目呂二の愛した追分を歩く (2009年11月3日)


 11月3日(火)文化の日、目呂二が移り住んだ信州追分に出かけました。行楽シーズンで渋滞が懸念されましたが思ったほどではなかった・・・・と思いきや埼玉県内で事故渋滞に巻き込まれてしまいました。しかし事故現場を通り過ぎると思いの外、車は少なく、スムーズに軽井沢まで到着できました。
 前日まで行くか延期するか迷っていました。どうも天気があまりよさそうではなかったからです。しかも雪が降るというおまけまで付いていました。幸いにも天気は回復してきたのですが、予報通り昨晩は雪が降ったようで道路にはあちこちに積雪が残っています。しかも寒い。思わず車の暖房を入れてしまいました。

        軽井沢は山も平地も雪  ゴルフ客は当てがはずれたようだ


 目的の目呂二の展示は開館が12時なのでしばらく付近を散策することにしました。
 堀辰雄文学記念館の駐車場に車を駐め、記念館を見学することにします。期せずして文化の日である今日はこの記念館をはじめとして有料施設が無料開放されています。ラッキー!静かなたたずまいの門をくぐり、残った紅葉に積もる雪を眺める。寒いがなかなかいい景色だ。

 静かな林の奥にある
 メインの記念館内部  
 ここが堀辰雄が終焉を迎えた山荘
 完成を見ることがなかった書庫

 目呂二や堀辰雄が居を構えた戦前にすでに軽井沢は別荘地として名が知れていたが、軽井沢の中心から少し離れたこの追分の地はかつての宿場町とはいえ静かなところだったに違いない。それだけに多くの文豪に愛された土地なのかもしれません。

夫人が堀辰雄没後に建てた家
現在は常設資料棟となっている。
サンルームからは
庭にある文学記念碑が見える。
 常設資料棟内部

       

春の大和に往って
馬酔木の花ざかり
を見ようとして途中
木曽路をまはって来
たら思ひがけず雪が
ふっていた

 昭和十八年四月十三日
    堀 辰雄
 サンルームから庭を臨む  平成13年建立 堀辰雄文学碑  自筆によるものだそうだ


 あたりの風景はまだ晩秋の雰囲気を残しているものの、この気温と雪ですっかり冬へと移り変わっています。
 追分宿郷土館も今日は無料開放していました。ここでは追分宿の歴史やその街道の文化に触れることができます。目呂二の木通庵はこの近くにあるようです。

 晩秋の追分  紅葉の絨毯
 追分宿郷土館   晩秋というより初冬だ
 追分猫日和のポスターが貼ってあった   猫がいた

 文豪達によく使われた宿である油屋も追分の道沿いにあります。残念ながら現在は休館中のようです。

気温は低いが木漏れ日は暖かい
  高札場 文豪達によく使われた油屋(現在休館中)


 堀辰雄が散歩の途中で好きだったという泉洞寺の石仏を見に行きました。訪れる人が多いようで道案内もあります。もしまったく案内板がなければ木の間にひっそりとたたずんでいる石仏にはなかなか気が付かないでしょう。

泉洞寺 泉洞寺山門 泉洞寺にある石仏

 追分宿旧道のはずれに現在の国道18号線(中山道)と更科方面に向かう北国道の分岐があります。いわゆる追分の名の由来になっている分去れ(わかされ)です。その手前にはかつての茶屋の後が外壁の漆喰に鏝絵として忍ばれます。まだまだ見所はあるのですが、今日のメイン開場が開く時刻が近づいてきたので引き返すことにしました。

 枡形の茶屋  漆喰による鏝絵が見られる
 分去れ(わかされ)   右が更科に向かう北国街道、左が中山道


 さて今回の追分訪問の目的である「目呂二の追分猫日和」。会場は堀辰雄文学記念館の斜め前にある古書店「追分コロニー」です。追分コロニーではその名の通り、古書販売だけでなく、ゆっくり本を見られるスペースがあったり、いろいろと地域に根ざした活動をおこなっています。そのようなことからも今回の展示にはぴったりの会場と思われます。

 今回の展示会には、9月26日〜27日の招き猫まつりin瀬戸のどらねこ市に案内を貼り、自作のパンフレットを100部ほど置かせてもらい、さらに「ねこれと」のトップページに下のような案内を出して微力ながらお手伝いをさせていただきました。


    『目呂二の追分猫日和』


       

                              案内葉書(PDF)

       開催日:2009年10月29日(木)〜11月8日(日)
         12:00〜17:00 最終日16:00終了  11月4日(水)休み
       場所:古書 追分コロニー
               長野県北佐久郡軽井沢町追分612

  セミーノデザイン のセミーノカフェと 追分コロニー (およびブログotobokecatの日記)で詳しい様子が分かります。


 なお、今後フォトブック発刊の予定があるそうなので今回撮影させていただいた画像は会場の雰囲気を伝えるものを中心にしておきたいと思います。

 会場の追分コロニーは今回の企画にはまさにうってつけの会場です。無垢材の壁や床、それに薪ストーブと暖かな雰囲気で目呂二の猫たちを迎えてくれます。
 かつて多くの資料画像をいただいていたので事前に見ていたものは多いのですが、やはり実物を見るとまた新たな感動があります。特に入り口に置いてあった目呂二が好きだったという猫の頭部の像(目呂二抄の表紙にもなっている)は見たかったもののひとつです。

目呂二が好きだったという猫の頭  縁福猫(いわゆる芸者招き)
人気ナンバーワン 薪ストーブの前でくつろぐ目呂二猫 丸くなって寝ている猫、もしかしてこれは・・

 彫刻家としての目呂二の作品も見逃せません。なかなかまとまって見る機会のないものです。
 その中に一つ気になる猫がいました。頭を身体の中に入れて丸くなって寝ている猫です。これを見てすぐ思い出したのは目呂二雑記の中で紹介したことがあるインターネット上にあるねこバナ(佳(kei)さんのねこネタショートショート集)の一話です。フィクションではありますが、骨董店にあった猫というのはまさにこの猫を連想させます。言葉でしか表現されていない猫の彫刻ですが、頭の中ではこの猫とオーバーラップして見えてきます。佳(kei)さんははたして構造社展(出品されたのかどうかはわかりませんが)でこの猫を見たのでしょうか?それとも本当にどこかで・・・。この話を今回企画したUさんに話したところ、やはりUさんもねこバナの話しを読んで同じようなことを感じたようです。ちなみにこの作品は鋳造品だそうです。もしかして何匹かのまん丸猫がどこかで静かに眠っているのかもしれません。

 あなたの好きな目呂猫はというアンケートを実施していました。人気ナンバーワンはすまして座っている「無題」(というより題名不詳といった方がよいかもしれない)の猫だそうです。今回はあえて「○(読めません)のふたばがでた 蟻の行列がある」という言葉が添えられた仔猫の絵に一票を投じました。蟻は描かれていませんが仔猫の仕草から蟻の存在が見えてくる作品です。

 当日はいつも資料をいただきお世話になっていた今回の企画者でもあるUさん夫妻にお会いでき、貴重な話しや資料を見せていただくことができました。また清原ソロさんにも初めてお会いすることができました。大正生まれでかなりご高齢のはずですが背筋が伸びお元気そうでした。そして何よりイヤリングもネックレスもすべて猫・猫でまさに目呂二・スノ子夫妻の遺伝子を受け継いでいるといった感でした。

 また期せずして日本招き猫倶楽部の板東寛司・荒川千尋夫妻も訪れ、飛び入りで縁福猫(いわゆる芸者招き)の共演となりました。ケースに入っていない縁福猫はお二人が持参した飛び入りの縁福猫です。

晩年の夫婦の写真実に味があっていいです
マネーキーやラフターの貴重な資料も  これは新事実

 とにかく今まで画像でしか見たことがなかった作品や資料の数々、それに初めて見る目呂二作品や写真。まさに目呂二ワールドに感激です。今回の展示では猫に絞って展示を行っていますが、今後できれば猫以外の作品や資料も展示会をおこなっていきたいとのことでした。楽しみです。


 ところで今回の展示で資料などを見て、あるいは見せていただいたり、うかがっててわかったことがたくさんありました。その中で主だったものを挙げると、

その1 やはり縁福猫(いわゆる芸者招き)は戦後にも頒布されていた。
 自性院にある芸者招きは『終戦後のある時期に作られた百体の招福猫の一体・・・』という記事(「猫づくし」 誠文堂新光社 1979) がありこの戦後という部分が不明でした。しかし昭和25年の料飲漫画新聞に「福招き猫」として頒布の紹介がされている。申込先は料飲漫画新聞社となっている。さらに注目すべきは高さ六寸1000円、八寸2000円、二尺3500円とある。八寸は一般的な大きさで自性院の猫もこの大きさと思われる。六寸は今回の会場に第三期として置いてあった猫ではないだろうか。会場にいた板東・荒川夫妻と話題になったのは二尺物。はたしてこれは存在したのだろうか?二尺といえば現在作られている最大級の旭土人形の大猫に匹敵します。注文制作されたにしても型など制作できる環境がなければ案内はしないはずです。それでは型はどうなったのだろうか?疑問が次々浮かんできます。

その2 ジャズマネキは戦後の作品だった
 ソロさん宛の葉書がみつかった(展示されていました)。それには試作をしたがまだ納得がいかない様子やスノ子さんから急がされている様子が書かれている。しかし頒布されたかどうかはわかりません。ちょうど戦後の縁福猫と時期が重なるのだろうか?

その3 成P芳子さんについて
 ソロさんが覚えていらっしゃいました。どうも千川の近くにかつて住んでいたこともある方のようで、メモをとっていなかったのでこちらの聞き違いや勘違いもあるかもしれませんのでもう少し詳しく伺ってみたいと思います。

                          その他いろいろ

 これらに関してはまた別のところでまとめておきたいと思っています。


 さてすっかり長居をしてしまい、外は暗くなってきています。板東夫妻に誘われて夕食を一緒にすることにしました。

結局5時間遊んでしまった おみやげをもらいました

 福幸亭(ふっこうてい)という何やら縁起のよさそうな割烹料理屋です。別に名前で行ったのではないとのこと。割烹料理屋ですが名物は「福幸亭風カツ( カレーソース)」。ロースカツのカレーソースにご飯と味噌汁と漬け物がついてくる。かなり辛口のカレーソースは食欲をそそります。それであのお値段はお得。
                   福幸亭 長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢7-1 電話 0267-45-8411

 その後、コーヒーを飲みに出かけたのですが、何とこの時間で行きつけのコーヒー店はすべて閉店。残念ながら食後のコーヒーを一緒に飲めずお別れしました。

 明日は仕事、渋滞情報が出ている中、急いで家路に向かうのでした。


 今回は軽井沢での開催でしたが、ぜひ今後も目呂二の生き方や仕事を再評価するためにも、準備は大変ですが大きな都市で開催されることを願っています。次回もご期待下さいという言葉が主催者のブログにありますのでその期待はますます高まります。

 おおぜいの観客の中、撮影でご迷惑をおかけしましたが、取材をさせていただきありがとうございました。




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