坊ノ谷土人形の亀次郎翁             2003年3月2日
 私が坊ノ谷を最初に訪問したのは1995年の春ですからもう8年も前になります。そして2回目に訪問したのは1999年8月28日でした。しかしその時はもう作者の亀次郎さんは亡くなられていました。
 最初の訪問の時はとりあえず行ってみようということでいつものようにアポイントなしの突撃訪問でした。住所は調べてあったのですが、やはりわかりづらいので途中で電話をして道順を教えてもらいました。それでも通り過ぎて近くにある国際海洋高校の近くまで行ってしまいました。やっとたどり着くと人形制作はそこではやっていらず、制作は先の高校よりの場所でやっているとのことでした。(それほど離れていない)
 制作所を訪ねていくと、3月でしたがもう桜が咲いていました。中で亀次郎さんが黙々と制作されていました。土人形の職人さんによくある穏やかで言葉少ない方でした。

   
亀次郎さんの作業所
  後ろの煙は素焼きの煙か?
  
棚にある型と素焼きが終わって
彩色を待つ人形

  
  完成した土人形たち
  お元気だったころの亀次郎さん

 2回目の訪問は4年後の1999年8月28日でした。北海道へ行った帰りに帰港地の新潟からぐるっと回り坊ノ谷まで行きました。目的は黒猫の入手でした。直接作業所まで行くと奥様のつねさんが一人で絵付けをしていました。この時初めて亀次郎さんが亡くなられたことを知りました。しかも初七日が過ぎ、絵付けの仕事を始めたばかりだというのです。落胆したようなつねさんの姿に言葉もありませんでした。
 このときは目的の黒猫と予定外だったのですが、いずれ買おうと思っていた高さ60cm程の大型の招き猫も入手してきました。

 坊ノ谷土人形の創始は初代高木弥左エ門によって明治18年とされています。しかしこの焼雛生産も諸般の事情で昭和10年ころいったん廃業してしまいました。しかし40年ほど後に「雪だるまの会」の後押しもあり、先代から技を受け継いでいる三代目亀次郎さんにより復活しました。ご夫婦二人三脚で制作されてきた土人形作者の高木亀次郎さんは明治39年生まれ、奥様のつねさんも明治44年生まれでご高齢ですが精力的に人形づくりに励まれていました。私が譲っていただいた招き猫には「亀翁卆寿」と銘が入っているので90才の時の作です。残念ながら亀次郎さんの作品は入手できなくなってしまいましたが、引き続きつねさんによって制作は続けられているので、今までほど多くの数は望めないもののこれからも制作は続けられていくはずです。またけっこう招き猫も多く見かけるのでお元気で制作されていることと思います。ちなみに私が最近購入したものには「高木つね91才」とありました。いつまでもお元気で坊ノ谷土人形の制作を続けられることを願っています。
 これからの坊ノ谷土人形ですが、部外者から見ればぜひ廃絶しないようにしていただきたいのですが、技の習得に時間もかかりますし、ましてそれだけで生計を立てていくとなるととても採算のとれるものではありません。唯一の望みは作業場にあった亀次郎さんのご子息が小さいころ制作された招き猫かなとも思いました。

  (写真はすべて1995年3月撮影)

 おまけ 招き猫ファンとしては「静岡の郷土人形」(日本雪だるまの会 平成8年)に掲載されている招き猫の型を抱いて写っている亀次郎さんとつねさんの写真が印象的です。