加州猫寺第6次調査    2003年3月29日

 今回は図書館での調査でした。昭和の加州猫寺招き猫がいつ頃のものかを調べるために、当時の新聞記事を捜しました。前回と合わせ、昭和10年4〜5月と10〜11月、昭和11年2〜11月分は全部確認しましたがそれらしい記事は見あたりませんでした。次回は昭和10年の夏の分の確認です。
 今回の調査でいちばんの成果は増泉町(かつての龍昌寺の所在地)に詳しい方がいらっしゃるという情報です。私家版で「金沢市西南部の歴史〜増泉及び西坂台の町々を中心に〜」という本を著されている郷土研究家です。お元気でよく図書館にもみえるということですし、著書の内容から見ても、かなりの資料をお持ちと思われます。まずはコンタクトを取ってみようと思っています。
 参考のために昭和初期と大正(明治時代もあまりかわらない)の地図を手に入れてきました。残念ながら居住者名の入った精細図は昭和30年頃からということなので、あまり詳しくはないのですが、現在の市街地と比較するには役に立ちそうです。
 
 今回の調査でおもしろい話を聞きました。石坂遊郭あたりをかつて「ねこまち」と呼んでいたというのです。果たして猫寺があるので「猫町」なのか、色街だから「寝子町」なのかはわかりませんが、興味ある呼び方です。
 また畜霊慰霊碑の資金集め等中心になって、はたらきかけた「越野政吉」という人物も図書館での検索に引っかかってきましたのでこれも次回の調査の目玉となりそうです。


 次回の第7次調査は先の郷土研究家および広誓寺からの聞き取りと新聞調べになりそうです。

 ※猫寺とは全く関係ないのですが、隣の小松市に猫塚があるというのです。今度行ったときによってみようかと思います。

昭和初期の裏五十人町付近