立花隆猫ビルを見に小石川を散策する
                                                            2921年11月17日

 立花隆氏の事務所兼書庫の猫ビルは以前から見に行ってみようと思っていたが、行かないうちに主を失ってしまった。
街中にあり、周囲はそれほど広くなさそうだし、黒塗りの建物なので撮影は難しそうだ。
 意を決して出かけることにした。曇りの日を選んだ。日射しによる陰と明るい空がじゃまするのを避けたかったからだ。
 今日は偵察も兼ねているので車で行った。平日であるが白山通りは自転車用の広い道と車の路上駐車スペースが確保されている。

付近の路上パーキングに駐車 1時間限定  青は自転車専用道
この坂を登っていくと 曲がり角にあるのが目的の黒猫ビル 
急な六角坂から
猫に部分は幅2mちょっとしかない
建物は27平米程しかないという。
猫ビルは狭小住宅にあたる。
正確には居住空間ではないので
住宅とはいえないかもしれない。
元は何があったのだろう?

六角坂の掲示がある場所が
「六角越前守」の敷地にあたる
黒猫館は杉浦主税の敷地の位置になる

録受院が善光寺、慈顔院が澤蔵司稲荷にあたる。

(江戸明治東京重ね地図より)


 電線が邪魔であるがこれは仕方がない。やはり予想していたとおり黒猫は撮影しにくい。顔全体は少し離れて撮影した方がよくわかる。
電線を避けようとするとしたから見上げるような画像になる。そうなると空が大きく映り込んでくる。なかなか難しい撮影対象である。

青いドアは雲のようにも見えたが経年変化だった。かつては鮮やかなエメラルドグリーンだった
すでに主を失ってしまったプレート    「立花の黒猫館」とでもいうのだろうか 
黒い建物にわずかにグレーがかった猫の輪郭
瞳の上の光点は反射光ではなく描かれたキャッチライト
眼はグリーンがかっている
毛並みが細かく描かれている 
制作は1992年、特撮映画などの背景画家の島倉二千六(しまくら ふちむ)だそうだ
「猫ビルの画家」に本人による言葉がある

 またこの近辺の散策に来たいのでいろいろ条件を変えて撮影してみることにしよう。夜の撮影もおもしろそうだ。


 せっかくここまで来たのでとなりの善光寺坂を登って善光寺を訪問する。ここは善光寺別院に当たるが善光寺との関係を深めたのは明治になってからで、善光寺坂という名称も明治になってから誕生している。
 朱塗りの山門が見えてくる。塀の石には東京府だったころの古い奉納者の名前が見て取れる。

傳通院の塔頭で
徳川家康の生母の念持仏を祀る録受院が
明治以降善光寺との関係を深め
善光寺別院となった。
録受院の朱塗り門
風化している古い奉納石垣 本堂
塀をつくる石には
日本橋区、下谷区、牛込区といった
東京十五区時代の区名が多い。
奉納額は土木工事を請け負った業者が
奉納したもの
奉納額 さらに善光寺坂を登っていくと


 さらに善光寺坂を登っていくと澤蔵司稲荷が見えてくる。

慈眼院 澤蔵司(たくぞうす)稲荷

澤蔵司とは学寮に修行僧になって学びに来た稲荷大明神稲荷だという
澤蔵司稲荷由来
黒猫がいた 「見たな!」 スタート地点 奥が狐の住む洞穴
石段下の祠から今度は登っていく 銀杏がたくさん落ちている
奥の鳥居がスタート地点 午の絵馬 干支ではなく午 午の日に御利益あり
ハチワレがいた 二匹ともサクラ猫 先ほどの黒猫
周囲はビルに囲まれているが都心とは思えない環境 
傳通院は徳川家康の聖母の墓がある
慈眼院は傳通院塔頭寺院として
建立された

坂を登っていくと
御神木のムクノキがあるが
今日はここまで
稲荷の奉納レリーフ
坂を登れば正面に善光寺坂のムクノキ、
その右には淑徳学院高等学校が見える
石垣のある坂を下り帰る ちょうど1時間のミニ旅だった


 さらに善光寺坂を登っていくと傳通院に通じる。今回は時間がなくてここで引き返したが、画像では坂の途中にある善光寺坂のムクノキ、さらにその先の淑徳SC高等学校(旧淑徳学園高等学校)が確認できる。この高校は傳通院の境内にあるという。つまりこれだけ傳通院の境内は広かったということになる。この高校は訪問したことがあるが、周囲の様子はまったく記憶にない。

 駐車時間の関係でこれ以上進めなかったのは残念だった。次の機会に散策するとして、今日は引き上げることにしよう。