広誓寺を散策する
                                      2018年(平成30年)3月10日

 金沢の学会で開催するシンポジウムに参加するため金沢に行く。今回は小松へ寄っての作業はなし。

 これまで車で行っていた猫寺こと龍昌寺の兄弟寺広誓寺が駅からひじょうに近いことがわかった。今回は駅前のホテルを予約したので広誓寺を散策することにした。

 訪問した3月10日は翌日3月11日(日)午前10時より開催される涅槃会(ねはんえ)および春期地蔵大祭の準備が始まっていた。準備をしていた方にうかがうとお寺の方ではなく檀家の方のようであった。
 明日は本堂でお釈迦様の命日をご祈念するお参りがおこなわれ、舎利(お釈迦様の御骨)を見立てて団子を造り、お参りした後、参詣者に配る団子まきがおこなわれるのだそうだ。

 廣誓寺の山門前にある
お地蔵さまと「幽霊と地蔵」の石碑は
かつて浅野川の上流に火葬場があった、
火葬場を取り壊した際、
そばのお地蔵様を移動させたら
幽霊が出るようになり、
廣誓寺で供養したら出なくなった」
ということが

もとになっているようです。
廣誓寺へ入る  
 特に謂われも建立年もないお地蔵様と石碑 「 幽霊と地蔵」石碑 本源山廣誓寺山門
 本源山 廣誓寺
(ほんげんざん こうせいじ)

曹洞宗
創建年 慶長2年(1598)

〒920-0846 石川県金沢市昌永町13-25
 浅野川のほとりにある廣誓寺は、
不破家が建立し、不破家の菩提寺となる。
1650年現在の位置に移転する。
不破家は美濃の齋藤家に従臣、
齋藤家滅亡の後、

織田信長の家臣となる。
本能寺の変の後、前田利家の家臣となった。
廣誓寺には不破家の念持佛、
地蔵菩薩が地蔵堂に安置されている。

現在は毎年お彼岸時期に
「オテラート」といって、

金沢在住の作家、学生による
アートグループ展が開催したり、
「坐禅会」や
「おてらくご」等々
いろいろな活動をしている。
 
 本堂にかかる「笑」のような文字は解決せず

 さて本題の『畜霊供養塔』を見に裏手の墓地に入る。いちばん奥に畜霊慰霊塔はある。

 畜霊供養塔の下が納骨堂となっているようだ  
 畜霊供養塔  上「本源山廣誓寺」  下「??愚光」
 以前塀越しに撮影したが
今回は許可を得て供養塔を
撮影することができた。
以前Nさんから指摘のあった書は「廣誓愚光書」、
その下の落款?は上は明らかに「本源山廣誓寺」だが、
下は読めない。左の二文字は書いた「愚光」であるが
その右の二文字はわからない。
 供養塔脇には愛犬の墓が3基ある  

 少し離れた場所に古い墓を見つけた。

 別の場所に注目すべきものを見つけた。
新しい愛犬の墓の奥には
『ミミ之墓』と書かれた古い墓があった。

書かれている文字を読むと風化しているが
おそらく昭和28年のものと思われる。
ということは廣誓寺でもペットあるいは動物の供養を
早い時期からやっていたのか?

この建立者の旧町名の住所を調べて見ると
広誓寺というよりは

龍昌寺があった場所に近い。
もしかすると龍昌寺が移転するときに
こちらに墓を移した可能性もある。
この点もご住職にうかがってみる必要が出てきた。
新しい愛犬の墓の後にある古い墓  
   ミミ之墓
 いとしい子を失い
□が如くありし日の
つめあと撫でて雪の朝
昭和二十八年十一月二十八日亡
愛猫ミミの短き生涯を悼み
此度に冥福を祈る
金沢市(以下建立者住所)
(建立者氏名)
60年以上前に建立された愛猫の墓 龍昌寺から移転されたものだろうか?



広誓寺前の道路沿いにかつて用水があった。 今は暗渠となってしまった中島用水  しかしその先には
 しかしその先にはわずかに用水が見えている。 そして浅野川につながる  大きな4本のケヤキが廣誓寺の場所


 実は知らなかったのだが、2008年(平成20年)7月28日に浅野川は停滞前線による豪雨で氾濫した。廣誓寺も床上浸水したらしい。被害にあったお堂や庫裡なども檀家やボランティアの手助けで修繕したようだ。流されたコケも復活してきた。きっと墓地や畜霊供養碑の納骨堂も水没したのだろう。多くの人の努力によって以前と変わらぬ姿の寺が復活した。