山形張子  

山形張子
 種類:張子
 制作地:山形県山形市
 現制作者:岩城勇二
 住所:山形県山形市木の実町11−10  岩城人形店  

   岩城徳次郎((初代)   −昭和40年(1965))・・・・・岩城久太郎((二代目(大正5年(1916)−  )・・・・・岩城勇二((三代目)   −  )

 山形張子は同じ山形市内で制作されていた渋江人形の系列にある。渋江人形は幕末の安政年間に京都の士、渋江長四郎が京都の嵯峨人形の手法で人形制作を始めたのが始まりで、現当主の渋江和夫は五代目にあたる。しかし渋江人形の制作は先代の彦吉までで、和夫は「人形の渋江」という人形店は開いているが、渋江人形の制作はしていない。
 現在、山形張子を制作している岩城家は渋江長四郎に明治32年に弟子入りした岩城徳次郎を初代とし、現在制作している岩城久太郎は岩城家では二代目の制作者にあたる。渋江家では四代目彦吉が亡くなった後、渋江和夫が五代目を継いだが、和夫は前述のように渋江人形の制作をおこなわなかったため、渋江人形の伝統は岩城家が継ぐことになり、「山形張子」と名を変えてその伝統は引き継がれた。その結果、先代岩城徳次郎が六代目、現制作者の久太郎が七代目となった。現在、岩城久太郎の孫の勇二が弟子入りし、後継者として制作を始めた。
 山形張り子は先代の徳次郎の頃は練り物を中心に制作していたが、張子や土人形も制作していた。久太郎は張子の制作に専念した。
 現在は久太郎の孫の岩城勇二に引き継がれている。


 上は初めて制作された張子
 中はその木型
 左は招き猫の手の木型

山形張子招き猫
横70mm×奥行70mm×高さ105mm
練り物の型をもとに張子としては初めて制作された。
練り物の現物がないために、もとの彩色は不明。
手は別に抜いて膠で貼り付けてある。
起き上がりにはなっていない。


山形張り子幻の招き猫
 平成16年の来る福招き猫まつりも終わったころ、これまでにもいろいろな情報を頂いている岐阜県のNさんから耳寄りな情報が入ってきました。このNさん特に招き猫だけを集めているのではなく、いろいろな郷土玩具やこけしなどにも造詣の深い方です。
 Nさんによれば山形張り子の制作者である岩城久太郎さんのところで招き猫の木型が見つかったというのです。しかも制作者ご本人もこれまで作ったことがないというのです。私も山形張り子の招き猫は聞いたことがありませんし、いろいろな文献を当たっていても見かけたことはありません。4体制作した中の1体を分けていただきました。
 張子は入手しましたが、やはり木型を見たくなります。それに昨年渋江人形の調査のおこない、疑問点を抱えていただけにいつかは伺おうと思っていただけに、まさに待っていたかのようなタイミングです。
 これまで知られていない招き猫だけに、いろいろなところで紹介したいのですが、制作者は高齢でバックオーダーも抱えています。招き猫の存在が公になり、注文をさらに抱えてしまうと迷惑をかけるのではないかと心配し、Nさんに相談をしました。しかし制作者にとっても励みになるのではないかということなので、とにかく取材して情報収集し、ご本人の意向を伺ってみるのがいちばんと考え、コンタクトをとってみました。電話でアポイントメントを取ると年齢を疑ってしまうくらい元気な声です。11月20日に訪問の約束を入れました。お会いするのが楽しみになってきました。

平成16年11月20日、訪問の日・・・
 さて当日は朝一番の山形新幹線で出発し、市内を散歩しながら時間調整を行い、30分ほど早くの訪問となりました。岩城さんの自宅でもあり、制作場でもあるビルは駅からそれほど離れていない木の実町にあり、ビル(シャトレー木の実町)には岩城人形店の文字が掲げてあるのですぐわかります。山形市観光協会のガイドマップにも掲載されています。  
 始めて行くと、1階はダンス用品を販売しているので戸惑ってしまいます。残念ながら人形店といっても山形張子を展示即売しているわけではないのですぐには買えません
 岩城久太郎さんは大正5年生まれの88歳です。全く歳を感じさせないくらいお元気で、記憶力も抜群です。久太郎さんは昭和9年に19歳で父徳治郎に弟子入りし、先代が昭和40年に亡くなった後はひとりで人形制作を続け、すでに70年近くにわたり制作を続けています。山形張子について掲載されたいろいろな記事のコピーを準備していただいたり、古い資料を見せていただいて、多くのお話を伺いました。実に昔のことまで鮮明に記憶されています。
 お話を伺った後、作業場を見せていただきました。「足が悪いので作業場を7階から1階におろされてしまったよ」とニッコリ。そのビルの1階にある一室には木型や制作途中の作品があちこちに並んでいます。さぞ干支作りで忙しいだろうと思っていたら、4羽ほど見本があるだけです。酉の型は学校で張子作りを教えるときに作ったニワトリがあるだけで、大きすぎて家庭に飾るには向かないのだそうです。
 今回見つかった招き猫の木型は先のNさんらが500個程度ある山形張子の木型から別の人形の木型を探していて見つけたそうです。岩城さんによれば招き猫の木型は1つしかなく、張子の木型特有の刃物の傷がないことから練り物のタネ(原型の木型)だろうとのことです。手は別になっており、木型の制作者は徳次郎さんとのことです。木型は少し頭が大きく、ニコッと笑ったような穏やかな顔をしています。久太郎さんは招き猫は手伝った記憶はあるが、自分で制作したことはなく、木型のこともすっかり忘れていたとのことです。制作を手伝ったのは50年ほど前ではなかったかとのことです。50年ほど前といえば昭和20年代から30年代にかけてで山形張子がもっとも売れた時代です。
 さて招き猫ですが、現在、練り物は作っていないので木型に直接、和紙や反故紙を張った張子になっています。手は別に張り、後から膠で接着します。先代は張子や土人形も制作したとのことですが、練り物が中心だったということなので、山形張子としては初めての招き猫になります。しかし、残念ながら練り物の作品が残されていないため、どのような彩色なのかわからないということで、今回の作品は猫だから白だろう、模様はこのような感じではないかと試行錯誤で彩色はしたとのことです。張子のため全体的には木型よりぽっちゃりしたふくよかな感じのする招き猫に仕上がっています。目は伝統の三日月目です。練り物の実物が骨董市などで出てくれば昔と同じように仕上げることができるだけに残念です。奥様の実家にはかなり人形があるようですので、もしかすると実物が残っている可能性があるとのことです。

 話し込んでいるうちに5時間以上たってしまいました。すっかり制作のおじゃまをしてしまいましたが、いろいろ見ているうちに初代渋江長四郎作の七福神と犬筥(いぬばこ)を見つけました。特に犬筥は型は左右(雌雄)そろっているのに、完成品が片方しかなくどのように彩色したものかと考えていたそうです。少しはお役に立てたかなと思っています。

 岩城さんは人形制作だけでなく、海外との交流や地域の産業振興など多方面でご活躍です。「まだまだ現役のドライバーだよ」とおっしゃる元気いっぱいの岩城さんはお孫さんが弟子入りして後継者もでき、ますます制作意欲に燃えています。これからもお元気で制作をされることを願い、そして幻の招き猫をひとりでも多くの方に知っていただきたく、今回、日本招猫倶楽部の会報「福の素」と本HP「ねこれくと」で紹介することにしました。

  
岩城人形店    岩城久太郎さん

 郷土玩具の制作というと田舎の一軒家というイメージがありますが、最近は都会の住宅地の中で制作しているところも多くなりました。むしろ制作地の近所が変わっていったという方が適切かもしれません。この山形張子もまさにその典型かもしれません。あのかわいい張子たちは何年か前に建てられたビルの一室で制作されています。土人形と違い焼く必要がないというのも都会の真ん中で生き残れる理由かもしれません。

  
招き猫と他の木型   彩色中の作品はこのようにして乾燥させます

 山形張り子の木型は全部で500個ほどあるそうですが、ダルマのように数の出るものはいろいろなサイズでしかも複数型があるので、作品の種類としてはもう少し少なくなります。特に制作リストがあるわけではないので、どうしても本に載ったものなどこれまで制作してきた型が中心の制作となってしまいます。そのような理由からまだ張子として制作していない型は多くあるようです。
 下の写真で黒く見える型は貼った和紙をはがしやすくするために塗った油などのためです。招き猫や稲荷狐などは練り物のタネ(素になる型)として使用されただけのようで、傷もほとんどなく、きれいな状態です。

 月山玉兎の木型  彩色中の月山玉兎  黒光りする木型  張子用の和紙

 稲荷狐の木型  作品群  玉乗り兎   人気の鞠猫

 奥さんの実家で漉いた張子用の和紙やかつて入手した反故紙など、張子を制作するための材料はこれからの分も含め、十分にそろえてあるとのこと。

 招き猫ではありませんが、山形張子の猫ものに鞠猫があります。これは昔から代表作のひとつのようで、戦前の山形張子の紹介や料金表にも掲載されています。なかなかかわいい作品です。かつては日本橋東急の正月名物であった郷土玩具即売会で容易に入手できたのですが、今は手に入れるのに時間がかかるようになってしまいました。

初代渋江長四郎作の練り物

  
犬筥(いぬばこ)    七福神

 いろいろ制作途中の作品などを見ているうちに初代渋江長四郎の作品が出てきました。いつ頃の作品かわかりませんが、ひじょうに小さいのに細かい彩色です。犬筥(いぬばこ)の型には岩城徳治郎が弟子入りする前の明治10年代の墨文字が書いてあるので、もしかすると渋江長四郎の型かもしれません。当時は弟子入りし、独立しても型を分けてもらえるわけではなかったようですが、渋江家から伝わったものもあるのかもしれません。
 


 なお、山形張り子は平成11年用の年賀切手に玉乗り兎が採用されて注文が殺到し、これまでに1500羽以上を制作して発送しているようですが、まだ海外も含め今でも注文がきているということです。
 招き猫は型が1つしかないので1体ずつしか張れません。もし制作注文されるときは出来上がりを楽しみに気長に待つのがよいと思います。。

 山形張子の注文・問い合わせ先
        〒990−0044
        山形県山形市木の実町11−10
        岩城人形店  岩城勇二
        電話  023−622−6346
        FAX 023−622−0168


犬の背中の桃について
 昨年渋江さんを訪問し、宿題になっていたことがありました、それは狆の背中の桃の正体です。岩城さんの狆には見事な桃が描かれています。ずばり質問してみましたが、残念ながらその理由はわかりませんでした。昔から描かれているとのことです。もっともその話の中で、山形では今でこそサクランボや最近では洋梨のラ・フランスが有名ですが、かつて山形では果物といえば「モモ」がポピュラーな存在だったのだそうです。もしかするとそのあたりからきているのではないかとのこと。この桃を背中に背負った狆を「桃狆子」(ももちんこ)と言うのだそうです。実はこの桃以外に菊の花を背負った狆もいました。こちらは「菊狆」(きくちん)でこれもなぜ菊なのかわからないそうです。渋江練り物の招き猫の模様も見てもらいましたが、正体はわかりませんでした。
 狆と桃の関係はわかりませんでしたが、ひとつおもしろいものを見つけました。それは先の犬筥(いぬばこ)に描かれている模様です。特に向かって右の狆の模様を注目してください。渋江人形の模様に似ています。松と竹(笹)らしい模様が描かれているので松竹梅の梅かもしれません。それにしては5弁ではありません。左の狆は明らかに3つの点で似ていますが違いがあります。ますます謎が深まってしまいました。

        
     狆の模様は渋江の招き猫の模様と関係があるのだろうか?


    【伝統工芸】山形張子   ユネスコ創造都市やまがた 制作・著作 山形市



参考文献   日本の土人形      俵有作 編著 (昭53 文化出版局)
         全国郷土玩具ガイド1 畑野栄三(平成4 婦女界出版社)
         東北の玩具        仙台鉄道局編纂(昭13 日本旅行協会)
         日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
         JR EAST(ジェイアールイースト)vol.6 no.11 (平成11 株式会社ジェイアール東日本企画)


山形オプション
 山形市といえば有名な山寺が近くにあります。実は岩城さんを訪問した後、山寺へ行ってみるつもりでいたのですが、遅くなり仕事も少し残っていたので仙台で食事をして帰りました。翌日、仕事の目処もつくと、「やっぱりなんだか悔しいな。よし行こう!」と朝10時を過ぎてから山寺に行くことにしました。土日乗り放題のチケットなので旅費は問題ありません。
 仙台経由で山寺の駅に着いたのは午後3時を過ぎていました。もう帰りの時間ですが、それでもまだ奥の院を目指す人はけっこういます。暖かい日が続き紅葉が遅れているのでちょうど色づきもきれいです。あわただしく出発した分、ゆったりした時間の流れでまさにワンポイントのみの贅沢な時間を過ごしました。
 2日間で山形2往復。2日続けて仙台で夕食という贅沢。山形も完全に私の日帰り散歩の場になりました。

      
         奥の院付近から         奥の院の前で