立ヶ花人形 西原家       

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立ヶ花人形
    ※中野市商工会議所の表示に準じ、三河の流れをくむ西原家の土人形を「立ヶ花人形」、伏見の流れをくむ奈良家の土人形を「中野人形」、
      両者を合わせて「中野土人形(中野土びな」の呼称を用いるものとする。

 種類:土人形
 制作地:
 現制作者:西原久美江(五代目)
        西原久美江さんのご子息

 西原己之作(初代 文久2(1862)年1月10日−昭和3(1928)年10月9日)・・・西原義量(二代目 明治31(1898)年1月2日−昭和46(1971)年6月19日)・・・西原袈裟慶(三代目 明治42(1911)年3月9日ー昭和61(1986)年8月4日)・・・西原邦男(四代目 昭和11(1936)年1月23日−平成18(2006)年1月30日)・・・西原久美江(五代目 昭和15(1940)5月27日−  )



 初代中野己之作が明治22年が高丘(村名は今は残っていない)の西原家へ養子として入る。西原家は農業に従事していたが ,良質の粘土が産出していたため明治の中頃から三河の瓦職人を招いて瓦づくりもしていた。そのような関係から明治35年頃三河の斉藤梅三郎が高丘に来て土人形の製法を教えた。二代目西原儀量は大正初め頃から人形作りを手伝っていた関係で己之作の没後、型をすべて譲り受けて人形を作った。三代目西原袈裟慶は瓦職人として商いをしていたが姉のたかのが西原儀量に嫁いだため繁忙期は素焼きの手伝いに行っていた。昭和7年儀量が出征のため立ヶ花人形の制作は中断されてしまった。太平洋戦争により物資の入手が困難となり昭和17年にはひな市も一時中断となった。また戦後も昭和34年の千曲川氾濫で多くの人形型が流出や破損をしてしまった。昭和46年商工会議所等の後押しで立ヶ花人形は復活。昭和47年(1972)のひな市から出品されるようになった。西原袈裟慶はりんご専業農家で冬場だけ人形をつくっていた。袈裟慶の没後、人形作りを夫婦で手伝っていた袈裟慶の長男四代目西原邦男に人形作りは引き継がれた。しかし西原邦男も平成18年に70歳で亡くなった。その後、西原邦男といっしょに人形を制作していた五代目西原久美江とご子息に人形作りは引き継がれた。
 中野のひな市の歴史は古いが武井武雄の日本郷土玩具東の部(1930)には奈良家の人形共々中野土人形に関してはまったく記載がない。なお、立ヶ花人形に関しては販路が飯山方面に多くあったため、長く飯山土人形として扱われていたようである。

立ヶ花人形の招き猫
 立ヶ花人形の猫は招き猫のみである。その招き猫はいつから制作されていたかははっきりしない。古作中野土人形(1989)には初代己之作の作とされる招き猫が掲載されている。立ヶ花の招き猫の特徴は身体からちょこんと突き出て控えめに招いている左手である。この形態は左手は失われているが先の古作中野土人形(1989)の画像にもすでに見られる。ただし西原家では求める人の事情に応じて大中小と異なるサイズの人形をそろえていたことが多かったようである。 西原家の招き猫もごく最近まで大と中しかひな市に出品されなかった。大中があって小がないのは不思議だった。おそらく小もあったが型が失われて制作されなくなったと思われる。事実、失われた型として招き猫小の記述を見かけたことがある。古作中野土人形(1989)にも見られる右手挙げの招き猫が小にあたるのかもしれない。

 前記の通り最近まで招き猫は大と中のみであったが、現在(2022)招き猫は左手が身体から離れた大中小の3サイズが制作されている。これは2016年某氏の達磨乗り招き猫の注文に応えるため、達磨の上に中の招き猫を載せてみたがバランスが悪いため、さらに小さなサイズを型抜きして制作されたことによる。それ以来西原家の招き猫は大中小と3種類そろうこととなった。
 古作の中には左手が顔や身体と密着したタイプもある。いつ頃誰が制作したかは不明である。もしかすると輸送の際に破損を防止するために制作された可能性がある。現制作者の西原久美江さんによれば以前は招き猫を郵送していたこともあったそうだが破損しやすいため今は送っていないとのことであった。
 立ヶ花の招き猫には「狐目」と呼ばれる招き猫が存在する。現在制作されている招き猫の目は上まぶたと下まぶたが描かれているが、上まぶただけの猫が存在し、狐目と呼ばれている。この狐目は古いタイプかと思っていたが古作中野土人形(1989)にある己之作作の招き猫は目の描き方こそ現在とは異なるが狐目にはなっていない。

 もともと立ヶ花の招き猫は白に黒あるいは三毛の斑猫であった。しかしその後好事家の依頼によりいろいろな毛並みの猫が追加された。おそらく最初は黒猫だったと思われる。2008年のことである。翌2009年のひな市には黒猫が出品された。それ以降、2014年に黄色、2016年小、2018年に銀、2019年には多種と毛並みが増えていった。
 いろいろな毛並みが増えてくると背中の処理をどうするのか?三河系の土人形は背面が彩色されていない。白が基調の場合問題はないが、いろいろな毛並みの場合三河系の基本に従い背面は基本的に彩色がない。しかし三毛やロシアンブルー風など背面まで彩色されているものも存在する。

 毛並みは増えたが、基本は白猫に斑である。白猫の正面にまわりに薄いぼかしの入った5つの黒い斑がある。耳は黒で古い作品では黒い模様が鼻まで続いている。耳の中は赤く彩色されている。

サイズ 基本寸法 (人形によって多少の差があります)      
招き猫(大)     高さ250mm×横122mm×奥行125mm 
招き猫(中)     高さ210mm×横 99mm×奥行109mm
招き猫(小)     高さ187mm×横 86mm×奥行102mm
  ※左手が前に突き出しているので
 サイズの奥行きは手の部分を除いて測定している。

 ※左手が前に突き出しているのでサイズの奥行きは手の部分を除いて測定している。


招き猫(大)  
黒の斑が五ヶ所にある 目の上と身体と手足の境界ににオレンジのぼかし  
黄色に赤い模様の首玉 背面の彩色はない
 1995年制作
最も基本的な立ヶ花の招き猫(大)
1995年(平成7年)のひな市で入手したもの。

これと下の招き猫(中)が
立ヶ花人形の招き猫基本形となる。
首玉は黄色に赤い斑点で金の鈴がつく。、
前垂れは3枚で
緑、紫、黄、赤の中の3色が使用される。
前垂れの柄は松竹梅。
「中野ひな人形 立ヶ花」のスタンプ  
招き猫(中)  
つくりは大とほとんど同じ 左手を破損した
  背面の首玉に模様なし
招き猫(中)
制作年代不明
郷土玩具店から購入したもので
上の大と同じ頃の制作と思われる。
残念ながら2011年の
東日本大震災で転倒し、左手骨折。
   


招き猫(大)
 招き猫(大) 基本形  
以前のものに比べ長いひげが1本ある  
 2019年制作 招き猫(大)
最近制作された定番の招き猫(大)
以前の招き猫に比べると若干ふくよかな感じがする。
面相も若干異なる。
     



 招き猫(大) 銀
 
   
 2016年制作 招き猫(大) 銀
 
招き猫(小) 銀  
 
  背面まで彩色されている
2018年制作
   


招き猫(大) 黄
身体にラメのようなものが振りかけられている
 
背面の彩色はなし
 おそらく風水の関係で制作依頼されたものと思われる。
2017?年制作




招き猫(大)と(小) 三河系三毛
  
三河系によく見られる黄色の斑に黒い虎模様を再現してもらった
腹部の斑がなく、斑の数が4つ  
  尻尾はあるが彩色なし
2022年制作
三河系によくある黄色の斑に黒の縞で
制作してもらったもの
招き猫(小) 三河系三毛  
首玉が赤になって白の梅柄  
   
 最初に小さい方をつくったが、
注文だ大だったため追加で制作された。
その最初につくられた方がこれ。
   


招き猫((中) ハチワレ   
招き猫(中) ハチワレ  
   
  2019年制作 招き猫 ハチワレ(中)

我が家のメロ君を参考にして制作依頼したもの
   


招き猫(中) 三毛  
正面の斑の位置は従来と同じだが形状は円ではない  
  背面も彩色がある
2020年制作の三毛(中)
前年に見かけた三毛を制作依頼したもの
黒に茶色の縁取りの三毛。
定番の丸い斑にはなっていない。
背中まで斑の彩色がある。
 招き猫(中) ロシアンブルー風  
 
 2020年制作のロシアンブルー風(中)
ロシアンブルー風の毛色だが斑の模様は入っている。
背面まで彩色されている。
  最初に制作されたロシアンブルー風
2018-2019年制作
黒い斑がない。習作か?(左)

この年のひな市に
出品された2体のロシアンブルー風は
黒の斑があった(下)。 
  


招き猫(中) 黒  
 
   
2015年制作 
  
招き猫(小) 黒  
 
 
2018年制作

背面はすべて黒く塗られている
参考品  
 
2008年、最初につくられた黒猫 はじめて白猫基調以外の招き猫が生まれた。背面の彩色が少し異なる 
   



達磨乗り招き猫
 岐阜のNさんの特注品で最初は中の招き猫を乗せてみたが
バランスが悪いので小の招き猫が型抜きされて出来上がった。
これ以降立ヶ花に小サイズの招き猫が誕生した。
ただしかつて存在した小さなサイズの招き猫とは異なり、
大中と同じ左手が身体から突き出たタイプの招き猫である。
     
 同じ達磨乗り招き猫を再撮影したもの  
同じ達磨乗り招き猫を再撮影したもので
照明の関係で猫や達磨の凹凸感が出ている。
2017年制作

   高さ390mm×横217mm×奥行183mm  




資料編

小布施の竹風堂が運営する『中野土びな館』所蔵品
招き猫(小?) 招き猫(大)
中野土びな館には2点の古作立ヶ花人形の招き猫が展示されている。
招き猫(小)の型はすでに失われてしまっているが、この招き猫が小である可能性が高い。
招き猫(大)は現在のものと同じような彩色ではあるが
左手は顔や身体に密着している。目は狐目で二重になっている。


古作の立ヶ花招き猫  
招き猫(大)は現在のものとかなり彩色が異なる。
首玉も前垂れがなく簡素である。
招き猫(中)と(小)の首玉(前垂れ)は
豪華で現在のものに通じるところがある。
招き猫(中)は 目が狐目で
二重のように描かれている。
古作中野土人形(1989)によれば
大正頃の  の作。
また中野の土人形(1983)によれば
初代己之作や二代目義量のころは
瓦製造の冬場の内職としていたため、
素焼きまでは近所に下請けに出していたという。
したがってこの招き猫も彩色のみ
西原家でおこなわれていたものかもしれない。
2012年中野ひな市の古作人形展で展示されたもので
小古井氏所蔵品。
大は左手欠損。中は左手が身体についている(上)。
小?(右)のみ右手挙げ。
これは竹風堂所蔵品と同じ型だが前垂れの彩色が異なる。



2015年中野ひな市 「小古井嘉幸コレクション」より  
2015年のひな市に展示されたもの。
 招き猫(小)は目に薄い青の彩色がある。 
 かつて 小古井宅でひな市の期間に
コレクションを公開していたことがあった。
見せていただいた時に
撮影したはずだが画像が見あたらない。
この展示から2012年の古作展示品であった招き猫が小古井氏の所蔵品であることが判明した。  
   
   これもひな市で展示された
作品のはずだが、 
元の画像が見つからない。
左手は完全に顔や身体から分離している。
彩色も現在に近いものである。
小古井所蔵品より
新しい作品と
思われる。
この猫の目も狐目で
二重のように描かれている。
   


2021年(令和3年)ひな市展示の一部  
前年度の2020年はひな市が中止だったので、
その年に向けての前年度の制作品が多いと思われる。
西原さんの展示品にも丑ではなく、
2020年の干支である子の新作が見られる。
(元々、立ヶ花には単独の干支ものはない)
ほぼ定番の毛柄が揃った  
           
2022年(令和4年)ひな市展示の一部  
 
定番化された招き猫の毛並みがわかる 
通常タイプ以外に、黒銀、黄、ハチワレ、ロシアンブルー風、三毛などが定番化されている 
 




西原久美江さんによる復元品  
招き猫(大)の左手が身体や顔に付いたタイプ
どうしても通常の招き猫になってしまう。
やはり立ヶ花の招き猫は
身体から突き出た手が似合う。


参考品  
招き猫(大) 金  
2018−2019年に制作された金色の招き猫。ひな市にはこの年に1体だけ出品された(上)。
おそらくいっしょに制作されたものだろう。


2018−2019年制作のオレンジ色の招き猫。これもひな市では見かけない。(下左)
右は同じ年に制作された三毛 












 参考文献
  招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
  日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
  全国郷土玩具ガイド1(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
  おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
  招き猫博覧会(荒川千尋・板東寛二、2001 白石書店)
  中野の土人形(小古井嘉幸、1983、1994年改訂、日本土人形資料館)
  中野土びな物語(高橋達男、1990 北信ローカル出版センター)
  古作中野土人形(中野土人形写真集編集委員会(小古井嘉幸解説)、1989 中野土人形写真集刊行会)

  THE信州(2008年冬号 vol.124)