「加州猫寺を探る」 その5

加州猫寺第5次調査    2002年5月18日実施

 加州猫寺調査も第5回目を迎えました。今回の調査の大きな目的は古瀬戸タイプの新種を手に入れることです。以前にも書いたように金沢在住のMさんからメールをいただき金沢市内の骨董屋に昭和の加州猫寺招き猫があるというのです。しかもこれまで報告したものより少し小さそうとのこと。事前に3回ほど連絡を取り、いよいよ決行です。
 この招き猫を置いてある骨董屋は金沢市の中心から少し外れたところにあり、古い学校の建物の一部を移築した大きな建物でちょっとした資料館といった感じです。店のご主人も言われているように骨董と言うよりは古民芸中心でそれは店の名前にも反映されています。訪ねていくと何回か電話で話はしているのですぐに対応してくれました。問題の猫はネコ瓶のなかに入っていました。一見して私の持っているものより小さいことがわかります。
 いろいろ話をうかがっているとこの猫はたまに見ることがあるようです。しかし私が持参した古い富山土人形の方は今までに見た記憶がないということです。金沢市内の骨董屋でも一般に『骨董』を扱うところは多いがこのような古民芸を中心に扱う店は割合少なく、招き猫に興味を示す骨董屋は比較的少ないということです。なお「キツネ猫」という通称も情報として聞いていましたが、この加州猫に対しての通称と言うよりは古瀬戸(あるいは伊万里タイプ)の招き猫に対しての通称とのことでした。昭和生まれの加州猫は温和な現代風の顔つきをしていますが、明治大正生まれの猫たちは細身で目が鋭くキツネタイプの顔をしているのでそのように骨董屋仲間では呼んでいるとのことです。骨董屋さんにとってこの加州猫寺の表示はあまり関心の対象ではないようで、電話でうかがったとき大きいものから小さいものまでそろえている人がいるという話しも、残念ながらこのキツネ猫全般のことで加州猫に限ったものではないようでした。
 この骨董屋さんはかつて旧龍昌寺の近くに住んでいたと言うことで二人で現在の地図ののぞき込みながら現地の話をしましたが残念ながら龍昌寺の前の通り(当時のメインストリート?にあたる)は覚えているのですが、そこに寺があったことは記憶から抜け落ちていました。
 もし何か情報があったり、新しい加州猫が入荷したら連絡をしてもらうように手を打って来ました。他の骨董屋仲間で招き猫を置いてありそうな店を教えてもらい寄るつもりでしたが、別件で時間がかかり骨董屋まわりは今回はこの1軒だけでした。
 下の写真に従来の猫と今回入手した猫を並べてみました。基本的なつくりは当然の事ながら同じです。高さは12cmあり従来品より2cm小さくなっています。大きな違いは従来品が首のまわりの飾りに彩色してから白の三点模様を入れているのに対し、今回入手の猫は黄色で三点を盛った後その上から彩色している点です。わずか2cmですがかなり小ぶりに見えます。全部で何種類くらいあるのか見当もつきません。なお、これらの猫は『古瀬戸タイプ』と呼んできましたが、つくりからいうと『伊万里タイプ』といった方が正しいようです。

加州猫寺招き猫 新種 
従来の左のものより小型
首の結び目下が少しくぼんでいる

いまも続く畜霊供養
 今回のもう一つの目的は龍昌寺の兄弟寺からアプローチして何かわからないかということです。最初に龍昌寺を訪問した際にご住職が「金沢に2つ寺を持っていて、輪島に移転するとき檀家などをお願いしてきた」と話されていた寺のことです。その寺は4次調査で由来書を頂きにうかがったお宅の近くです。
 その寺とは『本源山広誓寺』です。
 あらかじめ地図で場所を確認しておいたのですぐに見つかりました。畜霊供養塔はどこにあるのかと捜しましたが見つかりません。どうも墓地の中にありそうです。しかし寺は不在のようで勝手に墓地にはいるわけにも行かず今回は残念ながら諦めようかと思ったのですが、やはり諦めきれず寺のまわりをまわってみることにしました。寺の裏側にまわると畜霊慰霊の文字が見えてきました。墓地の一番奥にあるのです。塀に囲まれているので詳しくは見えませんので塀越しに写真を撮って後で分析することにしました。
 なお寺をウロウロしているときに不思議なものを見つけました。ひとつは『幽霊と地蔵』と書かれた碑です。それ以外に何も碑には書いてないのでどのような因縁のものかはわかりません。もっとも本堂脇のいっかくに幽霊について張り紙がしてありましたので何か寺と関係があるのはたしかです。もう一つ本堂の正面上の方に盆のようなものにに『笑可』と書かれて取り付けてあることです。この「笑」もたけかんむりの下は「夭」ではなく「犬」です。これは江戸の犬張り子などで笊をかぶせる縁起と似ています。つまり竹でできた笊(たけかんむり)の下に犬(犬張り子)で笑うとなり大変縁起がよいという江戸っ子の洒落です。この2つの疑問も次回に持ち越しです。

黒猫が歓迎してくれた
「幽霊と地蔵」何だろうか?   「笑可」何だろう?

 塀越しに撮影した供養の碑には『畜霊供養塔』左脇に『廣誓愚光?』とあります。愚光とは先代のご住職です。最後の一文字は何と読むのかわかりません。どうも先代の筆によるもののようです。裏面も撮影しましたが向かって左側面と同様に文字はないようです。詳細は次回の調査までおあずけです。

 先日、「ねこれくと」を見て頂いた方から上の畜霊慰霊碑の愚光の下の文字に関して教示していただきました。これは「書」の草書体で「廣誓愚光書」となるのだそうです。ちなみに金沢あたりでは神社としてより寺院として金比羅さんを祀っていることの方が多いのだそうです。御教示頂いたYさんありがとうございました    2005年8月31日加筆・修正

     
塀越しに撮影した供養塔   これが畜霊供養塔   愚光の下の文字は何?

 龍昌寺の現ご住職からの聞き取りが行き詰まっている中、次回の広誓寺での聞き取りから何か進展があることを期待して今回の第5次調査は終了しました。

      広誓寺(こうせいじ)   石川県金沢市昌永町13−25