ラストダンスは銀座で
かつて銀座には猫専門画廊の「ボザール・ミュー」があった。1983年開廊であったがオーナーの宮地延江さんも80歳を超え残念ながら2013年に30年の歴史を閉じ惜しまれながら閉廊した。それを惜しみ作家たちで引き継いで「シャトン・ド・ミュー」が誕生したが、残念ながらそれも2年ほどで閉廊した。
そして野良猫宣言して誕生した猫美術愛好会が「ミューミュー倶楽部」であった。
2021年ボザール・ミューの元オーナーでクラブの顧問でもあった宮地延江さんが亡くなりミューミュー倶楽部も解散の運びとなってしまった。
会員にはなったものの一度もお茶会などに出席はしていなかった。
今回は記録に残すためにミューミュー倶楽部解散と前身のボザールミューには欠かせなかったみーちゃんシーちゃん関連も掲載することにした。
ミューミュー倶楽部ラスト | ||||
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ミューミュー倶楽部も最後を迎えてしまった もっとも作家さんたちは これからも創作活動を続けていくので ボザール・ミューの繋がりが終了するだけである 今回の展示も銀座の交詢社向かいにある 銀座幸伸ギャラリーで開催された かつてボザールミューがあった場所から それほど離れていない場所である |
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今回の展示は銀座の交詢社の向かい | ||||
銀座幸伸ギャラリーで開催された |
ミューミュー倶楽部とは
かつて銀座のソニー通りに猫美術専門画廊があった。その名も「ボザール・ミュー」
1983年に開廊して2013年に閉廊した。オーナーの宮地延江さんにより多くの作家がここを舞台に猫芸術を展開していった。節目の30年を迎えオーナーも高齢となり惜しまれながらも閉廊の運びとなった。
それを惜しみ作家10名により「ボザール・ミュー」閉廊後、2013年9月に「シャトン・ド・ミュー」として新たに同じ場所で開廊した。しかしそれも2年後に閉廊し猫美術専門画廊としては終焉を迎えてしまった。
シャトン・ド・ミュー | ||||
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シャトン・ド・ミューのオープニングは 前年の2012年に相次いで亡くなった 銀座猫しーちゃんみーちゃんの 思い出企画展だった シャトンドミューと しーちゃんみーちゃん&銀座猫展は 最下段の関連ページを参照のこと |
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案内状 | 記念の卓上カレンダーとショップ案内 | |||
看板も入れ替わった | ポストの表示 | 入り口の看板も変わらず |
その後、2015年有志により野良猫宣言をして画廊は持たずに猫美術愛好会として生まれ変わった。確か入会金1万円で会費なしで運営さていたはずである。それが「ミューミュー倶楽部」であった。宮地さんを顧問に迎えてお茶会や展示なども開催したが、2021年宮地さんが亡くなり、ボザール・ミュー閉廊10年目を節目に解散することとなった。会費で「宮地延江追悼画文集」を発行し、事務局解散記念展「ラストダンスは銀座で」を開催し、残金は保護猫ボランティアに寄付されて「ミュー繋がりの」一連の活動は終了した。倶楽部の会員証はあったかどうかは覚えていないがたぶんなかっただろう。その代わりにピンバッチがあった。保管してあるのは確かだが、どこへしまってしまったのだろうか?
宮地延江追悼画文集 | 宮地延江追悼画文集から |
宮地延江(みやち のぶえ) (1932-2021) コピーライター、童話作家 1984年猫専門美術画廊「ボザールミュー」を開廊 2013年の閉廊まで主宰を務める 2015~2021年、「ミューミュー倶楽部」顧問 |
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「うつくし三毛」宮地延江作 |
ミューミュー倶楽部自体は野良猫になってしまったが、その前身の「シャトン・ド・ミュー」、「ボザール・ミュー」といえばギャラリーのあった蒲田ビル付近で生活していた銀座猫のしーちゃんみーちゃんを欠くことはできない。
「銀座猫 しーちゃんみーちゃん」のこと
今回の最終展示で気になることを耳にした。ボザールミューといえば銀座猫のみーちゃん・しーちゃんが有名だった。ボザール・ミューのあった銀座蒲田ビルの1階には蕎麦屋の「いけたに」があった。みーちゃんしーちゃんはこの「いけたに」を拠点としていた。その「いけたに」がなくなっているという。どうもご主人が・・・・・らしい。
ストリートビューを見ると2009年からの画像が残っていた。閉廊後にもエサと水が置いてある。これはシャトン・ド・ミューへいったときも確認できている。
2018年までは営業していることが確認できたが、翌2019年には閉店してステンレスの車よけもなくなっている。
すべてストリートビューより | |
不鮮明ではあるが エサと水の容器が置いてある まだみーちゃんしーちゃん健在のころ ボザール・ミューもまだ活動していた |
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2009年11月 | |
鎌田ビルの入り口階段に エサと水の容器が置いてある この年の6月をもって閉廊したので その直後の画像 すでにみーちゃん・しーちゃんは 亡くなっている |
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2013年7月 | |
隣のビルとの間にハチワレの猫がいた エサと水も置いてある |
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2014年4月 | |
黄色の格子が そば処「銀座いけたに」 まだ営業している 車よけに取り付けられている 地域猫の表示も健在 |
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2018年4月 | |
「いけたに」はすでに閉店して ステンレスの車よけもなくなっている |
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2019年5月 |
現在(2023)は別の店舗が入店していることが確認できた。
どうぶつ出版の「日本全国 ニャン遊記」に「いけたに」と「しーちゃん」が紹介されたことがある。 かつて「ねこれくと」でも紹介したことがあったが掲載許可も取っていなかったので遠目の画像でお茶を濁していた。 現在は残念ながら出版社に連絡が取れないのでこれも記録ということで掲載させてもらうことにした。 |
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「日本全国 ニャン遊記」(猫の手帖編集部編、2008 どうぶつ出版)より | ||
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いけたに」に掛けられていた「おつとめ中’09」は見ることができなくなってしまった。以前掲載されたことは「ねこれくと」に載せたが掲載許可を取っていなかったので詳細画像は載せられなかった。すでに出版したどうぶつ出版あるいは猫の手帖とは連絡が取れない。当時の様子を知るために今回読めるサイズで掲載した。(ご連絡いただければ掲載の申請をいたします)
関連ページ
銀座猫「しーちゃんみーちゃん」追悼特集 そしてボザール・ミューの閉廊とシャトン・ド・ミューの誕生
ミュー・ミュー・トークとは猫専門ギャラリーの「ボザールミュー」で主宰であった宮地延江さんがホームページ上でブログのような形で綴った一言。2000年から閉廊の2013年まで続いた。多くの猫作家たちの展示の歴史もわかる。画像もいっしょに残したが著作権の問題もあるので文章だけにした。しかしそれがかえって読んで思い出すというきっかけになるような気もする。
比較的最近までボザールミューのトップページだけは残っていたはずだが、宮地さんの死去にともない契約が切れたのか見られなくなってしまった。
すべての文章をコピー&ペーストでワープロ文章に貼り付けて保管していた。そのため編集ミスもあるかもしれない(あった)。自分自身でまだすべてを読んでいるわけでもない。とりあえず決定的なミス以外はそのままにしておくつもりだ。
問題は掲載許可を得ていないこと。とりあえず編集は終えたがアップするかどうかはもう少し考えてからにすることにした。
アップ準備完了
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