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         美喜井稲荷を散策する 
                                       2022年12月9日

 

 港区赤坂に位置するちょっと変わった名称の美喜井稲荷(みきいいなり)は猫ファンには知られた場所だということを最近になって初めて知った。これは行ってみるしかないと思いたち12月の天気のいい日に出かけて行った。
 赤坂見附で地下鉄を降りて坂を上っていく。目標となる豊川稲荷東京別院、そして虎屋が見えてくる。虎屋を曲がるとすぐ目的の美喜井稲荷が見えてきた。
 事前に画像で見てはいたがやはり不思議な光景である。都心の稲荷は建築物を建てる際にビルと一体化したものが結構ある。ひとつはビルの一角に食い込んだように稲荷がある場合。都心の七福神巡りをしていると見かける。もう一つはビルの中や屋上に遷宮?されたもの。この場合は稲荷の一部は地面と繋がっていることが多い。
 美喜井稲荷の場合は両者のハイブリッド型に当たるような気がする。社殿は二階(あるいは中二階)にある。下は社務所+駐車場となって地面と繋がっているようである。
 この建物は建築家で元東京芸術大学教授の北河原温(きたがわら あつし)による設計で1986年に竣工した。100坪ほどの土地に建てられている。ビル自体は『赤坂T.O.ビル 美安温閣(みゃおんかく)』といい、北川原氏の比較的初期の設計のようだ。

     ※美喜稲荷の法人登録は仏教系で「美安温閣」である。仏教系ではあるがここでは社殿を使うこととする。

   北川原温建築都市研究所 美安温閣


 1  美喜井稲荷に参拝する
 2  赤坂見附付近の変遷
 3  美喜井稲荷その後       
 4   



美喜井稲荷に参拝する
 
手前の建物は虎屋 美喜井稲荷
後ろのビルと一体化して設計されている  
階段を上がるとそこは別世界 階段の先はビルに繋がっている 


 さっそく階段を上がって美喜井稲荷へ。

この階段を上がる  パンチパネルの下には神紋? 入り口
  ビルの正面にある階段を上がる。
2階(中2階)にある狭い空間が
目的の美喜井稲荷。
階段の脇に貼り付けられた
パンチ穴のある金属板の下に
神紋のようなものが見える。
金属板は後付けかと思ったが
北川原氏の設計では金属板は
よく使われているようなので
最初からあったもののようだ。
不思議な由来の銘板がはめ込まれている。

『美喜井稲荷の御守護神は
京都の比叡山から御降りにな
りました霊の高い神様です


この神様にお願いする方は蛸を召上
らぬこと
この神様を信仰される方は何事も心
配ありません 
稲荷であるが鳥居がない。
社殿の前が鳥居状になっているが
これは社殿(本殿)のつくりの一部であろう。
またしめ縄もない。
社殿には扁額はないが
奉納の額はある。
『美喜井稲荷大明神』、
これが正式名称のようだ。
 
石灯籠 「阿」の狛犬一匹 奉納者が4名刻まれている
社殿の前の赤御影に
昭和59年(1984)とある。
1986年竣工と時期が合わないが、
別の報告では1984年というものもあり
これは設計した時期なのかもしれない。
この奉納者が記された御影石と
境内で使われている御影石は
同じものなので年数のずれに
疑問に感じていたがこれで納得した。
奉納者は稲荷の関係者か?
木彫の猫にも赤い前垂れ 鈴は平成20年(2008)の奉納
創建に関係した方々か?
北川原温は設計者
米井知義も共同設計者か?
絵・猫
どれが誰の作品か?

上遠野氏は現代芸術家で大学教授
猿田氏は不明
上杉氏は人物画を中心に
水彩素描などを
描いている。
1985年に東京芸大大学院を修了しているので
在学中あるいは修了直後の作と思われる。


木彫の2匹の猫は
上遠野氏の作品である可能性が高い。
それでは猫の絵はどこにあるのか?


美喜井稲荷関係者
北川原温(きたがわら あつし):建築家、元東京芸術大学教授。他の表現芸術の専門家と協力して創作活動をおこなっている。
            北川原温建築都市研究所   
                 ILCDはEuropean Platform on Life Cycle Assessmentか?

上遠野敏(かとおの さとし):北海道を拠点とする現代芸術家、札幌市立大学デザイン学部教授

上杉尚(うえすぎ たかし):1985年東京芸術大学大学院を修了後、ニューヨークを拠点に活動する。人物の水彩・素描を多く描く。
    上杉尚は人物画を中心に水彩・素描などを描いている。はたして猫の絵を描いたのかは不明であるが、
    絵とあるのはこの上杉氏の作であると思われる。しかしその絵はどこにあるのか?


  社殿の左側に猫が鎮座している。
榊が供えてある。
比較的最近になって猫が新しくなったようだ。
少し前の画像記録を見ると
稲荷風の猫が同じ場所にいた。
痛んできたので世代交代したのだろうか?
  「美喜井稲荷 諸大眷神」の扁額

「眷」とはあまり見かけない字だが「ケン」と読む。
諸大眷神とは何かよくわからないが、
推測してみると、

眷属には神の使者という意があり
多くは動物の姿を持つという。
狐や龍のように神の意志を伝える動物は
神使と呼ばれる。
この眷属神を祀る神社もあるとのことで
美喜井稲荷もその範疇に入り、
このような扁額になっているのかもしれない。
 赤い前垂れと鈴を付けている
見つめる猫
稲荷狐のような容姿 
キリッと引き締まった現代的な顔
眼光が鋭い
神のお使いであるような眼差し
尻尾が長い
安山岩を使っているのか
初代 眷属猫

前の猫はどこへ行ったのか?
社務所に保管されている可能性はある。
左の2枚の画像のみAmebaブログより
 Amebaブログ 「江戸御府内千社参詣」 第二三七回美喜井稲荷神社(赤坂)より 

 古い2つの祠は元の屋敷にあったものであろう。

向かって右側の祠

木星で屋根は金属(銅葺き?)
 
向かって左の祠
石造りで金属の瓦
御影石のサイズが
ぴったりで
元の稲荷にあった祠やその他のものも
すべて利用するような
設計になっているようだ。

 
なぜか「美喜大明神」となっている
金属製の提灯。
材質や酸化の具合から
おそらく由来の銘板と
同じころのものと思われる。

 美喜井稲荷でよく紹介される木彫の2匹の白猫。

木彫の2匹の猫が目を引く。
白猫が2匹
左の猫は前足に鳥を乗せて、
赤目でウィンクをしたような表情
ネット上でも裏側の画像は
なかったので撮影した。
背中の出っ張りは鳥の頭。
右の猫は何かを咥えている。
猫に前足で押さえつけられている
赤い人のようなものは邪気か?
裏側
札幌駅前にある上杉尚氏の作品。
2匹の白猫は上杉氏の作品と
考えるのが
妥当か?


 さらに社殿の中をのぞいてみた。

社殿の前には香炉があり
線香も置いてある。

香炉があるので寺院のつくりである。
社殿の中が気になるのでのぞいてみた。
中は神社と寺院の神仏習合のような状況。
登録としては寺院となっているようだが。
ご神体が祀られているのか?
ペットフードが供えてある。
覆いがかかったケース内には
猫のようなものが見える。
アーチ部分が階段
下が社務所となっている。
寺務所ではなく社務所なのである。
インターホンがあるが郵便受けはない。
帰宅していろいろと調べてみるとわからない点がたくさん出てくる。
調査はまだまだ続きそうだ。


いったんまとめ(調査続く)

 美喜井稲荷大明神は東京都の宗教法人名簿では仏教系の単立・仏教系法人として登録されている。法人名は『美安温閣』で昭和35年(1960)5月18日に設立登記されている。
 したがって稲荷のような形態をとってはいるが、鳥居やしめ縄がないのは仏教系であることが関係しているようだ。

 言い伝えでは「かつて飼っていた『美喜井』という猫が寝ている飼い主に火事を知らせて家人を救った。それ以外にも不思議な出来事が重なり、この家では美喜井を祀るようになった」。戦前のことであるようだがいつごろのことかはわからない。今後の調査の課題である。

 ここらは推測でしかないが、古い祠2つはおそらく猫に救われた人の屋敷の敷地内にあった屋敷神(やしきがみ)であろう。火事の以前にもすでにあった可能性がある。先代の古い猫の石像もそこにあったものであろう。石灯籠や狛犬も同様である可能性がある。「美喜井稲荷 諸大眷神」の扁額や由来の銘板、金属製の提灯や吊り灯籠もビルが建つ以前にあった社殿のものである可能性がある。
 本来、屋敷神は特定の祭神を祀るものではなかったようであるが、近年では有名な神社の祭神を祀ることが多くなったようだ。美喜井稲荷も同じように京都の比叡山より分霊を勧請したのではないか。

 雑誌キャットライフ(1972)に掲載されている由来書の画像以降のものと思われる真鍮製の由来の銘板も現在の神社ができる前のものであろう。
 最近新しくなった猫の石像の作者は不明である。銘があるか次の機会に調べてみたい。
 なかなか文献として美喜井稲荷の資料はない。キャットライフ(1972 第2号)が今のところ唯一の紹介記事となっている。しかし国会図書館にも収蔵されておらず、やっと見つけた都立図書館で近々入手する予定である。
 また可能なら関係者と直接コンタクトをとろうと思っている。 
 
                         <<続く>>


赤坂見附付近の変遷  
美喜井稲荷付近の変遷

中央下に見えているのは山脇学園
道を挟んで稲荷の反対側に
赤坂警察署がある。

左上の木がうっそうとしているのが
が赤坂御所になる。
その前の広い道が青山通り(R246)
青山通りから赤坂警察署の南側、
山脇学園の北側を通る道が
旧大山街道にあたる.
現在の様子  Google Mapより  
戦後間もないころの様子。
稲荷の位置には木立と人家が見える。
昭和22年 NTTレゾナント 「goo地図の古地図」より  
東京オリンピック前年
まだ稲荷のあたりには
人家と木立が見える。
オリンピック開催にともなう道路拡張で
虎屋は現在の位置に移転したので
左の画像は移転前と思われる。
付近にもお屋敷のような人家がまだ多い。
この頃はすでに「美安温閣」として
宗教法人登録されていたようだ。
昭和38年 NTTレゾナント 「goo地図の古地図」より  


                     <<調査続行中>>

美喜井稲荷その後
猫雑誌の「キャットライフ」の資料を入手した。
残念ながら初期の号は国会図書館も所蔵していない。
調べたところ都立図書館の都立多摩図書館が
所蔵していることがわかった。
この図書館は「東京マガジンバンク」という
雑誌や情報誌などを多数所蔵している。

 もう少し早く訪問したかったが、システムの再構築と建物の工事のため、
年明けの1月19日の訪問となってしまった。
工事はまだ続いていたので臨時閲覧室での閲覧となった。
工事終了にともなう復旧工事のためまた1ヶ月ほど休館となるので
ちょうどいい時期に行ったのかもしれない。

なお、キャットライフを出版していたペットライフ社はすでに存在しないので、
画像掲載については正式な許可を取っていない。
申請先がわかれば許可を取る予定です。

当時の社
小さな屋敷神と思っていたが、
りっぱな社である。鳥居もあるという。
現在の美喜井稲荷も
かつての姿を残して
設計されているように思われる。

Aは当時の由来の銘板   
Bの香炉は現在も使われているもの

画像を見ていて気がついたのだが
もしかすると社の格子戸
そのまま利用されているのか?
上の画像Aの
由来の銘板旧バージョン
社の脇にあると思われる
Cの神の使い(眷属)の猫は明らかに
先代の猫である。
しめ縄もあり神の領域。
DとEは小さな祠である。
Eは石造りのようにも見えるが
現在残っているものとは形態が異なる。
左側の灯籠の奥にも祠の屋根が見える。
Fの小さい香炉は現在も
使われているもの。
画像の説明書きにも
神社の内部、ご本尊
安置されている」とある。
しめ縄も掛けられている。
お坊さんによる定期的な読経と
あるので仏式の法要である。
右の方が社主の生駒さんとのこと。
  雑誌の本文は見開き2ページで文章もそれほど多くはない。
ここから得られた情報を記していくと、
戦前、赤坂で商いをしていたころに飼っていた「美喜井」ちゃんを祀っているもの。その後、ある高僧の話やお告げで美喜井ちゃんが比叡山から猫の形を借りて生駒さんのところへやって来た霊の高い神様であることが判明。そこで本格的に祀りはじめた。
 生前から美喜井ちゃんから御利益をもらった人は多いとのこと。
 生駒さんも寝ているときに美喜井ちゃんがさかんに鳴いて起こす。気がつくと煙が出ていた。炊事をしていた女中さんが
居眠りをしたためのボヤ騒ぎだったようだ。「猫は野良猫だった」とか「猫は焼け死んでしまった」という情報もあったがそれはなかったようである。
 後に美喜井ちゃんが亡くなった後、女中さんは夜の2時ころに猫にうなされ、さては美喜井ちゃんと思いお参りをするとピタッとうなされることがなくなったという。
 いろいろと御利益の多い神社だったようである。
 社主の紹介のところに「美喜井倶楽部」という文字があった。住所を検索するとまさにこの美喜井稲荷の場所だった。もしかすると美喜井稲荷の信者さんの集まりかもしれない。



その他の情報としては

 その他「神社巡りのススメ 神社と神様
「美喜井稲荷神社」では
 推測の域を出ないとの但し書き付きで比叡山の「ねずみの宮」と「猫の宮」が関係があるのではないかと書いている。
ここではコメント欄にビルになる前の様子が書かれている。

 さらに「カミ+アミ」の「果たして大津に猫の宮は実在するのか」では出典付きで猫の宮について論じている。


 美喜井稲荷は宗教法人登録は寺院である。したがって僧侶による法要が営まれている。
これは近所の豊川稲荷(正式名は豊川稲荷東京別院)も稲荷ではあるが、曹洞宗の豊川稲荷妙厳寺のれっきとした
直轄別院である。何となく美喜井稲荷の仏教と神道のハイブリッドな形態が見えてきたような気がする。


                         <<続く>>