加州猫寺調査隊 その23  金沢龍雲寺編 

                                                                2013年7月29日

 7月23日「ねこれくと」への意見・感想のメールが届いた。
 内容はなんと加州猫寺の情報でした。内容としてはそのまま掲載しても問題なさそうなのでここに記録として残しておきます。
 内容は以下の通りです。

金沢在住のTさんからのメールによる情報

加州猫寺「龍昌寺」
私の聞いたところの話によると:
現在の「竜雲寺」の明治期の住職が兼務していたようです。
(石川県金沢市寺町5丁目12?40)
かなりのあれ寺で,その住職が寺の再興のために「猫供養」を初めたところ、 近隣住民が猫供養にお布施を収め始めて,繁盛したとのことでした。
近隣の遊郭の女性達にかなり人気だったと聞いています。
その後に,大正から昭和期に現住職のご先祖が専従の住職として赴任されたよ うです。

「竜雲寺」先代住職のご長男さんから7~8年目にお聞きしたお話です。
竜雲寺さんは,現在も4寺を見ておられます。
猫供養を始めた,住職はかなりのアイデア住職だったようです。
猫供養を初めて,かなり潤ったようです。

 さあ、大変なことになってきました。龍昌寺が招き猫寺であることがわかるかもしれません。早速返信メールを送りました。

私からの返信

T様
 こんばんは。「ねこれくと」を見ていただきありがとうございます。昨日ある 博物館から加州猫寺の件で問い合わせがあったばかりで2日続きの加州猫寺メー ルに驚いています。
 龍昌寺に関しては最近は調査も行き詰まっていましたが、今回いただいた情報 はそれを打ち破るものかもしれません。大正期の慰霊祭のころはすでに招き猫寺 (猫寺ではなく)として名が知られていたことは確実なようでしたが、なぜ招き 猫寺と呼ばれるようになったのかはわかっていませんでした。寺に伝わる言い伝えも猫に関してで招き猫ではありません。
 今回のお話によりそれがつながってきたような気がします。場所も旧龍昌寺か ら遠くなく兼務していたというのも納得がいきます。どんな住職だったのか興味 が湧くところです。
 今週末に別件で福井・小松に行きますので帰りに竜雲寺に寄ってみようかと思 っています。
 猫(招き猫)ネタはたくさんあるのですが、仕事が忙しく更新も滞っています。
今回の件、取材をしてぜひアップしたいと思っています。
 これからも『ねこれくと』をよろしくお願いいたします。
>  

 メールにもあるように、ちょうど7月27~28日に小松・福井に所用があって出かけます。グッドタイミングです。これはもう行くしかありません。Tさんからのアドバイスで今回は事前にアポイントを取ることにしました。そうはいっても所用が流動的なので前日に電話することにしました。

 7月28日金沢のホテルから龍雲寺に電話をしました。最初は何だろうという対応でしたが話しているうちにだんだんこちらの意図がわかってきたようです。
 しかし残念ながらTさんが話を聞いた住職はすでに亡くなっており、代替わりしていました。しかも現住職が出かけて不在だったため、明朝もう一度電話することとなりました。

 29日朝、北陸地方は強い雨に見舞われていました。約束の時刻になり電話をかけたのですが何回かけても話し中になってしまいかかりません。仕方がないので得意?の突撃取材となりました。

 いつものスーパーに駐車し歩いて行くことにしました。場所は西茶屋の近くの寺町寺院群の中にあります。歩いてもそれほどの距離ではありません。

 西茶屋街  倹番所  西茶屋資料館
広見とは広場で
防火帯の役目をしていたようだ。
この六斗の広見の
奥に見えるのが目的地の龍雲寺 
 
六斗の広見(ろくとのひろみ)
龍雲寺山門
 これだ!幼稚園の階段に
プレートがあった。

情報をいただいたのは
この幼稚園の設計事務所の方だった。
設計の打ち合わせをしているときに
あの話が出てきたのだろう。
でも何で猫寺の話が出てきたのだろう。
アイデアマンの住職の話からだろうか。
これだ!


 山門脇の壁にあった解説が大きな突破口となりました。解説の後半に出てくる二十七世禅明和尚です。あの畜霊慰霊碑の石版にあった住職です。

解説番
 問題になるのは寺の説明の後半部分
 明治44年(1911)に26世順全和尚が移転した寺を移築再建している。
 そして次の代の27世禅明和尚が戦中戦後45年間で書院や保育園の創建をしたとある。
 この禅明和尚こそが龍昌寺の畜霊慰霊碑に出てくる禅明和尚と同一人物のようだ。


 今回お話を伺ったのはTさんに話をした亡くなられた前ご住職の奥様でした。
 禅明和尚は舅(しゅうと)にあたるのだそうです。そうなると亡くなられたご住職が28世、現ご住職が29世ということになります。ご住職は忙しくて同席できなかったので、 もう一度訪問するか、書面で必要なことを問い合わせることにしました。
 まずは今後の繋をとることには成功しました。



 今後の問題点として
 龍雲寺の明治期の住職は誰だったのか。その中で龍昌寺の住職を兼務したのは誰か。そしてその兼務期間。
 26世順全和尚と27世禅明和尚の在職期間および誕生年と亡くなられた年。おそらくどちらかのご住職が猫供養を始めた可能性が高い。もし禅明和尚の時に猫供養が始まったとすると大正に入ってからの可能性が高い。
 もしかすると今まで多く見つかっている小型の招き猫は普段の授与品だったのではないか。
 明治期からの龍昌寺歴代住職名と在職期間。龍昌寺先代の村田愚光住職(20世)、禅明和尚(18世)なのでその間に19世のご住職が存在するはず。村田さんのご先祖なのかそれとも龍雲寺との兼務のご住職だったのか。

 禅明和尚が発起人となっている
発起人に名を連ねる
?聖寺元住職道圓義山という
人物も気になってきた

(?は風化のため読めず)
 畜霊慰霊碑台座  
 もしかしたらこれは招き猫寺の授与品? 



 龍昌寺にももう10年以上いっていない。改めて当時の画像を見るとデジカメの性能の問題もあり荒い。近々訪問して再度撮影してくる必要がありそうだ。またご住職にも最近わかってきたことを加味してもう一度話を聞き直す必要がある。