この別館では目呂二の猫の中でも「ジャズマネキ猫」と「MONEY-KEY猫」を紹介していきます。
ジャズマネキ猫 ラフター君
1920年代に製作頒布されたジャズ招き猫です。猫のフィリックスに顔が似ています。フィリックスは1919年に初めて映画に登場し、1923年から新聞連載が始まったのだそうです。目呂二のコレクションの中や趣味の猫百種の中に2種類入っていることからもフィリックスがもとになっていることは間違いないでしょう。これにジャズマネキというだけあって黒人のイメージが重なっているように思います。また当時のフィリックスがどのような行動をとっていたかわかりませんが、お腹を抱えて大笑いする仕草もラフター(Laughter)という名前につながっているのかもしれません。とにかく「猫々(ねこねこ)笑う」という表現はいろいろなところで使っています。笑いは幸せのもとという考えだったのでしょう。
彩色はいろいろあったようで基本的にはフィリックスと同じように本体は白と黒です。台や持っている看板?は色違いがあるようです。
ところで「ジャズマネキ猫」と紹介されています(構造社展の図録でもそうなっている)が、まったく招いていません。この名称は後から付いたものなのでしょうか。あの「芸者招き」も当初は使われていなかったようです。
台:白 | 台:青 | ブロンズ色 |
下の画像は未着彩のジャズマネキ猫です。構造社展の図録では素焼きに着彩とありますが、これは画像を見たところ石膏のようにも見えます(特に中央の台の欠けた部分)がいかがなものでしょうか。大きさは図録によれば10.0×4.0×5.5となっています。
背面 「LOOK at me」 「MAY BE HAPPY」
正面 「HELLO! come to me!」 「Let us LAUGH together!」
左面 「GOOD LUCK comes to GOOD LAUGHTER」
右面 画像はありませんがパース画には「I am the messenger of Good Lack(Luck)」
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ジャズマネキ猫 未着彩 |
左下画像はサイズがわからないので何に使用されたものかはわかりません。それほど大きくはないのでポスターではないようです。広告用のチラシの原画かあるいは右下画像のパッケージのデザインの一部かもしれません。ここで猫の名前が「Laughter」であることがわかります。右下のパース画(パース画:住宅広告などによくある遠近法を用いたあの完成予想図を思い出せばよいでしょう)から「ジャズマネキ猫」の完成品とそのパッケージの様子がわかります。
私の名はラフター みなさん、みなさん、私を連れていって! いつでも、どこでも 私を見て、笑って! そうすれば幸せになれるよ |
パース画 |
追記(2010年2月26日)
ジャズ招きは戦後の作だった?
2009年の秋に軽井沢の追分で開催された目呂二の企画展に思いもかけないものが出品された。これまで1920年代の作と考えられていた通称「ジャズ招き猫」が戦後の作品だというのである。これは終戦からさほどたっていない頃、目呂二からソロさんに送られたハガキの中に絵入り紹介されている。このハガキで目呂二は奥さんに急かされながら試作している様子を伝えている。そしてまだ手を加えなければならないことも書いている。明らかにその時点ではまだ完成型となっていないのである。台座も小判型になっている。しかし全体的な構想は完成品に近いものとなっている。
いろいろな彩色のものが見つかっているのも試作品だからかもしれない。
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正式名は「LAUGHTER(ラフター)」だが、 便宜上「ジャズ招き」を使用している |
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ハガキに書かれたジャズ招き |
さらに不思議なのはポスターや原画や製品を入れる箱(ぴったりの大きさなので別の箱を流用したとは思えない)まで現物があるのに販売された形跡が見られないということだ。販売されていれば几帳面なスノ子さんだけに必ずデータやスクラップが残っているはずなのにそれはまだ見つかっていないそうだ。またパッケージの箱もパース図にあるような凝ったものではなくただの白い箱であるのは結局頒布には至らなかったことを示しているのかもしれない。縁福猫やマネーキー猫の時代には多くの人のネットワークがあり、それを十二分に発揮し頒布した。しかし戦争が人のネットワークを断ち切り、また目呂二自身も追分に移り住んで時代の流れとともに話題の人物としては過去の人となった感がある。はたしてジャズ招きは頒布用に制作されたのだろうか。制作はされたが頒布の機会を失ってしまったのだろうか。詳細は現時点では不明であるが、ジャズ招きは大々的には販売されなかった(あるいは頒布用に大量制作されなかった)、または製品化された段階で企画が途絶え頒布されなかったと見た方がよさそうに思えてきた。
右下のアクリルケースに入っているのがジャズ招きで白い箱状のものがパッケージ用の紙箱。 以前ポスターではないようだと書いた正面のピンクの原画はやはり販促用のポスターの原画と思われる。 |
今後の資料整理が待たれるところである。新事実が出てこないとこの問題は解決しないかもしれない。
追記(2022年10月2日)
(続く予定)
MONEY-KEY猫
「ジャズマネキ猫」に対して「MONEY-KEY猫」ははじめから目呂二が名称をつけて頒布したことがわかっています。困ったことに手元にMONEY-KEY猫の画像がありません。これはけっこういろいろなところに掲載されているのでどこかで掲載許可を取る予定です。
ジャズマネキ猫に対しMONEY-KEY猫はオーソドックスな白に黒斑の猫です。手にコインと鍵を持ってMONEY-KEYと洒落ているわけです。ちょっと横目がちな10cmちょっとのかわいい招き猫です今回原画を見て初めて眉毛がハート型になっていることに気が付きました。しかも、原画ではハート型が逆向きですが、製品版ではハートは正立の位置になっています。それは下中央の画像でもわかります。この告知はどのようなところに掲載されたのかはわかりませんが「新福の神 MONEY-KEY猫」「明日をお待ち下さい」とあります。レート通信などに載った告知広告かもしれません。
MONEY-KEY猫 画像入手次第掲載します |
告知 | 「MONEY-KEY猫」原画 |
下の新聞記事は(株)平尾賛平商店、後のレート化粧品のレート通信に掲載された新福の神「まねき猫(MONEY-KEYねこ)の頒布広告。
「レート意匠部嘱託の彫刻家河村目呂二氏の創製である。東京市本郷明神町20猫珍奇林へ申し込まれると一体1円80銭で頒布されることになっている。同行の○○おすゝめします。芸術的な愛嬌のある好個の置物です。」とある。50個限定だったようです。
なお構造社展の図録によれば大きさは11.0×6.0×7.0と14.0×8.5×8.0の2種類あるようです。
また広告の写真に写っているパッケージらしきものに貼り付けてあるラベルが下の画像であると思われます。ここでも新福の神をうたっています。なお、中央の不思議な猫の顔は「NEKO」の文字を図案化しています(わかるかな?)。
レート通信 第24号 | |
パッケージのデザインだろうか? 「NEKO」の文字をデザイン化している |
下の画像はB6サイズよりも小さな薄い紙に印刷された「我輩はMONEY-KEY猫である」と称する印刷物で、おそらく大きさや紙質からいってMONEY-KEY猫に添えられていたしおり(由来書)と思われます。最後の方まで猫の文字は出てこず、『新・福の神』として売り出そうとした様子が文章からもうかがえます。今でこそ巷にあふれる招き猫ですが、まだ当時は商売をしている家ならいざ知らず、ふつうの家庭ではまだ一般的ではなかったことがうかがえます。コピーライターとしてもなかなかの腕前だったようです。大笑充散念(大正13年)ということで文中にもあるようにまさに関東大震災復興の真っ最中の頒布でした。
MONEY-KEY猫の添付されていたと考えられるしおり(由来書) |
うけとり証(領収書)でも遊んでしまうのでした。宮使 猫快女とは河村すの子さんで奥様が会計をしていたことがわかります。
右下の「金の神」は何に使ったのだろうか。鍵に付いている文字は「CREATED BY MYOTIKIRIN]とある。
MONEY-KEY猫の領収書 | 一体これは何だろうか |
これは年賀状だろうか。
ここでも絵馬を摸した枠の中にMONEY-KEY猫を崇める家族の姿があります。
MONEY-KEY猫にお供え物を供える一家。前の紋付きの男性はよく見ると丸い紋に「メロ」とあり、目呂二氏であることがわかります。後ろの女性はやはり三角の紋?に「スノ」と入っているので、すの子夫人であることがわかります。そうなると向こうにいる(あるいは背中にいる)子どもはソロさんかと思いよく見ると菱形の紋?にやはり「ソロ」と隠し文字がありました。
三味線の胴の部分には「我楽他宗 十五番札所 女弄寺」(目呂二)、バチには「十八番(札所)猫快女」(すの子夫人)とあります。
年賀状? |
資料を提供していただいたUさんによれば、目呂二が活躍した当時の宣伝文、新聞・雑誌の記事等をすの子さんがまとめていたファイルが見つかったそうで、上の大部分の資料もそこからのもののようです。
追記(2006年6月2日)
その後、Uさんからおもしろい情報が届きました。引用させていただくと次のようになります。
「“ジャズ・マネキ”について、“ジャズ”の由来は、もちろんあの黒人音楽のJAZZなのですが、当時は、日本に入ってきたばかりの言葉で、今日のように音楽の1ジャンルを端的に表しているというよりは、“舶来のハイカラなもの”というような形容詞で使われていたそうです。(少なくとも目呂二周辺では。)モデルはやはりFelixCatであったそうなので、“舶来のハイカラ招き猫”というような意味だったのではないかと思います。
ちなみに、目呂二が童画家の武井武雄らと主宰していた自転車愛好会“ジャズ・マニア”も同様であったと思われます。
(この場合のジャズは“JAZZ”ではなく“JAZOO”とつづっています。自転車を解体して部品を並べるとJAZOOの文字になるそうで・・・。)」
(以上清原ソロさん談より)
追記(2006年6月28日)
MONEY-KEY猫 4方向画像
これは構造社展に出品あされたものです。資料性を高めるため大きめのサイズにしてあります。
4方向から見て初めてわかりますが、黒い斑点はすべてハート型であることがわかります。耳の中の彩色も幾何学的な模様になっています。裏に貼ってあるシールから「意匠登録」済みであることもわかります。
正面 | |
後ろ姿 | 左手挙げ |
意匠登録済み |
追記(2010年2月26日)
マネーキー猫は意匠登録されていなかった?
不明な点が多いジャズ招きに対し、マネーキー猫ははっきり頒布されたことが数多くある資料からもわかる。
追分の展示品から、限定頒布と思われていたがマネーキーはレート化粧品の販売促進グッズとして利用されていたことも当時の広告からわかった。この広告によれば、レート固煉白粉半ダース、レート煉白粉小1ダース、レート粉白粉1ダースで各一口となり、一口につき1個マネーキー猫を進呈とある。
また、我楽他宗の三田平凡寺も広告を作って自らのところで頒布していた。
棚の上、左上がレート化粧品の 販売促進広告 左下は我楽他宗の三田平凡寺の 販売促進広告。 平凡寺のところでも購入できた。 |
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追分ではマネーキーなどの貴重な資料も |
さらにおもしろい資料が展示してあった。マネーキー猫の意匠登録である。特許局からはマネーキー猫(申請ではまねき猫玩具)の意匠登録は不許可となっている。理由としては従来のものとさほど変わらず新規のものと認められないというものであった。(棚の下右端の文書)。それに対して意見書を提出している(下の棚中央の文書)。これらの資料から正式にはマネーキー猫は意匠登録はされなかったと思われる。