の土人形(左)




狆鯛の張子(右)




羊(土人形)
嫁入り人形のこのような羊があったのかは不明
高さ44mm×横64mm×奥行33mm

狆鯛(張子)
高さ51mm×横64mm×奥行34mm
5個セットの1つ 購入者の覚書から昭和31年2月に高松で購入したことがわかる
戦後に制作再開されてからまだそれほど立っていない時期の張子と思われる
 
手のひらサイズで、デコくばりに使われた人形は
この程度のサイズだったのだろうか


 


年賀切手になった「鯛もちえびす」
初日カバーであるが地元の郵趣連合会発行であまり見かけないタイプである
和田邦坊作の絵を機械木版画印刷している
解説は戦前から親交のあった加藤増夫氏なので「宮内婆さん」と親しみをこめて書いているが、
まだフサさんは当時70台半ばであった

和田邦坊(1899−1992) 漫画家、画家、デザイナー、小説家 元讃岐民芸館初代館長
加藤増夫(1895-1973):郷土人形研究家、郷土史家
 宮内フサ作の鯛もちえびす

宮内フサ101才の作品
最晩年の作と思われる
高さ108mm×横100mm×奥行67mm   
  「鯛もち戎の人形」
添付しおり 
宮内マサ作
御殿狆
宮内マサ83歳の作
晩年の作


参考資料(奉公さん)
宮内フサ作  
宮内フサ最晩年の奉公さん
高さ223mm×横111mm×奥行98mm 
比較的大きい作品
宮内張り子の奉公さんは宝珠が描かれる

添付の奉公さん由来と香川県郷土玩具の栞(左と下)

太田みき子作  
奉公さん
三代目太田みき子作
高さ97mm×横48mm×奥行40mm
添付の奉公さん由来書  




高松張り子(黒川系)

黒川系      
  黒川房吉     −1918        −大正7年 松尾勝次の弟子
  黒川ミチエ     房吉養女で制作を手伝う
  参川キヨ 1878−1957 明治11年−昭和32年  黒川系後継者 80歳没
乃村玩具製作所      
  及村定一      −1979       −昭和54年 昭和20年代頃より参川キヨに習う 
  及村タツ子     定一の子
  及村七重 1949?- 昭和24年?− 定一の子  及村玩具製作所
         


 福田町安養寺付近でおもちゃを制作していた松尾勝次に弟子入りした黒川房吉により明治末頃より制作が始まった。房吉の娘ミチエも制作を行った。房吉は大正7年頃に亡くなり黒川ミチエがしばらく制作していた。大正11年頃、おもちゃの販売をしていた清野東次郎が黒川の原型をすべて譲り受けたが昭和6年ごろに亡くなってしまった。その後、参川(さんがわ)キヨによって黒川系の張子が制作された。参川キヨはミチエから張り子制作の手ほどきを受けた。面、奉公さん、首振り寅、振りつち、起き上がりなどの制作をおこなった。
 参川キヨは高松八阪町で奉公さんなどを制作していたが空襲で工房や原型を失い疎開して農業を手伝ったが、昭和23年頃に高松に戻り中村製帽商に同居して張り子制作を再開した。その後、昭和25年頃乃村定一の援助を受け、指導を行い乃村玩具製作所で制作を手伝った。定一の子の及村タツ子も制作を行った。定一の子、及村七重も張り子制作をおこなった。
 奉公さん以外に上記のような各種の張り子を張った。猫の張り子を制作したかは不明である。後継者である乃村七重は昭和60年に香川県伝統工芸士に認定されている。七重さんは「21世紀に残したい香川」(2002)取材当時53歳なので1949年頃の生まれとなる。下記のリンク先を参照されたい。
 手元に作品の資料はないが、乃村製の奉公さんには宝珠が描かれていない。いずれ画像をアップする予定でいる。

  参川キヨの経歴については新修高松市史U(1966)が詳しい



高松張子(張子工房ウスイ)

張り子工房ウスイ      
  臼井融(とおる)     及村玩具勤務後独立
     春代    
         


 神戸出身であるが香川大学卒業後、地元の宮内フサさんの作品に感銘を受け乃村玩具に就職し修業した。その後、1990年代に独ロして「張り子工房ウスイ」を開いた。奉公さんのような伝統的な高松張り子に加えて、多くの創作張り子を夫婦でデザインして制作している。この招き猫やねむり猫もその創作張り子のひとつである。昭和60年に臼井融は香川県伝統工芸士に認定されている。「21世紀に残したい香川」(2002)取材当時51歳なので1951年頃の生まれとなる。
 招き猫は創作張り子になるが三毛猫の起き上がりが基本形。その後注文により3種類が加わり日本猫シリーズとなった。これ以外に招いてはいないが「ねむり猫」がある。
 伝統的な奉公さんは黒川系の彩色で宝珠は描かれていない。

招き猫 三毛 
三毛猫

ウスイ製の招き猫は
起き上がりになっている
この三毛が基本形になる
型は同じなのでどの色もサイズは同じ
左手挙げ
三毛は青い首玉に肉球柄の前垂れを付ける

高さ103mm×横73mm×奥行70mm

三毛以外は注文によってできたと聞く

招き猫黒

黒猫

首玉に大きな金の鈴を付ける
しっぽの先端のみ茶が入る
やや細い瞳の猫目になっている


招き猫白

白猫

首玉には三ツ星柄の前垂れが付く
しっぽの先端は灰色
黒猫と同じくやや細い瞳の猫目になっている



招き猫 トラ
トラ猫

腹部側が白のハチ割れ茶トラ
首玉は前でリボン状に結ばれている
しっぽの先端は茶色


        高松張り子の招き猫 藤巻百貨店




大崎文仙堂

大崎文仙堂        
  大崎豊五郎      −2008     −平成20年  
         


 大崎文仙堂では従来の製法に従い、張り子ではなく土人形で猫に小判を復元した。サイズも宮内フサの証言にあるように手のひらに乗るサイズであった。型も大阪練り物と同じようなものであった。大崎文仙堂では地元の郷土玩具をいろいろ復元したが2008年に大崎豊五郎が亡くなり一代限りで廃絶した。
 画像の猫に小判は大崎文仙堂で直接買い求めたものだがその際にいただいた資料が出てこない。見つかったら先にアップしている「大崎文仙堂」の方に追加する予定である


「猫に小判」

大崎文仙堂製


 大崎文仙堂に関しては先に『大崎文仙堂の諸玩具 猫に小判』(編集中)をアップしているのでそちらをご覧ください。






  21世紀に残したい香川 「高松張子」 四国新聞ニュースサイト
  高松張り子/及川七重 工房を訪ねて IKUNASstories
  ほうこうさんガイドブック 高松市立築地小学校(平成19年)
  (株)宮内電機 内の高松、宮内張子コーナー

 きょうは(9月8日)何の日 高松張り子の第一人者 宮内フサさん100歳市長訪問(1983年) OHK(岡山放送)公式チャンネル
 高松、歴史礼賛〜命のぬくもり 高松張子〜 高松市公式YouTube  (14分)
 高松訪ね歩記 〜高松伝統工芸〜人形(デコ)配りの風習が作った高松張子  サンクリスタル高松  臼井融
 MISOROGI人形展 太田みき子
 広報高松No.1682 2020年12月号 伝統工芸士 臼井融 
 東京民藝協会たより2015年04月17日 手元の郷土玩具(9)高松・永井節子さんのつまみ人形 


参考文献
郷土玩具1 紙(牧野玩太郎・福田年行編著、1971 読売新聞社)
日本郷土玩具 西の部(武井武雄、1930 地平社書房)
「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972 私家版)
郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
全国郷土玩具ガイド4(畑野栄三、1993 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
日本の土人形(俵有作、1978 文化出版局)
全国郷土人形図鑑(足立孔、1982 光芸出版)
日本の郷土玩具(薗部澄・阪本一也、1972 毎日新聞社)
日本郷土玩具事典(西沢笛畝、1964 岩崎美術社)
土の鈴(石山邦子、1994 婦女界出版社)

讃岐人物風景18(四国新聞社、1988 丸山学芸図書)
現代さぬきの顔 ベルブックス2(山田竹系、1977 四国毎日出版社)
四国のおもちゃ(加藤増夫、1977 四国新聞社)
土俗人形雑話(加藤博揚、1940 鳩笛庵)
郷土玩具の旅西日本編(山本鉱太郎、1977保育社)
続高松風土記 市民文庫シリーズ9(高松市立図書館、1981 高松市)
中・四国おもちゃ風土記(津田一男、1977 中国新聞社)
香川県の諸職 香川県諸職関係民俗文化財調査報告書(瀬戸内海歴史民俗資料館、1989 香川県教育委員会)
新修高松市史U(高松市史編集室、1966 高松市)


レファレンス協同データベースに香川県立図書館の提供で『「奉公さん」などの郷土玩具作りが高松で広がった歴史を調べたい』との依頼で参考資料が掲載されている。