ねこの先生 河村目呂二展 谷中編

 昨年の秋に瀬戸の招き猫まつりで「ねこの先生 河村目呂二展」が開催されました。最初に大量の資料を頂いたときやるなら瀬戸しかないだろうなと思っていましたがそれが実現したのでした。一部の好事家をのぞいていわば忘れられていた存在の目呂二でしたが、残された資料が公になり、展示会でそれが発表され、さらに出版物が出ることにより少しずつこれまで関心のなかった方々にも名前が知られるところとなってきました。
 今回の展示は瀬戸の東京版です。なかなか瀬戸まで行けない方も多かったと思いますが、大都会東京なら大勢の方に目呂二を知ってもらうまたとないチャンスです。

 なお今回は許可を得て撮影していますが、出版物と重複する部分もありますので会場の雰囲気を伝える程度にしておきます。


 ギャラリー猫町の今年のオープニングはこの「ねこの先生 河村目呂二展」でスタートしました。初日の1月6日にオープニングパーティーを開催するというので出かけていきました。以前から目呂二の関係者や彩色をした関係者も来られるという話を聞いていましたので楽しみに出かけていきました。
 閉館ぎりぎりの時間になってしまい、展示はもう一度見に来ることにします。
 さてパーティーはギャラリーのオーナーである荒川さんの手料理で始まりました。出席者はギャラリーのオーナー坂東・荒川夫妻、そして目呂二の親族のUさん夫妻、清原ソロさん、スノ子さんの親族の方、絵付けをされた方?の親族の方、目呂二の貴重なコレクションを所有されている豊島区のUさん夫妻。そこに私が加えさせていただきました。

 しばらくすると持ち寄った作品の内覧会。豊島区のUさん夫妻が骨董市で入手したという百猫(完品ではない)は元の紙箱からそれが入っていた木箱まであり、さらにほとんど出したことがないと思われるデッドストック同等品。焼けが全くないため元の彩色の色を確認することができる状態でした。残念ながら目録は1だけがないそうです。これまで何人かの方の所有品でもNo1だけがないことからもしかすると1はなかった(あるいは間に合わなかった)のではないか?との意見に落ち着いてきました。真相は不明ですが。
 また百猫の番号に関してもこれまでのものとズレがあり、やはり書き間違えもあったと思われます。さらに箱に入れるとき入れ間違えもあったようです。そしてもう二品。これもすごい。目呂二のブロンズ猫。一点は共箱に書いてある名前はソロさんの記憶にもあり、当時のいきさつが推測される作品でした。まだまだ骨董屋に目呂二の作品が眠っている可能性があります。
 そして私の持っていった目呂二の写生人形といわれる「日南」。展示資料にあったスクラップの中に三紫会の案内があり、鷲津仲介や眞多呂など三人が中心となり、さらに郷土玩具会の大物や人形の制作販売の吉徳なども関わっており、単に人形の愛好会の制作依頼といったたぐいのものではないように思われます。頒布会資料には目呂二の名も見られ、何をつくったかはわからないが同様の頒布会に向けて制作されたかとが伺えます。
 すっかり長居してしまいましたが当日の会はお開きとなりました。企画展だけでは見られない貴重は品々を見せていただきました。
 肝心の展示はじっくり見ている時間がなかったので後日もう一度の訪問となります。 (2011年1月6日)


再び谷中に行く
 1月8日2回目の見学。空は青空で天気がいい。昼間見る谷中はまた違って見えます。谷中は猫の町、あちこちに猫がいる。いつものコインパーキングに車を駐めて猫町に向かうことにします。

   会期:2011年1月6日〜16日
(終了しました)
会場:谷中・ギャラリー「猫町」
   DM  
谷中は猫が多い 晴天、会場はここを曲がる
この階段の上 ギャラリー猫町 不思議な看板?

 入り口の不思議な看板は三葉虫に恐竜の骨格と岩盤に残った化石風のデザインによく見ると猫の足跡。つついてみるとみると樹脂系の材料でできていてポコポコ音がする。どなたの作品なのか今度聞いてみることにしましょう。

 ギャラリーに入る。
 あの縁福猫(いわゆる芸者招き)が中央に鎮座しています。ファンとしてはぜひ鏡で底が見えるようになっているとよかったな。もっとも一般の観客にはあまり興味がないことかもしれませんが。その他にもジャズ招きやマネーキーなど一連の作品が並んでいます。

一階の展示
だいたいいつもの展示ですね


 2階の展示は正面にさりげなく「目呂二抄」の表紙になっている猫の頭像が置いてあります。この猫はどのようないきさつのものなのだろうか。こわれた像の一部のようにも見えるのですが。
 目呂二人形もさりげなく展示してあります。展示ケースに入っているので、これに関してはいろいろな方向から見られる瀬戸の展示の方が見やすかったです。もっとも展示スペースの関係で仕方がないことなのですが。今回は目玉としてスノ子人形の展示もありました。これも一般の方にはまだまだ感心がないのかもしれません。もう少し作品がたくさん集まってくると企画展示ができるので今後どのような展開になっていくか楽しみです。

目呂二の好きだった猫 目呂二人形とすの子人形
こんな包装紙に包まれていた すの子人形は現存する物が少ない
手前の絵馬は戦後の頒布?
豊島区Uさんのブロンズ猫
   エジプトの猫のように凛々しい姿  

 もう一部屋和室も展示会場になっています。やはり軸は床の間が合います。これまでの展示会場とはひと味もふた味も違う雰囲気を醸し出していました。
 浴衣地でつくった座布団は貴重。ここまで世間に資料が公開される前は普通に使っていたのだそうです。

丸くなって眠る猫   これ額装してあったかな?  この軸は初めてか?
   貴重なスクラップ  自性院の猫
  貴重な座布団。最近までごく普通に
使われていたのだそうだ。
下の文字は「お燐寸火燃よ」

「お待ちかねよ」だが、
上の文字は読めない。
「まあ慰夜○○」

「まあいや○○」

裏側にも別の言葉が2つあり



 
   これは貴重 浴衣地の座布団  

 おみやげは「あいそめや」の復刻手ぬぐいともう1冊予備に「ねこの先生 河村目呂二」。手ぬぐいは額装することにしよう。
 そして資料も頂いてしまいました。

 復刻「あいそめや」手ぬぐい 1977年大垣で開催の河村目呂二遺作展の記念葉書? (3枚組)
   
   好きな「かぼちゃのふた葉がでた蟻の行列がある」

 どうしても猫中心の展示ですと何か新しい発見はないか?と必死に見てしまうのですが古い写真の中に金沢の龍昌寺の猫はないか捜してみました。写真の撮影時期と龍昌寺の頒布時期は年代的にはちょうどぴったりです。はっきり丸金の首玉の招き猫は見つけることができませんでしたが、同じつくりの富山土人形の招き猫は画像の中に見つけることができました。きっと全国に情報網を持っていた目呂二のことですからきっと手元にあったのではないかと想像できます。

 さて秋になるとまた追分で企画展が予定されているようです。猫でなければゆっくり目呂二の別の面を見ることができます。秋を楽しみに待つことにしましょう。
     
谷中散歩
 せっかく昼間に来たのだから谷中を散歩することにしよう。とにかく谷中は猫が多い。猫を見て歩くだけでもおもしろい。さんさき坂にある龍谷寺にいる猫はかわいがられているようだ。グーグルマップのストリートビューにも猫が写っているほど。
 龍谷寺のとなりの永久寺は猫ファンには有名どころ。榎本武揚が仮名垣魯文に贈った山猫夫婦の塚があります。移転させるとき掘ってみたが骨は出てこなかったそうだ。そのとなりは猫々道人(仮名垣魯文)の碑、墓地入り口脇にも猫顔を彫った碑があるのです。猫好きにはたまらないスポットとなっています。

龍谷寺の猫 こちらも龍谷寺のねこ
こちらは永久寺 仮名垣魯文の「山猫めをと塚」
猫々道人記念碑 記念碑の中の子猫 仮名垣魯文の碑
仮名垣魯文の墓

 そして墓地に入るとすぐ板碑をはめ込んだ仮名垣魯文の墓がある。その並びには女医だった妹の墓もあるそうだ。

 すっかり有名になってしまった夕焼けだんだん。今日も撮影隊が取材をしている。庶民の生活の場というよりは観光名所になってしまいました。平日に来ればずいぶん違う街並みを見ることができるのでしょう。

 
  だんだん猫   
 こちらもだんだん猫    
   
  谷中銀座   
 すっかり谷中銀座の顔になってしまった  確か全部で7匹いたはず  


 ちょっと疲れたので喫茶店の「乱歩」で休憩。名物猫のフロアマネージャー良介くんがいました。

 最後は乱歩で休憩    良介くんがいました
   
     アートしてる

 短時間の散歩のはずだったが結構長居してしまいました。
 もうちょっと暖かくなったらゆっくり散歩してみよう。   (2011年1月8日)