『奇才!河村目呂二のアーティスト人生』と
      『我輩はMONEY=KEY猫である』に行く
                                         2024年8月24日


 谷中会場に続き、軽井沢追分宿郷土館の企画展とギャラリー木通庵の巡回展を見に行く。
 今回は追分宿郷土館での展示もあったので両会場を見学できる日程で訪問した。

夏に軽井沢追分宿郷土館で
「奇才!河村目呂二のアーティスト人生」が
開催された

2024年 7月20日~9月16日


  この企画は巡回展として続きます
会場の規模などにより展示物も
変わってくる可能性があります
 

追分会場前期
2024年 8月17日~9月1日
(火水は休廊)

 今年も酷暑だ。高速料金の割引を使いつつ車内にいる時間は短くしたい。早朝に出発して途中仮眠なしに設定した。

猛暑でとても車中で仮眠できないので
早朝4時過ぎに出発する
横川SAで休憩して時間調整
日射しで暑い
横川SAで時間調整 追分宿駐車場に到着
さすが軽井沢、日射しがあるところは暑いが
日陰に入るとそれほどでもない
郷土館開館まで1時間ほどあるので
日陰に駐め窓を開けて朝食
東京はすでに30℃を超えている
浅間山が見えない 日陰は意外に快適
9時の開館を待って郷土館を見学する
今回は2階の目呂二の展示のみ見学
要望を出したので出品目録を制作してくれた
町立追分宿郷土館
今回は2階の企画展示室が
すべて企画展の展示場になっていた

展示ケースも大きいので
他の会場では展示できないような
折りたたみの長物の展示も
おこなわれていた
立体物もいろいろな方向から
見学できるのがうれしい

久しぶりに見た作品もあった
撮影禁止なので画像で
紹介できないのが残念
堀辰雄の記念館も久しぶりに
見学したかったがこの暑さでパス
次の機会にしよう
「展示作品目録」

(再編集の予定)
郷土館や浅間神社の周辺の追分公園の地面はこけに覆われる  こんなところに・・・
郷土館や浅間神社の周辺は
樹木で日陰になりこけが密集している
今まで気がつかなかったのだが
油屋とある夜燈(常夜燈)があった
文化十三年(1816)とある
夜燈とあるが灯火をつける部分がない
失われてしまったのか?
油屋にあったのか奉納品かはわからない
こんど郷土館で聞いてみよう
油屋の奉納品?   文化十三年の銘

 追分公園隣の木通庵へ向かう。日射しが強くなってきた。

 
御影用水が歩道のようになっている これがないと奥まっているので初めてだとなかなkわからない
新しくなった小灯の看板 一番乗りかと思ったら先客がいた

 今回は巡回展なので基本的には同じ展示になるが、会場スペースなどに応じて若干展示物が変更になる。

三世代の縁福猫がお出迎
左は旧岩下さんの所蔵品
中は戦後に制作された
二代目
右はやはり戦後の三代目だが
飾っていたため
紫の羽織が退色して
しまったとのこと
背面は色が残っているが
撮影し忘れた
三体そろうのは珍しい
これも以前展示されたことがあるラフター

秋にはこのラフターとマネーキーが
覆刻されるようだ
前回覆刻されたのはこのタイプだが
少しサイズの小さな小マネーキーを
このたび覆刻するようだ
マネーキーの当時もの解説書

あらためて過去に
覆刻された作品を見たら
これのカラーコピーが
添付されていた
谷中会場でも展示されていたマネーキーの
初期スケッチ
何かに挟まっていたのが出てきたようで
劣化してしまっている
右の小さい方が覆刻される予定だとか

 おなじみ趣味の百猫
百体完了の鍋蓋は
肉筆なので
いろいろなデザインが
あるようだ
奥の部屋の展示スペース
今回は変わり雛も猫雛に限定されて
猫中心の展示になっていた
 
初公開!
銀座松屋で大正15年に開催された
「肉筆猫絵団扇展覧会」の案内状

まだ銀座松屋呉服店となっている
目呂二の住所もまだ本郷区神明町

まだ銀座松屋呉服店となっている
目呂二の住所もまだ本郷区神明町
郷土玩具絵などもある
リストの最終ナンバーは149だが
複数制作されているので
全体では相当な数になったと思われる
はたして現存するものが
あるのだろうか?
大正スケッチ
柄の長さ1間の大団扇の設置風景
さすがにスケッチは盛りすぎの感があるが
スケッチとして残すところが目呂二らしい
古書も売っています
野尻抱影(大佛次郎の兄)の本もあった
「目呂二抄」まだありますよ!
林に囲まれた敷地だが落ち葉がけっこう大変だそうだ 用水の中を歩いてくればよかった
土曜日でもあるので帰り道が
混むのを避けて昼には出発した
陽が高くなり軽井沢とはいえやはり暑い
しかし東京に比べれば天国
次は瀬戸の新世紀工芸館での展示
もしかすると「接吻」も
360°周囲から見ることができるか?

予報通り途中で雷雨に遭遇した
怪しい積乱雲が見えている やはり浅間山は見えない

 今回の大きな目的は内山舞さんにいろいろ質問することにあった。まだ目呂二の残された資料は整理されていないものがあるようだ。現在、日記を解読中とのこと。
 今回の質問でいちばんの成果は「成瀨慶子は目呂二のいとこだった」。成瀨芳子も目呂二と遠縁とのことだったので、どちらも旧姓はわからないが親戚であった可能性が高い。成瀨芳子は踊りの名取りということだったが流派もわかっていた。今度しっかりメモをしてこよう。
 原稿や作品の依頼などについての書簡はあまり残っていないようだ。また目呂二は胸像もかなり制作しているはずだがこれに関してもよくわかっていないことが多い。まして戦時中の供出があったりしたので現存するものを探すだけでも大変かもしれない。
 今回持参した「探偵秘録」の装幀はご存じなかった。
 今回は話し込んでしまったので撮影枚数が少なかった。帰宅して編集していると、この画像も欲しかったあの画像も欲しかったとなる。次回の瀬戸会場で追加撮影して埋め合わせしてこよう。
 目呂二を探す旅はまだまだ続く。






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