WEB日記ねこれくと
2008年 3月
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3月31日(月)
決戦の時
 時々みぞれが落ちてくる寒い朝である。抽選なので以前ほどの気合いは入らない。偵察を兼ねて散歩に出かけるともう何人か並んでいる。顔なじみも並んでいる。
 町内を偵察のため巡回する。以前ならもう殺気立ってくる時間帯だが、まだ全体的にはのんびりしたもの。9時になり、商工会議所の会場が開館し、とりあえず商品を見定めに行く。今年から展示もひな壇になり、ロープで近づけないようになっている。その中にいる猫を探してみると、飾り猫の中が1匹、猫守りが1匹、奈良さんの猫は子の2匹だけ。西原さんもほぼ例年通りで招き猫代匹に小(中?)2匹。
 一通り町内を回り、時刻が10時を過ぎたので列に並ぶことにする。もうかなり常連さんが並んでいる。10時半のタイムリミットが近づくとどんどん列は長くなっていく。整理券が配られ始まる。No.128。結局並んだのは600人弱。販売されるのは奈良さんが66点、それに西原さん200点ちょっと加わり、作品総数合計300点弱。ほぼ2倍の競争倍率である。こういったとき単独で並んでいるのは効率が悪い。
 11時に三角くじで抽選が始まるが、結局引いたのは30分くらいしてからだった。無心で引いた結果は4グループの14番。64番目になる。微妙な順番だ。

 販売は午後3時スタートなので、それまでぶらぶらする。いつもいろいろな情報をいただいているNさん一行が西原さんを訪ねるというのでできれば便乗したかったが、残念ながら連絡がつかず流れてしまった。残念!
 さて今年の4グループ14番の成果・・・。これは「ねこれくと」正式版にアップしたいと思います。

 正午からは全国土人形即売会。こちらも人気でみんな殺気立っている。今年の成果は古博多の干支もの2点と清水豆人形3組。ちょっと残念な情報も得てしまった。これも正式版で。

 毎年行っている中野ひな市だが、今回初めて「中町天満宮」の存在を知った。中野土人形の奈良家の屋敷神だったのそうだ。社殿の天井絵は100年の時代の流れをを感じさせない保存状態だった。
       
 さて、今年も一日がかりになってしまったが、再び「ぽんぽこの湯」につかり、東京へひたすら走るのであった。快調にとばし、気がつくと高崎まで一般道を走っていた。帰宅するころには日付が変わっていた。

3月30日(日)
幻日
 気持ちよく晴れている。道の駅で洗面を済ませ、近くを散歩する。。気分がいい。

 昨日の夜に見た駅前通の交流館を見に行く。

 空を見上げると何と幻日が見える。こんなはっきりしたのは初めてだ。携帯電話のカメラしかないのが残念だ。何と上空には虹も見えている。しかも弧のの向きが逆だ。何と言うことだ。
             
 しばらく見ていると、二次はだんだん薄れてきた。それと同時に幻日もだんだん薄れてきた。帰宅してから調べてみるとあの逆向きの二次は環天頂アーク(逆さ虹)と呼ばれる現象だそうだ。
        

 空の輝き:空と太陽に関わる現象(気象光学現象)に詳しい。何だか気象光学現象にはまってしまいそうだ。
 滑川はホタルイカと蜃気楼を地元の売り物にしている。しかし、どちらも季節が限定されている。道の駅のとなりにはホタルイカミュージアムもある。以前ゴールデンウィークあたりがホタルイカ観光の中心となる。まだ時期的には早い。
     
 そのホタルイカが立派なキャラクターになっていた。ところでこのキャラクターは何ていうんだろう。
               

 途中の黒部川で石を2個拾っていく。1個は日本列島の基盤ともいえるヘンマ岩だ。もう一つはグリーンの結晶片岩。

 久しぶりに北陸本線の泊(とまり)に寄ってみる。横浜事件の舞台となった料理旅館「紋左」のあるところだ。紋差は別館も建ちかなり拡張しているようだ。この紋左の向かいに学生時代お世話になった方が住んでいたが、今回行ってみるとあまり生活しているようには見えない。たぶん親族の方も越してしまったのだろう。

 これまたとなりの越中宮崎駅に寄ってみる。通りにあるひすい研磨の店に寄ってみた。ここのおじさんはかなり高齢のはずだ。見せてもらおうとしても素っ気ないが、石の話がわかるとなると俄然目の色が変わってくる。ましてこの近辺の地質のことがわかり、翡翠ハンターでないとわかれば秘密情報さえも聞くことができてしまう。きっと石の話し相手がいないのかもしれない。以前はなかったきれいな「越中○国宮崎海岸翡翠研磨所」とある。ガラス越しにのぞいてみたが、人気があまり感じられなかったので今日は退散。
 国道8号線の旧道を走り境の町へ。バイパスができる前は狭い道をトラックが行き交っていたが、今では小学校前にたった1ヶ所あった信号もなくなり、すっかりのんびりした町中になってしまった。その小学校は30年ほど前に化石調査のベースキャンプになった朝日町立境小学校だ。学制の発布ころの創立で歴史のある小学校だった。しかし残念ながら平成6年に統廃合されてしまった。今は資料館が建っているが残念ながら閉まっていた。
             
 ついでなので、調査をやった大平川(だいらがわ)上流地点を見に行こうとしたが、林道には途中にゲートがあるということで引き返してきた。もう奥で工事はやっていないのだろうか。
 来たついでなので新潟県側の上路にもよってみた。やはり最近は雪が少ないようだ。かつてはゴールデンウィーク明けに除雪して田植えの準備をするだったのに。途中に家具工房ができていた。帰ってから調べてみたら東京にもショールームがあるようだ。
  遅い朝食をたら汁定食でとる。

 北陸本線の市振駅も変わらないが、すでに無人駅となっている。ここから親不知方面はかつて映画の戦国自衛隊でタイムスリップしてやってこない隊員を岡田奈々が待っているシーンを撮影した場所だ。

 
 まず、小布施によっておみやげを買うことにした。目的地の「山屋天平堂」北斎館の営業時間に合わせているので、夕方に行くと閉店してしまっていることが多い。ここの少々高いが「杏くらっせレア」は絶品だ。「杏蜜」もヨーグルトにかけたり希釈して飲み物にしたりするといい。1Lで630円は安い。自分で食べる「杏ぐらっせ」ならはねだしで十分だ。
 久しぶりに「中野土びな館」を訪れる。ちょっと寒かったが栗ソフトクリームを食べる。このぐらいの気温だと溶けなくていい。次は中野の土人形資料館へ。明日は抽選に当たれば寄っていられないかもしれないので今日のうちに見ておくことにする。新しい柄の大型招き猫を発見。心配だ。わが家に来るはずの猫がまさか・・・。


 明日の勝利を願って、本日の夕食は中野「金長食堂」の名物、カツ丼。その後「ぽんぽこの湯」につかり、いつもの町営駐車場で眠りについた。

3月29日(土)
久しぶりの金沢
 深夜快調に高速をとばすが、あまり無理をせず途中で仮眠。朝を迎えてしまう。朝食を食べ、金沢に向かうが、ゆっくりしすぎたため図書館の開館時刻には遠くおよばない時間帯となってしまった。

 運良く石川県立図書館の駐車場に車を入れることができる。さて今回のメイン調査は「越野政吉」だが、昭和28年の金沢市の世帯主一覧をはじめ、いろいろと文献に当たるがついに名前は見つからなかった。まだこの時代なら存命のはずであるが、それとも金沢市在住ではなかったのだろうか。
 大正10年の蓄霊供養に関しても新聞記事がないか、所蔵されていた朝日新聞の石川版と北陸毎日新聞のマイクロフィルムの7月9日前後をあたってみたが、残念ながら見あたらなかった。
 今回は大きな成果がなく終わってしまった。

 広誓寺へ出かける。「アッ、カメラがない」。カメラバックごと自宅に忘れてきてしまった。しかもいつもなら持っているはずのデジカメもいっしょにバックに入れておいたのでこれもない。むなしくフィルムだけあった。しかたがないので今回はすべて携帯電話で撮影することになった。やはりアポなし取材なので今回も空振り。塀越しに畜霊供養塔を撮影する。
  

 「中島めんや」へ行き、干支ものを仕入れる。このあたりもずいぶん再開発が進行中だ。思ったほど干支ものの数が多くなく、残念だった。うなずきものの猫で福小判の存在を再び訪ねる。しかしそのようなものは知らないと言うことだ。たしかにうなずきものは張り子だが、福小判は練り物の加賀人形だ。本来異なるものである。しかし、痴娯の家で見た福小判のうなずきものは張り子に間違いない。今度メールで画像を送り、意見を聞いてみよう。
              
 今回入手の干支張り子2点と干支福小判の3点。

 久しぶりに滑川駅前に行ってみる。メロ君の前のトム君のふるさとだ。駅前の大型ショッピング店の駐車場に市民交流センターができていた。目立つ建物である。
    
 明日は時間もあるので、今日は無理をせず、駅近くの道の駅で一泊することにした。

3月28日(金)
池袋の古本屋へ行く
 本日は休暇をとって休み。モミジの花が咲いている保育園の桜も満開になった。風があったのですでに落ちている花もあるが、まだ花も元気なので花びらから散る心配はない。

 池袋に本を買いに行く。助成金が出るが、月末までに使わないと無効になってしまう。以前から興味があった「東京の坂道」(石川悌二)と「東京の橋」(石川悌二)を古本で購入する。先月買った「川の地図辞典」とともに東京の歴史を知るにはうってつけの本だ。ついでにこれも以前からほしかった「江戸吉原図聚」(三谷一馬)を併せて、2割引で4500円ほどで購入できた。
 また、読む(見る?)本が増えてしまった。
 そういえば、Yahooプレミアム会員のみに公開しているようだが、「昭和レトロ地図」はおもしろい。現在のの地図・航空写真と昭和30年代の地図・航空写真を自由に行き来できるところがいい。昭和30年代の航空写真は23区のかなり広い範囲をカバーしていて、現在の住まいの過去の様子もわかる。残念ながら実家はわずかに外れてしまっているため、地図でしかわからないが、それでもどの家屋かがわかる。少しじっくりと観察してみたいサイトだ。
               
 夕方から雨が落ちてきたが、サクラは影響も受けず元気だ。夜桜がきれいだ。
 今年は中野ひな市へ少し早めに出発して金沢に寄ってみようかと思っている。今晩出発予定。

 出発しました!!

3月27日(木)
金沢橋で花見
出勤途中の石神井川金沢橋で今年も花見をする。五〜六分咲きでもう少しで満開になる。石神井川沿いにはサクラが多く植えられているが特にこの金沢橋近辺は絶景だ。さすがに弘前城のお堀のサクラには負けるが、都内でも有数の景色だ。

 川の水が濁っていたのは惜しい。週末には絶好の花見となるだろう。



 わが家のレンゲツツジも咲き始めた。朝は二輪しか咲いていなかったが、夕方には花の数もかなり増えた。
 隅田川にはまだカモがいた。そろそろ集結して旅立ちの準備をしているようだ。

 となりの保育園の桜も夜桜にちょうどいい咲き頃となってきた。
 さてそろそろ中野のひな市に向けて出発準備をしなくては。
               


3月26日(水)
伊豆高原のコテージに宿泊
 前日から伊豆高原のコテージに同僚と来ている。天気もよく気持ちがいい。平日にもかかわらずけっこう人出は多い。週末になるとどっと人が繰り出すだろう。
 帰りに王子の飛鳥山に寄ってみる。もうかなり咲き始めてはいるがまだ花見には少し早い。すでに席取りや気の早い花見客がいる。

 わが家のとなりのサクラもかなり咲いた。ケヤキもどんどん葉を伸ばしてきた。向こうのマンションが見えなくなるのも時間の問題だ。
             
 疲れて寝込んでしまい、目を覚ますと午後9時を過ぎていた。明日も休暇を出していたが出勤だ。やり残していた仕事に手を付けておこう。

3月25日(火)
川霧
 朝は冷え込んだため、街中に朝霧が発生していた。隅田川の水面からも霧が発生していた。かなり冷たい空気が流れ込んだのだろう。昔に比べ東京の霧は減った。この程度の霧でも最近はなかなかかからない。
             
 夕方から、職場のチームで納めの旅行に出かける。明日は休暇だ。

3月24日(月)
CD2枚届く
 となりの保育園の桜もかなり咲き始めた。今日はグッと冷え込んだが、ひと頃の寒さはない。やはり春は近づいている。明日からはまた暖かさがもどってくるようで、週末は花見にちょうどよくなりそうだ。
           
 ネットオークションで落札した。CDが2枚到着した。未開封の新品だ。どちらも1970年代の音源でかつて聞いたことがある音だ。

 みんな年齢的には団塊の世代前後になる。はっぴいえんどのバックコーラスをしている山下達郎や大貫妙子はまだ二十歳を過ぎたばかりのころだ。

 明日で仕事も一区切り。夕方から伊豆方面へ出かける。出発の準備をするとしよう。

3月23日(日)
多摩張り子を受け取りに行く
 瑞穂まで多摩張り子の会田さんに取り置きしておいてもらった干支ものの招き猫を受け取りに行った。久しぶりの訪問だ。調べてみたら2002年の夏に訪問しているので6年ぶりだ。車で行くとよく通り越してしまうので、狭山神社に車をおかせてもらい、参拝してから出かけることにした。
  
 狭山神社は住所も箱根ヶ崎1番地でこのあたりの核となっているようだ。近くにある狭山池公園まで足を伸ばさなかったが、次はぜひ訪問してみたい。
 これが今年の干支もの招き猫。詳しくは別に訪問記をアップする予定。

 帰りにジョイフルホンダ瑞穂店に寄る。今時めずらしくアドバルーンがたくさん上がっていた。開店一周年記念らしい。会田さんの前の道もこの大型店ができてけっこう車の通りが多くなったとのことだ。


 わが家の(となりの)り)の標準木も開花した。開花宣言!!これから一気に開花が進だろう。
            
 夕方メロ君を実家に預けに行く。10日分の食料や砂を持っていくとけっこう荷物は多くなる。

3月22日(土)
東京開花宣言
 気象庁が東京のソメイヨシノの開花宣言をした。わが家の標準木であるとなりの保育園の桜も一輪咲いた。まだこれでは開花宣言とはいかないだろう。
                
 知らぬ間にハナニラも花の数を増していた。レンゲツツジもつぼみがふくらみ開花が近いことを知らせていた。一日一日春が近づいてくる。

 明日実家にメロ君を預けに行くので、猫砂、ペットフード、ササミを買いに行く。けっこう生活費に占める猫の食費(ニャンゲル係数というのだそうだ)の割合は高い。

3月21日(金)
仕事終わらず
 朝まで雨が残る。いよいよ年度末の仕事も大詰め。今週末までの仕事が終わらない。月曜は忙しくなりそうだ。午後から茶話会を開く。もちろん仕事。
 夜になり祝賀会に出席する。一次会で退散する。

3月20日(木)e
寒い春分
 一日雨。外は10℃に達せず寒いが、室内は今までの暖かさで暖まっているので朝でも17℃ほどあった。 実家の拡張大作戦で第一次軍資金作戦を実行する。       
 となりの保育園の桜もどんどんふくらんでピンク色が少し見えるまでになってきた。気の早いひとつがもう咲きそうになっている。ケヤキも気がつかないうちに芽吹いてきた。

 わが家のカエデも緑が目立ってきた。花もつけているが、雨に濡れて寒そうだ。
            
久しぶりに招き猫の引っ越しの続きをおこなう。

3月19日(水)
卒業
 あちこちで日の丸が立っている。都内の公立中学校では今日が卒業式のところが多い。何かあやしい天気だったがなんとか終わるまではもったようだ。公立小学校は来週のようだ。
 学生が卒業を迎えるのと時を同じくして隅田川のカモもそろそろ渡りの時期ではないだろうか。
            

 我が社のイベントも無事終了する。
 鼻水くしゃみが出るが花粉症だけでなく、風邪もひいているような感じだ。たぶんひいていたのだろう。

3月18日(火)
浚渫船になくなる
 本年度最後と思われるサザンカが一輪咲いた。しばらく隅田川で浚渫をしていた船がいなくなった。平常に戻ったわけだが、今までしばらく見えていたものがなくなると何となく寂しい。  
 午後から明日のイベントの準備をおこなう。このところ暖かい日が続いている。コーデュロイシャツだけで生活できる。だんだん暖かくなってきたのはいいが、ちょっと油断をしていたら花粉症の症状がいつもより激しい。花粉量はきわめて少なかった昨年に比べれば今年はずっと多いが、それでも例年並みにしてはここ何年か経験をしたことがないような症状だ。
              
 職場の白梅もほとんど散ってしまった。
 トロッコ王国から本年度の会費振り込み用紙と優待券が届いた。

3月17日(月)
忙しい1週間の始まり
 本年度の総決算の週がやってきた。通常業務の他に、締め切りあり、イベントありと忙しい1週間になりそうだ。

 「はっぴいえんど/ライヴ!!はっぴいえんど」をネットオークションで購入。山下達郎や大貫妙子がいたあのシュガーベイブがバックコーラスで参加しているライブ盤だ。。昨日は「人生はピエロ」(カメカメ合唱団)を落札した。こちらは元ニッポン放送社長の亀淵昭信が結成した伝説的ユニット"カメカメ合唱団"で泉谷しげるや加藤和彦らも参加しているが、実質的には亀淵昭信一人でやっているらしい、 1973年発売の珍盤だ。最近昔のレアな音源がけっこう多く再発売されている。


3月16日(日)
「鬼子母神の猫ばあば」を買う
 実家の白梅もこの場所で咲くのは今年が見納めとなる。実家拡張大作戦のため、近々移植する。午後から、大作戦の契約に立ち会う。

 わが家のハナニラがやっと一輪咲いた。去年に比べるとかなり遅い。となりの保育園の桜のつぼみはかなりふくらんできた。これは開花までまだ少しある。

 夕方、池袋に頼んであった「鬼子母神の猫ばあば」を取りに行く。この書店の棚に並んでいる本は包装がかかっているため、レジでないと中を見られないのが欠点だ。そのかわり、本の傷みなどがかなり詳しく記してある。

    
 この本に寄せている言葉におもしろい一言がある。「お寺が滅びるというのは、お寺がなくなるというよりも、近所の人たちのものでなくなり、観光地になるということ・・・」。確かにここで言われているように、拝観料を払って境内に入るようでは地元の日常から離れていってしまう。そのような点で鬼子母神は地域の生活の一部にとけ込んでいる。もっともその鬼子母神でさえ、フェンスで閉じられ、時間外は出入りできなくなっていた。夜はおろか、早朝や夕方の散歩はできなくなっていた。境内に団子屋ができていた。はたして200年続いてきた上川口屋はどうなっていくのだろうか。

 近所の運送店のいつもガラス戸の向こうにいるネコ君3匹のうちの1匹が外の水道につながれていた。

3月15日(土)
フッキソウ咲く
             
 今日も暖かい。気がつかないうちにフッキソウは花を咲かせ、クレマチスも緑の葉を出していた。モミジはさらに葉を広げ始めた。

 これからは、ちょっと目を離すと春の訪れを見落としかねない。ハゴロモジャスミンもまだつぼみは固いが、少しずつ開花準備を始めたようだ。
              


3月14日(金)
納め会
 このところの暖かさでモミジが一気に芽を伸ばしてきた。
 年度末の決算で忙しい。夕方から雨が降り出す。適当な日がないのでちょっと早いが池袋で今年度の納め会を行う。やはり時期的に忙しかった。それにしても気温が高い。急いで歩いたら雨にもかかわらず汗をかいてしまった。場所は20年ほど前に勤務していた近辺で、今日の店もよく利用していた懐かしいところだ。
                 

 鬼子母神によってお参りしてこようかと思ったら、夜間は閉鎖して入れなかった(午後5時以降はだめ)。防犯上の問題があるのかもしれないが、散歩ができないのは寂しい。季節によって開放時間は変わるのだろうか。
 明治通り沿いに歩いていくと、途中でおもしろそうな古本屋を見つけた。ここに勤務していたころはなかった本屋だ。地元雑司が谷関係や池袋関係の本も置いてある。美術関係の本も豊富だ。以前買い損なった私家版の写真集「鬼子母神の猫ばあば」はないか探したが残念ながらなかった。こんどゆっくり見てみたい古本屋だ。
 
  
 さらに駅に向かって歩いていくと、招き猫の看板が出ている。マンションの一室をアトリエとしているようだ。看板の花巻の招き猫はまさに看板猫のようで、催し物によって張り紙を換えているようだ。今日は雨が降っているので歩くのをやめて電車で帰ろう。

 帰宅し、写真集「鬼子母神の猫ばあば」をネット検索すると、池袋の古本屋にあった。早速予約を入れる。

3月13日(木)
散りゆく白梅
 いよいよ年度末の追い込みに入ってきた。仕事が間に合わない。
 帰り際見上げると職場の白梅も満開を過ぎ、花びらを散らし始めていた。
           


3月12日(水)
円高ついに99円台
 円が12年ぶりに1ドル100円を切った。
 庭の馬酔木が満開できれいだ。特に夜の照明に照らされた風情がすてきだ。これから春が一気にやってきそうな雰囲気だ。
           


3月11日(火)
ひな市まであと20日
 中野ひな市が近づいてきた。ネット検索すると今年は前日から当日午前にかけて頒布品を展示公開するそうだ。これはいい試みだ。最近何年かは外れたり、見学だけの人は満足に作品も見られず、不評を買っていた。それに対しての対応だろうけれど評価できる。もっとも奈良さんは作品の搬入が間に合うのだろうか。そこが心配だ。今年は余裕を持って前日に作品を見学してみようかな。

3月10日(月)
東京平和の日
 東京大空襲から63年。1990年(平成2年)に制定された「東京平和の日」。もっともこれだけ月日がたつとだんだん戦争の記憶も風化し、世の中が焦臭くなってくる。
 生物学的にはひとつの種(しゅ)が続く期間はそれほど長くなく、次の種に移っていくことが古生物学的にもわかっている。ヒトはそろそろ滅んでもいい時期なのかもしれない。

3月9日(日)
熊谷守一展へ行く
 今日も天気がいい。気温も高くすっかり春の陽気になってきた。
 埼玉近代美術館で開催されている「熊谷守一展」へいく。昨年は熊谷没後30年にあたり全国4ヶ所で開催されていた同展の締めくくりになる。これだけまとまって作品を見られる機会はなかなかない。
   
 車を市営駐車場に入れて美術館へ歩いていく。美術館のある北浦和公園は初めて行くが広々としていて気持ちがいい。
 熊谷守邸(現在は豊島区立熊谷守一美術館)は豊島区千早町にあるので自宅から歩いていける距離にある。まだ存命中だった高校生のころ、高校が近かったのでその近くを何回も歩いている。もちろんそのころ熊谷守一の名前も知らなかったので関心はなかった。でもあのうっそうとした雑木林のような庭はぜひ見ておきたかった。残念である。
 作品を見ていると顔さえも描かれていない裸婦像をみても何も違和感がない。それほど簡略化された中では顔のパーツさえも意味をなさないのかもしれない。でも生き物に関しては簡略化された中にやけに細部にこだわったようなところが見られるのがおもしろい。熊谷の観察力はすばらしい。アリは歩き始めるとき左の真ん中の足から動き始めるのだそうだ。
 熊谷の猫にヒゲはない。体の動きが猫のすべてなのだそうだ。今ある張り子の招き猫にヒゲがあるべきかどうか迷っているが参考になるだろうか。

         
 帰りにミュージアムショップで図録を買う。これもなかなか立派な装丁のカタログだ。私家版の「無形」もほしいがちょっと高かった。

 またメロ君にノートパソコンのキートップを奪われて1つなくなってしまった。

3月8日(土)
ネコがオーナー
 今日は天気がいい。午前中に花粉症の薬をもらいに行く。今月から医院の名称が変わった。5年ほど前に前医院長が亡くなり、その後を娘夫婦が継いで営業していたが、混乱防止のため思い切って名前を変えたのだそうだ。
 庭のヒイラギナンテンの黄色い花が咲き始める。馬酔木も満開となる。ジャスミンやとなりの保育園の桜のつぼみも少しずつ大きくなってきた。そろそろ引っ越しのシーズンになってきたのだろうか。運送業者のトラックが忙しく走り回っている。



 午後から猫の床屋(もちろん人間用の理容室。猫がいっぱいいるので猫の床屋という)へ行く。近所のマンションも完成間近になってきた。
           

 WBC世界フライ級のタイトルマッチがあった。防衛した内藤大助の所属する宮田ジムのオーナーはネコだそうだ。なかなかかっぷくにいい白猫だ。


3月7日(金)
夜明け早くなる
 夜明けが早くなってきたし、気がつくと日の出の場所もずいぶんずれていた。今日もいい天気のようだ。だんだん陽射しも春らしくなってきた。まだ寒くなる日もあるようだが、そろそろ春物の準備もしなくてはならない時期になってきた。
 来週は仕事も年度末のひとつの山を迎える。
 夕方になると天気予報通り空が怪しくなってきて、暗くなり始めるころには雨が強くなってきた。


3月6日(木)
F11復活
 しばらく前にメロ君に喰われてしまったノートパソコンのファンクションキーが復活した。ほとんど使うことがなかったキーだがやはりないと見栄えが悪い。
         
 ネットオークションで落札したフォーククルセダーズのCDが到着した。どこまで真剣にやっているのか、どこまで実験的な試みをしているのか判断が難しい。やはり当時の時代背景も考えていく必要はありそうだ。

3月5日(水)
北とぴあで仕事
 本日は朝から北区の施設「北とぴあ」で仕事。朝方は何となく雲が多く寒い。

 北とぴあ2階の中のホール前に彫刻があった。プレートを見ると「スーザン」(朝倉響子)とある。もしやと思い、帰宅してから調べるとあの猫好きの彫刻家、朝倉文夫の次女でやはり彫刻家の朝倉響子だった。姉は舞台美術家の朝倉摂さん。
     
 昼食を食べ、職場に帰ると白梅が五〜六分咲きになっていた。雲が多かった空はすっかり青空になっていた。

3月4日(火)
豆本届く
 今日も黄砂が舞った一日だった。職場の梅がかなり咲いた。
 頼んでいた緑の笛豆本が到着した。どちらも高さ10cm足らずの小さな本だ。「目呂二哀愁」は内容的には以前に聞いた話が多い。しかし初めて見る写真もある。じっくり読んでいけば、いろいろと発見がありそうだ。
      

 ネットオークションで落札したキーボードも届いた。不在通知が入っていたので夜遅く本局まで出かけていって受け取ってきた。多少のテカリや文字消えはあるが500円ならいいだろう。これで修理ができる。取りに行ったついでに猫用のササミを買う。

 近所のスーパーに買い物に出かけると八百屋のデブ君大がいた。帰りに見るとずっとそこにいたかのようにみごとデブ君小に入れ替わっていた。

3月3日(月)
ひな祭り
 ひな祭りだが何事もなく終わる。黄砂舞う。やや空が黄色くなっている。車には砂が舞い降りていた。
 庭の馬酔木がもう一息で咲きそうだがなかなか咲かない。職場の梅もやっと咲き始める。
              


3月2日(日)
緑の笛豆本を注文する
 緑の笛豆本の「二つの猫長者物語」(アン・ヘリング)と「目呂二哀愁」(山田賢二)を注文する。目呂二に関しては先の名古屋豆本と重複する部分があるのではないかと予想されるが、新事実も期待できる。目呂二に関してはアップデートがストップしてしまっているだけに本の到着を期待した。
 中国で黄砂発生。明日は日本にやって来るという。1週間ほど前から、花粉症の症状が出てきているが、薬を早くから飲み始めているのでたいしたことはない。明日は花粉と黄砂のダブル攻撃となりそうだ。

3月1日(土)
平和島骨董市へ行く
 もう3月に突入してしまった。明日行く予定だった平和島の骨董市へ急きょ行くことにする。しかし、残念ながら今回も成果なし。
        
 植木の剪定をする。少し時期が遅くなってしまったが、モミジを刈り込むカクレミノは昨年強剪定をしたので今年はまったく剪定の必要がない。ついでにムクゲも刈り込む。
      

 庭の馬酔木が今年も開花寸前になる。明日あたり最初の花が咲くだろうか。今年は冷え込んだので遅れ気味だ。やはり去年は暖かかったのだ。調べてみたら2月の中旬にはもう開花していた。2年前も2月の下旬には開花していた。モミジもまだ葉が出そうもない。

               

 カルメンマキの「戦争は知らない」を聴いていたら、フォーク・クルセダーズの元歌を聴きたくなった。ネットオークションを調べると安く出ていたので落札する。780円也。販売当時は紀元2000年はまだ遠い先だったが、今になっては8年も前のこととなってしまった。いままでフォー・クルをじっくり聞いたことがなかったのでちょうどいい機会だ。それにしても40年前か・・・。