金沢張り子(中島めんや)      

金沢張り子
 種類:紙張り子
 制作地:石川県金沢市尾張町
 現制作者:中島めんや(七代目中島祥博)
 
 中島めんや(なかしまめんや)の創業は幕末の文久2年(1862)、初代清吉が村芝居の小道具をつくることに始まる。踊りの面の職人ということから「めんや」の屋号が使われている。明治初年四代目の時に尾張町に移り店を構えた。その後、加賀獅子頭の制作や近代的な加賀人形の基礎を築いた。昭和30年(1955)、昭和35年(1960)、平成4年(1992)と年賀切手図案に採用され郷土玩具として全国に知られるようになった。
 

 招き猫は日本郷土玩具東の部(武井武雄)では金沢張り子を起き上がり(加賀八幡起上り)、うなづき(首振り)、紙抜(面)、雑(それ以外の張り子諸玩)の4種類に分類している。古い文献には招き猫は出てこないので比較的最近のものと考えられる。それに対してうなづきに分類される首振りの猫はかなり歴史があると思われる。金沢張り子の猫といえばこの首振りが登場する。
 招き猫は比較的ほっそりしたつくりで、薄手で軽い。大小共に左手を挙げている。どちらも赤い前垂れで大には松竹梅が描かれている。左手と体の間に穴を開けてひもを通し鈴がつけられている。目は招き猫には珍しく針状の猫目である。最近は丸目のものも制作されている。理由はわからないが黒い斑に黄色と青の縁取りがある。青い縁取りは後述のとおり戦前からあるようである。

 加筆(2023/02/04) 「新たに入手した戦前の小判くわえうなづきものの猫」

 
      なぜか黒い斑に黄色と青のぼかし?
目は針のような猫目 手足は銀色の線で描かれている
     オタマジャクシのような尻尾
  招き猫 小
 高さ119mm×横59mm×奥行56mm

丸目の招き猫も存在する
白猫に斑、黄猫に斑と黒猫がある
当然ながら黒猫には斑なし
裏に中島めんやのシール  

                      
 大型の招き猫も基本的なつくりは小型と同じだが、左手は別に型抜きしているものと思われる。

基本的な作りは小と同じ  前垂れに松竹梅 口のあたりにくぼみがある
   大小共に鈴がついている オタマジャクシの尻尾
   招き猫 大
高さ170mm×横90mm×奥行85mm

招き猫尽くし(荒川千尋・板東寛司)に
掲載されているのは
こちらの大ではないかと思われる
中島めんやのシール  
   眉毛のところに公家の殿上眉(麻呂眉)のような黒点
読めない!

                        
 歴史のある首振りのうなづきものはあまり昔と変わらないようだ。

招き猫と同じ黒い斑に黄色と青の縁取り
鉛のおもりでバランスをとり首を振る やはりオタマジャクシの尻尾
  うなづきものの猫
高さ50mm×横55mm×奥行110mm
たしか大きなサイズも売っていたはずだ。

うなづきものの猫は丸目で針状の猫目のものは記憶にない
中島めんやのシール  

   

 中島めんやの張り子には首振りタイプのうなずきも(うなづきもの)という張り子がある。また小判を咥えた福小判という縁起物もあった。かつてこの両者を一緒にした猫が存在した。「福小判のうなづきものの猫」である。
 しかし実物はほとんど見ることがない。実際に見たのは痴娯の家に展示してあったものだけである。許可を得て撮影したが、当時はまだデジタルカメラも38万画素の時代で、ズーム機能もないのでこの程度の写りである。色がわかる資料として貴重である。文献を探してみると、日本郷土玩具 東の部(武井武雄)に小さな小判くわえの画像がある。また記載だけではあるが、おもちゃ画譜第五集(川崎巨泉)や郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄)にもその存在が記されている。以前中島めんやで特注でつくってもらおうと「福小判の猫のうなづきもの」の話をしたら、「うちにはない」と言われてしまった。どう見ても中島めんや以外でつくられたとは思えない。

 その後、パソコン内の画像を探していたところ翌年の2000年に痴娯の家で撮影したもう少し詳細な画像が出てきた。首玉や耳は赤というよりは朱に近い色である。目の下地は青(水色)、黒い斑の周りのぼかしは灰色とはっきりわかる。中古で買ったCOOLPIX950という200万画素のデジカメであった。わずかの間にデジカメもこれだけ進歩した。しかしまだ128MBのCFカードが5万円近くした時代だった。  (2019年10月20日)

 痴娯の家の画像や日本郷土玩具東の部(武井武雄)では首輪は彩色されているように見える。「巨泉玩具帳」にある画を見ると福小判のうなづきものは小型(四寸位=約120mm)で赤い首輪は彩色されていたようである。小判を咥えていない通常のうなづきものは少し大型(五寸八分=約174mm)でこれは記載にもあるように赤い布が貼られていた。おもちゃ画譜(1979)や巨泉の版画の猫はこの赤い布が貼られているものに当たる。「巨泉玩具帳」の「金沢張り子小判猫」を見ると黒い斑に青い縁取りがあることがわかる。昭和15年入手とあるのでかなり前からこの彩色はあったようだ。またこの画にはすでにオタマジャクシのような尻尾が描かれている。また「金沢張り子首振り猫1」にも詳細に尻尾の形が記されている。しかしなぜか「金沢張り子首振り猫2」には尻尾が描かれていない。理由は不明である。  ※いずれも人形の大きさ(長さ)はこの図鑑では奥行にあたる
 現在の標準的な大きさのうなづきものの猫は福小判のうなづきものから小判を除いたものと同じ大きさのようだ。

痴娯の家所蔵の『福小判うなづきもの』 
右は1999年撮影
下の2枚は2000年撮影
 痴娯の家所蔵 金沢張り子の『福小判うなづきもの』  
日本郷土玩具東の部(武井武雄、1930 地平社書房)に
掲載されている小判くわえのうなづきもの
おもちゃ画譜(1979覆刻 村田書店)
             にある金沢首振り猫
大小サイズがあるようだ
             
 川崎巨泉による版画中の金沢張り子        
  
中島めんやの干支(亥)のうなづきものと小判くわえ(福小判) 


新たに入手した戦前の小判くわえうなづきものの猫
 ネットオークションで入手した。「難あり、全体に状態が悪い」と説明にあった。しかし経験的にこのようなものは一度逃すとなかなか次が出ない。後で後悔するより手元に置こう。
 入手した猫は外見的にはまあまあだ。首を吊す紐が切れているのも事前にわかっていた。問題は金沢張り子は薄手で軽いのが特徴だ。その薄い張った反故紙が虫に食われてボロボロになっている。ほとんど胡粉で形が保たれている状態である。このままでは再び首を吊す強度が足りない。そこで再生計画を立てた。今後の保管のためにも内部を補強しようと思っている。本来なら現状保管がベストだろうが今後のことを考えるとやはり補強しておきたい。何を使ってどのように補強するかは張り子制作者の意見を聞いて作業をしたいと思っている。
 この猫は下にある川崎巨泉の「金沢張り子小判猫」と同じものと思われる。
 なおサイズは再生後に記載する予定だが川崎巨泉「巨泉玩具帳」の小判猫とほぼ同じ。

紙製の黄色い小判を縦に咥える
青い目に黒い瞳の丸目
耳・口と首玉は赤
彩色などは痴娯の家展示品とほぼ同じ

高さ  mm×横  mm×奥行   mm
痴娯の家展示品が灰色のぼかしに黒の斑に対して、
本品は目の色と同じ青のぼかしとなっている
おたまじゃくしのような尻尾も同じ
脚の輪郭や爪は朱で描かれている
底には昭和十一年○○(たぶん十一月)
金澤○○と購入者?の墨書きがある

痴娯の家展示品には表面に光沢がある
川崎巨泉「巨泉玩具帳」にも
ツヤの文字が読みとれる
その光沢の一部が底や本体の所々に残っている
小判は黄色で「小判」の文字
ただし金色だったという痕跡が残っている
痴娯の家展示品には文字がなく、
金色で茣蓙目(ござめ)という横線が入っている




 なお、大阪府立図書館のe-libraryで川崎巨泉の「巨泉玩具帳」にある金沢張り子を見ることができる。
 大きさや色合いなどかなり詳しくわかる。さすが川崎巨泉である。この絵を見ると小判猫に黒い斑のまわりに青を使っていることがわかる。
              金沢張り子首振り猫1   
         金沢張り子首振り猫2   長さ(五寸八分=約174mm)
         金沢張り子小判猫    長さ(四寸位=約120mm)


 インターネット上では次のサイトで情報を得ることができる(2019.10)

      中島めんやHP

      さんち〜工芸と探訪〜 市民に愛される郷土玩具でめぐる旅





参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
おもちゃ画譜第五集(1934 川崎巨泉)おもちゃ画譜(1979覆刻 村田書店)
「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972 私家版)
郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
全国郷土玩具ガイド1(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
招き猫博覧会(荒川千尋・板東寛二、2001 白石書店)