加州猫寺調査隊 その17 2008年11月3日
この加州猫寺(龍昌寺)調査も開始からすでに8年がたってしまいました。その発端は骨董市で手に入れた2体の招き猫と荒俣宏氏の著書「アラマタ珍奇館」の中で掘り起こされた加州猫寺の記述です。
今回あらためてアラマタ珍奇館を読み返してみてその出典が昭和初期の「新耽奇会図録」であることがわかりました。これは新耽奇会という趣味人の会報であるため実物を入手するのは困難と思われますが、幸いにして高価な書籍ではありますが復刻されているのでそれで見ることができます。荒俣氏の図版もこの復刻版からのようです。
さっそく検索してみると四万円ほどの本です。古本で一番安いものでも二万円ほどします。そこで図書館で見ることにしました。さすがに趣味の本だけあって都内でも所蔵しているところは少なく、近所では文京区の目白台図書館にあることがわかりました。
文京区目白台図書館 |
さてこの新耽奇会とは先の図録によれば、昭和3年5月から11年5月まで断続的に8年間にわたり趣味家が集まり12回開催されました。初回は昭和3年5月23日に笹野堅、内田魯庵、貫井慈園、加賀翠渓、勝俣銓吉郎、三村竹清、木村仙秀、林若樹の8名が参加しています。なおこの時木村仙秀は3点出品しており、その中には弘前土製の玩具が含まれています。これは弘前の下河原の土人形です。
下記に小出昌洋氏による「新耽奇会図録解題」から拾い書きで全12回の開催について記録しておきます。なお、新耽奇会図録に会合の日付や出席者がはっきりしないものに関しては三村清竹氏の日記によって補充したとのことです。
ちなみに三田村鳶魚、三村清竹、林若樹を「江戸通の三大人」というのだそうです。
開催日時 | 開催場所 | 出席者 | |
第1回 | 昭和3年 5月23日 | 笹野宅 | 笹野堅、内田魯庵、貫井慈園、加賀翠渓、勝俣銓吉郎、三村竹清、木村仙秀、林若樹 |
第2回 | 昭和3年 6月27日 | 加賀宅 | 貫井慈園、加賀翠渓、勝俣銓吉郎、木村仙秀、林若樹、和田千吉 |
第3回 | 昭和3年 9月28日 | 三村宅 | 三村竹清、加賀翠渓、勝俣銓吉郎、林若樹、木村仙秀、笹野堅、貫井慈園、内田魯庵 |
第4回 | 昭和3年11月22日 | 加賀宅 (洗雲亭) |
加賀翠渓、勝俣銓吉郎、林若樹、木村仙秀、笹野堅、貫井慈園 |
第5回 | 昭和4年 6月26日 | 洗雲亭 | 加賀翠渓、三村竹清、木村仙秀、笹野堅、貫井慈園 |
第6回 | 昭和4年11月18日 | 洗雲亭 | 加賀翠渓、林若樹、木村仙秀、貫井慈園、三村竹清 |
第7回 | 昭和7年 5月28日 | 洗雲亭 | 加賀翠渓、木村仙秀、貫井慈園、三村竹清、和田千吉 |
第8回 | 昭和7年10月 8日 | 洗雲亭 | 加賀翠渓、木村仙秀、貫井慈園、三村竹清、和田千吉 |
第9回 | 昭和8年 6月17日 | 洗雲亭 | 加賀翠渓、木村仙秀、三村竹清、和田千吉、勝俣銓吉郎、石井研堂、斉藤武、 堀内鶴雄、服部愿夫、久保田満明 |
第10回 | 昭和8年12月 4日 | 洗雲亭 | 加賀翠渓、木村仙秀、三村竹清、和田千吉、勝俣銓吉郎、堀内鶴雄、服部愿夫 |
第11回 | 昭和9年 4月13日 | 洗雲亭 | 加賀翠渓、木村仙秀、和田千吉、勝俣銓吉郎、堀内鶴雄、貫井慈園、服部愿夫、 久保田満明、石井研堂 |
第12回 | 昭和11年5月26日 | 洗雲亭 | 加賀翠渓、木村仙秀、和田千吉、服部愿夫、久保田満明、勝俣銓吉郎、堀内鶴雄、 三村竹清、堀越山樵(市川三升) |
問題になる加州猫寺の招き猫は昭和3年11月22日に開催された第4回目の会合に出品されたものです。この時木村仙秀は2点出品しておりもう一点はやはり加賀で入手した品物でした。
それでは木村仙秀とはどのような人物なのでしょうか。先の新耽奇会図録の解題によれば
名を捨三といい、津軽の人。東京に出てきて、新富町高築という表具師の弟子となり、大正三年に、東湊町円通寺に開業した。画も草書もよくして、本図録には、三村さんとともに、自らが写したり書きもしている。昭和四年より、三村さんを承けて、雑誌「集古」の編集に携わった。明治十八年九月十日生まれ、昭和三十八年五月二十八日に死去した。七十九歳だった。江戸文学、風俗研究家でことに元禄以前に重を置き、その著述は、「木村仙秀集」七冊に収録せられる。新耽奇会十二回に出席されたのは、木村さんと加賀さんとの、二人だけであった。 新耽奇会図録(1998) 小出昌弘監修 加賀翠渓編 吉川弘文館 より引用 |
著書は大部分が木村捨三で出版されており、「絵入江戸行商百姿」はよく見かけます。
さてこの文献の著作権は複雑なようなのでどうするか迷ったあげく模写することにしました。線描きで模写したものをスキャンしてパソコン上で色を付けるという方法をとったため、墨の簿妙な筆さばきまではなかなか再現できていません。黒い斑点も墨のかすれがなくべったりした感じになってしまいました。まして彩色に関しては色合いも難しい点があります。模写した絵は今ひとつの出来ですが、画像を縮小しているのでそこそこ見られる絵にはなっています。落款もいっしょに模写しています。いわゆる白文といわれる文字部分が白く抜けているタイプの落款です。この落款は「仙秀」と読めます。このことから木村仙秀自身の筆によることがわかります。ここに掲載した模写は招き猫に落款を後から合成していますので、縮尺や位置は若干ずれがあります。
模写していて気がついたのですが、なぜか頭の上(猫の額)の黒い斑点が描かれていません。また左手下の斑点は裏側からの絵にはありません。描く位置によっては裏側から見えないこともあるのかもしれません。猫のヒゲが人形からはみ出してしまっています。これは描くときの勢いなのでしょう。
加州猫寺招き猫模写 | 「仙秀」の落款模写 |
木村仙秀自身の解説によれば、この猫はある家の神棚にあったものを譲り受けたものだとのことです。龍昌寺の法要は大正10年7月でしたので、会合が開かれた昭和3年11月というのは7年後となります。当時頒布された招き猫の画像がないためどのような招き猫だったかははっきりしませんが、時期が接近していることもあり、大正時代に頒布されたことを間接的に裏付ける資料になるのではないかと思われます。
実物の加州猫と新耽奇会図録の招き猫を比較のために並列して掲載しておきます。
最初(2000年)に入手した加州猫 | ||
最近(2008年)入手した加州猫 | ||
(参考)植山利彦氏所有のほぼ完全な状態の加州猫寺の招き猫 |