垂水人形(平成垂水人形)
種類:土人形
制作地:鹿児島県垂水市
現制作者:中島三郎(夢創庵) (1924(大正13年)− )
垂水人形は文禄・慶長の役のとき、やってきた朝鮮半島の陶工によって制作されたのが薩摩焼と土人形だったといわれている。垂水では元禄(1688〜1704)頃から作られていたといわれている。
江戸期には武士の内職として人形がつくられていたが、やがて農家の冬場の副業となってつくられた。大正初期には20軒の制作者がいた。昭和10年(1935)頃から廃れ昭和40年(1965)ころ廃絶した。 (垂水市HP参考)
なお、垂水人形は明治の初期に佐土原や帖佐にならって渡辺家が作り始めたという説もある。三代目の渡辺操が最後の作り手のようである。
以下、廃絶した垂水人形を「オリジナル垂水人形」と呼ぶことにする。
その後、中島信夫、中島三郎らによる垂水人形研究会によって平成元年(1989)に型おこしからはじめて復活された。型や技術を直接引き継いだわけではないので平成垂水人形と底のシールにはある。
果たしてこの招き猫がオリジナル垂水人形にあったのかはわからない。猫の形はよくあるタイプなので多分どこかの招き猫が元となっているのだろう。口の部分が少しくぼんだ独特の顔をしている。オリジナル垂水人形にこの型があるとすれば、比較的新しいものではないかと思われる。顔つきは今風な顔である。これ以外に常滑タイプの招き猫もある。
胸に福の文字 | 尻尾の彩色は赤い線一本 | ||
この招き猫は1998年に九州を回ったとき鹿児島で購入している。 制作を始めて10年たっていない頃の作品である。 高さ160mm×横75mm×奥行83mm |
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平成垂水人形のシール |
ネット上で探すと『垂水人形 二代目 宮崎愛子(創遊) 鹿児島県鹿児島市』が見つかる。猫が何種類かある。オリジナル垂水人形や平成垂水人形との関連は現在不明である。
参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
全国郷土玩具ガイド4(畑野栄三、1993 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)