香泉人形(復元品)
種類:土人形
制作地:高知県、滋賀県
現制作者: (廃絶)
初代 | 山本香泉 | 1893−1963 | 明治26年−昭和38年 |
二代 | 山本信子(二代目香泉) | −1991 | −平成3年 |
三代 | 山本貞彦 | −1992 | −平成4年 |
※二代目山本香泉は初代の長女、三代目は二代目の弟
この「裃招き猫」は蒐集家で伊賀土鈴制作者であった篠田正隆さんによる復元品。
高知出身の女流画家山本香泉(初代)は大阪で画家として活動していたが、戦災で焼け出され昭和24年頃郷土に戻り創り始めた郷土人形。土人形から創り始めて張り子なども制作した。1963年(昭和38年)に亡くなったあと、娘の信子が二代目香泉を引き継ぎ制作された。二代目香泉は1972年(昭和47年)に滋賀県の信楽に移り、窯を開き制作を続けた。しかし1991年(平成3年)二代目香泉が亡くなり廃絶した。
資料によっては三代目が記録されているがこれは二代目香泉の弟(兄という情報もある)で、信楽で焼物を焼いていた。二代目香泉はその貞彦の協力を得て信楽に窯を開いて制作したもので、二代目没後その貞彦が三代目として記録されているものと思われる。山本貞彦は二代目香泉が没した翌年に亡くなっているので香泉人形は実質的には二代目で廃絶した模様。この件に関しては未確認部分がある。
なお、山本貞彦は信楽焼の窯元であると同時に古窯の調査も精力的におこなっていた人物のようである。
その後、高知の土佐民芸社で復元されたが、型が博物館に収蔵されたため現在は制作されていないようである。
今回の復元品と土佐民芸社の彩色は多少の違いはあるが大まかなところは類似している。かなり自由な発想で彩色もおこなわれているため、招き猫の彩色もどれが本来の姿なのか知ることは難しい。「招き猫の文化誌」に掲載されている画像は今回の掲載とはまったく異なる彩色がおこなわれている。これは制作者のちがい(初代と二代目)によることも考えられる。
なお、これ以外に篠田さんによって別の型も復元されたが、これは未入手である。
篠田正隆さんによる復元品 | |
左手挙げ | 朱の着物に青い裃 |
わかりづらいが着物には梅柄も入る | 背中に福寿 |
白猫に黒の虎柄 下のNさんの旧所蔵品の彩色を再現しているようである それによれば着物の柄は梅と竹 高さ100mm×横95mm×奥行80mm |
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裃の「福寿」の背景は松 | 着物に梅柄と緑は竹? |
参考資料 いろいろな彩色の裃招き猫 | ||||||||||||||||
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山本信子(二代目香泉)作の猫土鈴 | ||||||||||||||||
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香泉はいろいろな種類の人形を制作している。動物ものや風俗ものなど多岐にわたる。また張り子や高知という土地柄で鯨船なども制作していた。
参考資料 しばてん(香泉作) | |||||
3匹組と6匹組 | 背面 | ||||
しばてん3匹(左) 高さ56mm×横52mm×奥行28mm しばてん6匹(右) 高さ72mm×横67mm×奥行30mm ※しばてん=土佐地方に伝わるかっぱの一種 |
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左は昭和40年の書き込みがある 購入年か? | |||||
招いているようにも見える | 甲羅と頭の皿には水? | ||||
招いているように見える手は皿を押さえているのか? | |||||
闘犬(土佐犬) | |||||
闘犬(土佐犬) 化粧まわしを着けた香泉人形の代表的な作品 平成6年(1994)の年賀切手にもなったがもう廃絶した後だった 切手の説明には高知で制作されていたとあったが、 すでに70年代には信楽の移っていたので 人形の制作地が高知か滋賀かと問題になった 高さ70mm×横70mm×奥行85mm |
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参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
全国郷土玩具ガイド3(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
招き猫博覧会(荒川千尋・板東寛二、2001 白石書店)
招き猫の文化誌(宮崎良子、1988 青弓社)