加州猫寺第7次調査    2005年3月29日

 2年ぶりの猫寺調査となりました。今回も図書館での調査です。まずは文献検索にかかった「越野政吉」という人物調査です。この人物は大正時代の「畜霊慰霊碑」建立に資金集め等中心になって動いた人物です。この慰霊碑建立に尽力した中興「越野政吉」とはどのような人物なのかが今回の調査の主目的です。
 石川県立図書館のインターネット検索にある「石川県関係人物文献検索」でヒットした「石川百年史」を早速調べてみることにしました。
 しかし、残念ながらこの文献では「越野政吉」がどのような人物なのかはわかりませんでした。なぜ百年史に出ているかというと、当時の衆議院選挙で立候補していないのに得票が入った(別にもう一人やはり立候補していないのに得票が入った人物がいた)のです。そのことから資料に氏名が残ったのでした。これだけなら文献に氏名は残らないのですが、この選挙はこれとは別の理由でやり直し選挙となり結果として「越野政吉」の名前が後世に残ることになったようです。なお、この選挙の当選者は慰霊碑にも名前のある「永井柳太郎」でした。
 これで「越野政吉」につながる情報が切れてしまったのですが、何か情報源はないかと図書館の司書の方と相談をしたところ、「写真集を調べてみたらどうだろうか」とのアドバイスを受けました。今回の写真の情報源となったのはそのような写真集の中の1冊でした。飯尾次郎三郎市長や永井柳太郎議員は政治家なので他にも写真や情報はあるのですが、「越野政吉」は民間人のようですので、なかなか情報を見つけにくいのです。

 この写真集は昭和天皇の御大典を記念して出されたものです。
 昭和天皇の御大典は、昭和3(1928)年11月10日に京都御所で行われました。天皇の即位儀礼には、前天皇の死後ただちに後継者が即位する「践祚」(せんそ)、天皇の即位を国の内外に宣言する「即位式」、新天皇がその年の新穀を神と共に食べる「大嘗祭」(だいじょうさい)の3つの儀礼からなっていますが、大正天皇からは即位式と大嘗祭は、前天皇の喪の明けた年の秋と冬の間に続けて行われることに決められました。このふたつの儀礼をひとつにしたのが「御大典」なのだそうです。
 今回見つけた写真集は『御大典 記念写真  御大典記録写真 奉祝交名大鑑』(共進社1929)です。記録写真集なので大典のあった昭和3年の翌年の出版になっています。価格はありませんので出資者に配布されたものかもしれません。後半は出資した地元の名士たちの顔写真が掲載されている「御賛助名士」になっています。おそらく前半の記録写真部分は共通で後半の賛助名士の部分だけそれぞれの地方で入れ替えたものと思われます。

 この写真集では「越野政吉」の肩書きは「湯乃花白山湯 合名会社白山商館代表社員」とあります。合名会社は現代でもありますが、形態としては古いタイプの法人形態だそうです。またここで使用している社員とは会社を設立・構成する人員ということで使用していると思われ、単なる給料をもらって働く社員という意味ではないようです。慰霊碑の台座にある白山湯本舗主ということからもいくつかの個人事業主が集まって白山商館という合名会社を作り、その代表の一人となっていたものと思われます。おそらく当時の起業家なのでしょう。
 ただ選挙で票が入るというくらいですから、かなりの有名な人だったのかもしれません。

 残念ながら今回はここまでです。台座に氏名のあった飯尾次郎三郎は前市長として北国新聞社の理事長に、永井柳太郎は衆議院議員で北陸毎日新聞社の社長に就いています。なお、永井柳太郎は後に大臣に就いています。


 次回の第8次調査では郷土研究家および広誓寺からの聞き取りを実施しなくてはと思っています。



                    
               越野政吉氏           飯尾次郎三郎氏        永井柳太郎氏
             『御大典 記念写真  御大典記録写真 奉祝交名大鑑』(共進社1929)より 


なお、この写真は関係者の連絡先がわからないため正式に掲載許可を取っていません。出版した金沢にあった『共進社』の関係者をご存じの方はお知らせ願います。