『我輩はMONEY=KEY猫である』に行く

   ギャラリー猫町会期:2024年6月13日~23日(木金土日のみ開廊)

今年はMONEY-KEY猫生誕100周年で
いろいろと企画があるようだ

その第一弾として谷中のギャラリー猫町で
企画展が始まった
順次、軽井沢の木通庵
伊勢の招き猫まつり
村上の瀬波アートスペースと
巡回するようだ

さらに夏には軽井沢の追分宿郷土館でも
企画展が開催される


 明日は暑くなる予報が出ているので会期の初日2024年6月13日、谷中のギャラリー猫町へ向かった。

猫町へ向かう
日暮里駅で降りて紅葉坂を上がる
天王寺沿いに戦前の町名が入った
防火水槽があった
紅葉坂 天王寺沿いに昔の防火水槽があった
谷中霊園内を歩く 永久寺を覗いていく 榎本武揚が仮名垣魯文に贈った山猫の墓
谷中にはいろいろと見所がある
しかし蒸し暑く歩いていると汗が出てくる
やはり散策はもう少し季節がいい時期だ

どうしても永久寺によって
猫関連の碑(塚)を見てしまう

いせ辰を横目にギャラリーへ向かう
山猫めをと塚 ギャラリー到着
猫町では猫がお出迎え いろいろな作家の猫がお出迎え 今回は天野千恵美さんの個展との2階建て

 今回の展示は1階の会場で開催されている。目呂二のマルチアーティストとしての展示である。同時に商業的な側面もいろいろな資料から見えてくる。

 
縁福猫など 関東大震災後のラフター関係が多い
どちらかというと商業的な側面 目呂二紹介
戦後絵馬はよく出たという 「仙客満来」(1950)
「福満年喜(ふくまねき)」(1950) 「ねこの子も恋知らぬ間そヒトの愛」 この構図は画でも見た記憶がある


 今回は縁福猫の展示はなかったが、今後展示も予定しているという。

 縁福猫関係
かつて「芸者招き」と呼ばれた『縁福猫』 

以前戦後の料飲漫画新聞の画像を載せたことがあったが不鮮明であった
今回コピーが展示され、はっきりした画像で掲載することができた
料飲漫画新聞は国会図書館にも所蔵されていないので
資料としても貴重であった
初代の申し込みセット
料飲漫画新聞第25号  昭和25年(1950)3月25日号


ラフター関係  
いろいろな試作品があった『ラフター』
当初は販売されたかどうかわからない状況であったが、
現在は販売されたことが確認できている
しかし解説にもあるようにあまり売れ行きは思わしくなかったようだ
完成形?と未彩色
ラフター誕生秘話 サンドイッチマン風宣伝風景案と初期ラフター案
立派な箱とある 左上の「○へ」は読む順番を表している
すでにソロさんは結婚して東京にいるので ラフター販売用イメージパース このような箱に入っていたのか?
ラフター制作のころはすでにソロさんは結婚して
東京にいるのでいろいろやりとりしている
すの子さんも東京で彩色などをしながら営業活動もしていたようだ

 『河村目呂二の手紙展』も参照のこと

いろいろな宣伝方法を考えているが実際にはどうだったのだろうか?

ラフター販売宣伝ポスター(案)

 今回の主役でもある「マネーキー猫」生誕100年。これまでにも公開されている物が多いが、まとまってみるとまた趣が異なる。販促用ポチ袋委は初めて見た。今回のマネーキー猫に限らず、会社でデザイナーとして働いていた目呂二はいろいろ販促の工夫をしていたようだ。いわば使い捨てられるそのような物品はなかなか保存されていること自体が珍しい。

マネーキー猫  
関東大震災後の復興を願っての制作でもある
これはよく展示されているマネーキー猫のポスターだが
猫自体はあまり前面に出ていない
震災直後の不況に陥ったときで
マネーキー猫の顔と白抜きのキーを下地に
「金の神」、「MONEYKEY」、「まねき」、「挽回不景気」などの文字が躍る
左側に縦書きしてあるのは
CREATED BY MIOTIKIRIN
 
関東大震災後の風景6点  
マネーキー猫の誕生は関東大震災の後であった
今回は震災当時のスケッチも展示されていた
目呂二はどの程度震災の被害に遭ったかは
特に記録を残していないそうだ
今回の展示のきっかけとなった
『マネーキー猫』
百歳を迎える
試案と比べると多少の違いはあるが
ほぼ完成形に近いものとなっている
眉毛のハートは逆
 
試案 パッケージデザイン(右)と販促用ポチ袋(右)
意匠登録申請をしたが許可されなかった 拒否に対する意見書

 変わり雛展では借り受け品もあり撮影ができなかったが、今回は3点展示され撮影が可能であった。

変わり雛
変わり雛3点  前回の展示では撮影不可だった ねこ雛
ひょうたん雛人形 おたばこ雛人形

 目呂二はあそびと称しながらもいろいろなアイデアを具体化していた。すべてが順調で成功したとはいえないが、その一端を見るだけでもおもしろい・

  
 歌舞四季怪者 九尾洞 凹凸化あそび研究所
本業苦 眞迷兆 尼重蟹地:本郷区(駒込)神明町20番地は
大正9年にすの子と結婚後住んだ場所
今でこそ都心だが当時は田んぼが拡がる郊外だったようだ

人物園あそび研究所は本郷区駒込坂下38となっており
上の研究所より前と思われる
抱いている猫はお気に入りと思われよく写っている
おそらく目呂二の作と思われるが写実的な猫である
右にある猫型あんか(手あぶる)と同時期の猫と思われる

招き猫の火入れは今戸焼に存在し百猫にも採用された
戦前にも同じような型で火入れや香炉が制作された
戦後になって灰皿として使用できるような形態で復刻された
ラベルに2018年とあるがこれは復刻版を制作した年 猫あんかイメージスケッチ
手あぶり猫(覆刻版) (2018) 大佛次郎が愛用した実物 (大佛次郎記念館所蔵)
戦後に制作された火入れ 
「1950年、戦前の作品の復刻制作

福招き風除け火入れ猫」頒布のための草稿(右)
原稿用紙は層雲俳句用箋が使用されている
実にいろいろなものを考案し制作した
はたしてどれだけ商品として製作され販売されたかは不明 
頭が駒のようになっているようだ 製品化されたのだろうか?
にっこりと困り顔が裏表になっている 意匠登録を申請している
下の4体は「猫のブックエンド?」 化け猫が壺の油をなめているのかと思ったらマドロスパイプだった

 夫婦揃って自転車好きでエンブレムデザインまでやっていた。

   
 
目呂二夫婦は自転車マニアとしても有名
道路も未舗装が多く、変速機もない時代に
都内(当時は東京市内)を廻るだけでも大変だっただろう
まして東海道を走るというのはかなり困難な時代であったはずだ

上の画帳は最近オークションに出品されたもので
59枚の肉筆画から構成されている(掲載許可を取っていません)
ご連絡いただければ正式に申請いたします
受注生産されたようだが高価であったことからあまり出なかったようだ
その後枚数を大幅に減らした作品が出されたという

自転車メーカー双葉屋のシンボルマークなどは現物が
存在するのだろうか?
あまりにも有名な昭和初期の『趣味に猫百種』
ミント品を見たことがあるが状態はひじょうに見事だった

百体完了すると縁福猫が描かれた鍋蓋を贈られた
『趣味に猫百種』(残念ながら未完) 鍋蓋に描かれた縁福猫
  それでは巡回展次に続く

 それほど広くない会場ではあったがいろいろ楽しめておもしろかった。また蒸し暑い中を帰宅することにした。

   
さて帰るとしよう
壁面に展示してあった化石のような作品は
造形作家のHISOKAさんの作品だった
また同じ道を引き返す 猫町の巨大壁画風の作品
猫が見送る 谷中霊園に明治初期の几号水準点がある 「不」の字のような水準点
ふたたび日暮里駅に戻ってきた
次回は夏の小灯と追分資料館での展示


 巡回展であるので今後も展示は会場の規模に合わせて続いていく。谷中会場も後半が残っている。次回は前後期に分けての軽井沢、瀬戸の招き猫まつり、そして新潟県村上市と続く。

今後の展示  
この企画は巡回展として続きます
会場の規模などにより展示物も
変わってくる可能性があります
別の企画であるが夏に追分宿郷土館で
「奇才!河村目呂二のアーティスト人生」も
開催される

講演あり






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