「加州猫寺」の謎にせまる その3
猫寺第三次調査
ついに加州猫寺、第3次調査に行って来ました。今回のメインは石川県立図書館の北國新聞のマイクロフィルム。石川県立図書館には北國新聞のマイクロフィルムと縮刷版がほぼ欠番なくそろっています。
11月も下旬に入り待望の3連休です。22日(金)に仕事が終わったらすぐ出発したかったのですが残念ながら翌23日は数少ない石川県立博物館の数少ない休館日に当たり調査はできません。そこで初日は龍昌寺での聞き取り調査にし、24日に図書館で調べものという日程にしました。そのようなわけで自宅でゆっくりしてしまい、龍昌寺に着いたのは少し日が傾き始める時刻になってしまいました。今回は山道の下に車をおいて山道を歩いていくことにしました。これまで2回の調査ではとにかく調べることに重点を置いたためまわりの景色もよく見ていませんでした。今回はゆっくりしていこうという考えからです。
龍昌寺の玄関側にまわると小屋の中でご住職の奥さんが藍の状態を調べていました。挨拶をすると昨年の訪れたことをすぐ思い出してくれました。ご住職の奥さんは染色(藍染めや草木染め)や書をされているということで個展のため函館に行っており、昨日帰ってきたと言うことで、危ういところで、またすれ違いになるところでした。旅の疲れでご住職はダウンで今回は奥さんを介しての聞き取りです。
まずは丘の上の加州猫にご挨拶。あらためて写真を撮りながらよく見るといろいろと発見があります。今回は猫の各パーツをじっくり撮影してきました。
今回の調査で最大の発見は慰霊碑の台座に組み込んであった由来が書かれていると思われる石板です。何でも前ご住職が大切なものということでこちらに引っ越したとき大事に持ってきたと言うことです。しかし内容はよくわからないと言うことで、とりあえず写真撮影をして解読することになりました。2枚の内1枚はかなり表面の風化と摩耗が進んでいるのですが、もう1枚は比較的鮮明に残っています。ご住職の奥さんと石板をのぞき込みながら文字をたどっていくと、猫塚などの文字が読みとれかなり期待できそうです。あとは東京に持って帰り解読です。来年の4次調査では拓本をとらせて貰うつもりです。
秋も深まった山道 |
80才の加州猫は何を語るのか |
まゆ毛や鼻の造りもしっかりしている |
丸金の取り付け部位分も芸が細かい | 夕日を浴びる威風堂々の加州猫 |
猫寺の由来、石板発見?
石板の後半部分 見やすくするため画像処理してあります。 |
石板の前半部分。かなり摩耗している |
台座の下の枠の部分にはめ込まれていた可能性があります。 |
「石板」は現在解読中
上が現在、判読できている文字です。
法要記事を求めて
畜霊慰霊碑の除幕式の日ははっきりしているので新聞を捜すのは容易です。問題は記事になっているかです。幸い石川県立図書館には北國新聞がほぼマイクロフィルムか縮刷版で保存されているので、早速マイクロフィルムをマイクロリーダーで捜してみました。それほど時間をかけることなく、法要記事を見つけることができました。その記事の中にははっきりと招き猫を授与したことが書かれていました。(詳細は北國新聞から掲載許可がおりてから、記事のコピーと一緒に掲載します)
また、招き猫寺法要という記事からも当時すでに龍昌寺は何らかの形で招き猫に縁がある寺として認知されていたことになります。ただこの大法要の際に招き猫の像を頒布とあるので、常時頒布していたものではないことがうかがえます。これでますます龍昌寺と招き猫の関係はさらに古い時代にさかのぼることが確実になりました。ではその古い招き猫とはどのようなものだったのでしょうか。ますます調査は困難を極めそうです。
北國新聞の「招き猫寺法要」の記事 (北國新聞 大正10年7月9日より) この記事は昨年の11月から2回の掲載申請と1回の問い合わせをしていますが、北國新聞社より何の回答も得られませんので、とりあえず記事を掲載しました。 今後都合により削除する可能性もありますのでご了承願います。 |
招き猫寺法要 九日より十一日まで 市内石坂裏五十人町招き猫寺龍昌寺にては来る九日より十一日まで三日間午後一時より畜霊供養の為大法要を営む由にて法要日程及び余興は左の如く尚同日寺には諸願成就の招き猫の像を頒布すべしと ▲九日午後一時西廓事務所より稚児行列あり除幕式終て畜霊へ供養の法要あり餅投終て説教▲十日午後一時金比羅大権現臨時祭禮確信者家内安全商売繁盛のため大般若経六百巻転読執行終て説教▲十一日午後一時各信者のため大施餓鬼會を執行す終て説教▲余興七月九日午後六時地萬歳、十日午後六時浄瑠璃、十一日午後一時寄合角力あり、午後六時落語浪花節 |
以上のように記事としては小さな地方記事ですが、三日間におよぶ法要は余興もありでなかなかにぎやかに行われたことがうかがえます。
次への課題
今回の三次調査では大正時代の畜霊慰霊碑除幕式で招き猫が授与されたことが新聞記事から明らかになりました。これが例の富山土人形であることを確認するのは至難のことと思われます。また上記の法要以前の招き猫はどのようなものだったのか。龍昌寺と招き猫の関係は?そもそも龍昌寺は猫との縁はあっても招き猫との関係は不明です。ただ遊郭が近かったためそれとの関係は十分考えられます。
あとは石板の解読です。ある程度は判読できると思われますが、いろいろな角度から撮影してきたものの、光の当たり具合で判読が難しい文字があります。それにもまして摩耗してしまった部分はどうしようもありません。とにかく一文字でも多く判読するために、来年4月の第4次調査では拓本をとってこようと思っています。
また古瀬戸タイプの加州猫は昭和11年らしいとご住職の奥さんにうかがい、図書館で1日がかりでマイクロフィルムを調べましたが、昭和11年分の内、半年分を見ましたが法要記事は見つかりませんでした。おそらくこちらの方が大正時代の法要より大規模だったのではないかと思われるので新聞記事になったことは十分考えられます。しかし昭和11年あたりは時代が戦局へ向かう混沌とした時代だけに寺の法要などあまり記事にならなかった可能性もあります。何かはっきりと年月日がわかる資料がないか龍昌寺でもう一度調べてみようかと思っています。
2001年12月17日
2002年 2月12日追記
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