『御前崎の猫塚』は資料性があるので「静岡に猫塚と佐山さんの個展を訪ねる」から独立させました。基本的には内容は同じですが追加の画像などはこちらにアップしていきます。
静岡はいつも通過でなかなか立ち寄ることがない。しかしいざ行くとなるとけっこう距離がある。今回は佐山さんの個展が開催されるということで出かけていった。
猫関係の郷土人形でいろいろと行きたいところがあったが、実はいちばん気になっていたのが御前崎の猫塚だ。
実はかつて一度だけ行ったことがある。たぶん坊之谷の土人形を訪ねていったときなのでもう20年以上前のはずである。
当時の画像は残っているのだがどこに仕舞いこんだか出てこない。出てきたらその時点で追加する予定だ。
この御前崎の猫塚とは旅僧に化けた古鼠から命がけで住職を守ったという猫の忠義の話しである。その猫の墓が猫塚である。話自体は主人を妖怪のような存在から守るというよくあるパターンの話しである。ちなみにここには退治された古鼠の塚もある。
場所は御前崎の灯台近くにある畑の中。最近は近所に住宅も増えているようだ。
2018年7月16日
さてじっくりと猫塚見学しよう。
猫塚のいわれ かつて猫塚のあるあたりにあった遍照院(あるいは西林院)の住職が海上を船の板の上にすがって流される仔猫を見つけた。 住職はその仔猫を漁師に頼んで助けてもらい寺に連れて帰った。この仔猫も大きく育ち、住職のことばを聞き分けるほどになった。 ある春の日、旅僧がやって来て宿を求めた。それから3日後、隣の猫が寺の猫を伊勢参りを誘うが住職の身が気がかりで誘いを断った。 その夜本堂の天井裏で物音がした。調べて見ると衣をまとった大きな古鼠が倒れており、寺の猫と隣の猫が傷ついてたおれていた。 2匹の猫は身をもって住職を喰い殺そうとした旅僧に化けた古鼠から住職を守り息絶えた。 住職達は恩義に報いた2匹の猫を寺のわきに手厚く葬った。 猫塚に目印に松が植えられた。その松は鯖の尾のように二つに分かれ『鯖尾の松』と呼ばれて漁の目印にされた。 しかし明治時代の初めに台風で倒れてしまった。 その後、この伝説を後世に伝えるため昭和7年に有志により建立されたのがこの猫塚であるそうです。 |
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この猫塚のいわれについては、みなだいたい同じような内容になっています。昔とはいつ頃のことかもわかりません。 そのような中でネット上に興味ある情報を見つけました。「やじきた。com」の中にある『江戸時代版・猫の恩返し – 忠義な猫のお話 (1)』です。 管理人のコレクションから江戸の流行・文化・風習などの話題を取り上げたサイトです。その中にこの猫塚について紹介しています。 やじきた.comへ 「閑窓瑣談」 教訓亭定高(為永春水)著/天保12(1841)という和本の一巻第七「猫の忠義」からの紹介です。 説明板もほぼこの内容に準じて紹介しているものと思われます。 「閑窓瑣談」によれば、 この本の話自体も伝聞(教訓亭定高(為永春水)の友人の伝庵が桂山で聞いたもの)で書き記されている。 寺は和本の中の文や絵でも西林院となっている。 猫の墓と鼠の墓は寺の境内にあった。 古鼠から住職を守った寺の猫は息絶えており、隣の猫は虫の息であったが介抱のかいもなく息絶えている。 古鼠はまだ息があったが棒でたたいてとどめをさされた。 住職を救った2匹の猫は境内に墓を建て手厚く葬られた。 古鼠もこのような化け物を放ってはおけないと慈悲の心から墓を建てた。 二つの墓ともに古びてしまったが今も寺にある。 江戸時代末期の本であるが、この時点で墓は年数を経ていることがうかがえる。 しかし古鼠が後で記す鼠塚の言い伝えの元となる古鼠が枕元に現れ、塚を建てて葬って欲しいと懇願した経緯はない。 和本の紹介内容は「猫の忠義」のなので鼠に関しては省略されたのか、それとも鼠は後付けなのか。 ねずみ塚の経緯については不明である。 |
「閑窓瑣談」(かんそうさだん) 教訓亭定高(為永春水)著/天保12(1841)という和本が気になった。調べて見ると2~4万円程度で購入できることがわかった。しかしこの話のためだけに購入するのは躊躇する。さらに調べると日本随筆大成のシリーズにあることがわかった。早速調べると昭和の初めの出版されている(旧版)が昭和50年に新版が出され、平成に入って新装版が出版されている。旧版でもそれほどの価格はしないが新版だとさらに安く入手できる。今回は110円+送料で入手。
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猫塚の向かいに寺を見つけた。行ってみよう。
帰って調べて見るといろいろわからないことが出てくる。猫塚を建立したのは何という会だろうか。またまた調べたいことがたくさん出てきた。
御前崎の猫塚
1999年8月28日
過去の画像を捜していたら、御前崎の猫塚が出てきた。1999年の訪問だ。北海道の帰りに新潟からぐるっと回って御前崎まで行った。北海道の画像に紛れ込んでいたためなかなか思い出さなかったのだ。この時の目的は坊之谷の猫を入手するためだった。残念ながら亀次郎さんは亡くなった直後であった(これに関しては、ねこれくとアーカイブスの「坊之谷土人形の亀次郎翁」へ)。
1990年代の終わりというとアナログからデジタルへの移行期であった。訪問したかどうか記憶にないのだが、さらにその4年前の1995年の画像がフィルムで見つかる可能性もある。
とりあえず今回は1999年の画像。まだデジカメも38万画素でメモ程度にしか使えない時代だった。
今の猫塚と比較してもらいたい。
この表示は変わっていない | これはどこにあったのかな? | |
猫がかわいい | ||
思っていたほど今も変わっていない | ||
古い猫塚の解説板 | ||
当時67歳、もうけっこう白猫化が進んでいる | ||
首輪や首玉、バンダナは巻いていない | ||
まだ左耳はしっかりついている | ||
こちら側の白猫化はまだ少しましだ | ||
夕陽に立つ猫塚 |
ねずみ塚はというと
御前崎灯台が左に見えている展望台 | |
ねずみ塚を見に行く。 御前崎灯台が写っている位置から考えると、 上の2枚の画像は ねずみ塚広場付近の 展望台から撮影したものと思われる。 |
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眺望台の表示 | |
由来の説明板は現在と変わっていない | |
たぶん、ねずみ塚広場のトイレ | |
手前は日時計になっていて、人の影が時刻を表す | |
これが「ねずみ塚」ねずみは乗っていない。 まわりの植物が伸びすぎてしまっている |