ねこれくと写真館 廃絶招き猫3

=^・^=招き猫の義足をつくる 

1 酒田土人形の招き猫    2003年1月27日

 酒田土人形の最後の作者大石文子さんが亡くなられて久しくなります。大石さんの招き猫はたまに見かけても目が飛び出すほどの値段が付いています。以前骨董市で見かけたものはたしか58000円の値が付いていたと思います。別のところで見たものは欠けたりしてかなり状態が悪かったにもかかわらず20000円していたと記憶しています。最近知り合った骨董屋さんの話では招き猫は常時制作していたものではないらしく人気もあるだけに出てくるとけっこうな値段になってしまうのだそうです。
 年末に八橋の招き猫を入手した骨董屋さんが「1月の平和島に酒田を持っていくよ」という話をしてくれました。よく聞くと手に欠けがあるということで「なければ4〜5万するんだけどな」とちょっと惜しそうな話をしていました。酒田は前から欲しかったうえかなり安い値段をおじさんは言っていたので欠陥はあるとはいえ資料として使えると判断し入手すべくその日を待ちました。
 おじさんの言っていた値段だとおそらくすぐに売れてしまうだろうから、ちょっと入場料が高いのですが、初日のアーリーバイヤーズデーの開店に出かけることにしました。
 当日は開店前からかなりの人が列を作って列んでいます。出店者の配置リストをもらってすぐに店へ向かいます。ありました。確かに残念なことに足の先が欠けています。挨拶をして眺めているとすぐさまおじさんは「○千円でいいよ」。完品の1割以下の価格なので即決で連れて帰ることにしました。
 いままで招き猫のコレクションとしていろいろな招き猫を入手しました。中には欠けのあるものもありましたが、これまでに修理をしたことはありませんでした。古いものはその時代を経た良さがありますし、破損もまたオリジナルのまま残すという意味もありました。しかし、オリジナルをそこなわない程度の修理をおこなうということも資料性を考えた場合、必要かなと思い始めました。ただしあくまでもオリジナル部分は保存したままです。いってみれば古い土器などを石こうで欠損部分を補充して復元するようなものです。この招き猫も欠損部を除けばよい状態であるうえ、もしかするとこれから入手することはないかもしれません(金をいくらでも出せば別ですが・・・)。まして場合によっては捨てられかねない状態の招き猫が復活してコレクションに加われば招き猫冥利に尽きるというもの。そのようなわけで見た瞬間、招き猫の『義足』をつくることを思い立ちました。

状態
 落としたのでしょうか、右手の先端は右足の先端の一部や底の部分も含め、完全に欠損しています。左足の先端は破損した部分の一部を木工ボンドのようなもので張り付けて補修してありますが、小さな破片は一部欠けています。(Fig.1〜3) 右耳にも少しあたりがありますがこれはそれほど大きなダメージではありません。

Fig.1   Fig.2   Fig.3

方針
 いよいよ義足づくりに取りかかります。いろいろ考えた結果、
  @石粉粘土による成形  A胡粉塗り  B欠損部分の彩色    と基本に忠実にいくことにしました。

Fig.4 石粉粘土による成形 Fig.5 胡粉塗り Fig.6 墨汁による彩色

 右手は土がかなり荒いことを利用して水分を多めにした粘土を割れた部分に練り込んでベースにします。そのベースの上に写真を参考にしながら少しずつ粘土を足して成形していきます。左手は水分を少し多くした粘土を凹凸部分に擦り込むように練り込んでいきます。表面はあまりツルツルには仕上げず、多少凹凸が残る程度で止めてあります。これは本来の土がかなり荒いため、猫の表面自体にもその荒い土による凹凸があるためです。成形ができた段階で乾燥です。乾燥が終了した後、接合部分をどの程度修正するか迷いました。自動車の板金と同じです都合部分を完全にわからなくしようと思えばオリジナル部分もいっしょに研磨する必要が出てきます。今回はオリジナル部分はできるだけさわらないということで多少の段差は我慢することにしました。成形できた段階で指のへこみを入れて完成です。(Fig.3)
 乾燥した段階で遠目には破損に気が付かないほどになりました。次は胡粉塗りです。あまり量を必要としないので膠の入ったチューブ入りの胡粉を使いました。水で少し薄めて一度塗り、乾いた後ほぼそのままの濃さでもう一度上塗りしました。オリジナル部分は時代による汚れなどでかえって塗る前より白くなり目立ってしまったようです。写真では光線の関係で段差が強調されています。(Fig.4)
 当初この段階でやめるか迷ったのですが、彩色の欠損した部分が目立つのと彩色が比較的簡単であることから、黒い斑点を入れることにしました。黒は墨汁を使っています。欠損した手の部分の斑点は形も予想でき、刷毛筋を入れる必要もないので簡単です。乾燥に伴い接合部分に若干の右記が生じたところがあり、またオリジナル部分には補修の墨がかからないようにしたため、見る位置によっては接合部分が少し目立ってしまいます。また墨汁の膠分が少ないため乾いたとき光沢の差が出てしまいました。爪はオリジナル色を出すのが難しいのであえて彩色しませんでした。(Fig.6)

 やっと完成したのが下の招き猫です。(Fig.7〜10)
 
 現在他の猫たちといっしょにショーケースに入っていますが、ちょっと見ただけでは気が付きません。またオリジナル性も損なわれていないと思います。

Fig.7 Fig.8 Fig.9 Fig.10

 ちょっと修理の技術を磨いてみようかな思い始めました。今回は土が粗かったため簡単に粘土を付けることができましたが、細かい土の場合はそううまくはいかないはずです。そのようなときはどうするか。いろいろ勉強させられましたし、また技術も身につけていかなければならないと痛感しました。金継ぎの技術も身につけ例の『招き猫花瓶』の修復も自分でしてみたくなりました。

 ところでこの招き猫の魅力は目にあります。濃いオレンジ色に目に黒い瞳、そして瞳のまわりはだいだい色で縁取りがしてあります。この目が酒田の招き猫を魅力的なものとしています。(Fig.11)

Fig.11 Fig.12

 この招き猫の裏には『¥45』のスタンプが押してあります(Fig.12)。これが販売価格ならいつ頃のものでしょうか。手元にある郷土玩具の本を開いてみると昭和30年頃でももう少し値段が張りそうです。昭和20年代でしょうか。そうなると、四代目大石文子さんの父三代目重助のころのものでしょうか(大石重助さんは昭和38年に亡くなられています)。大石重助さんは奥さんの梅代さんと二人三脚で人形作りに励んでいたようで、男物は重助さんが女物は梅代さんが眼入れをしていたというのでこの招き猫も眼は大石梅代さんによるものなのかもしれません。もっとも大石文子さんも小さいころから手伝っていたということなので可能性がないとはいえませんが。

 酒田土人形

プロフィール
 @大きさは100mm(横)×130mm(奥行)×190mm(高さ)
 A土人形、土にひじょうに粗く、石英質や軽石状の砂が混ざる
 B粗い土のため表面はミカンの皮のような凹凸があり凸部で胡粉が薄くなりやすい
 C赤に白い斑点の首輪に金の鈴
 D毛並みは黒の斑点の斑猫、刷毛筋で毛並みが表現されている
 E底はやや内側に押し込まれ、中央に穴がある
 F尾はあるが彩色されていない
 G目は濃いオレンジの中央にだいだい色に中心が黒の瞳
 H爪は目と同じ色で彩色
 I耳の内側は彩色されていない


※最近酒田の土人形が制作されているようです。どうも大石文子さん(分家)の関係ではなく、作者は本家の流れの方のようです。そちらの方ではかなり前に制作はやめてしまっているはずなので、型などはどうなっているのでしょうか。詳細はわかりません。