砂原張り子
種類:張り子
制作地:埼玉県越谷市砂原
現制作者:松沢栄一(休止?)
越谷市の砂原ではかつて砂原張り子と呼ばれる張り子が制作されていた。創始は明治末から大正初期である。初代松沢孫左エ門の弟久吉が市内大袋の遠藤家でダルマ制作を覚え、それを孫左エ門が受け継いだのが始まりとされる。その後、孫左エ門はダルマ以外の張り子も創作し、その後の砂原張り子の元を作った。張り子制作は子の平一郎(二代目)、孫の栄一(三代目)へと引き継がれた。三代目栄一は昭和20年代後半に制作を開始したが、そのころ初代と二代目は亡くなり、直接技法を習うことはできなかった。
日本郷土玩具東の部(昭和5年)にはすでに「大戸第六天の起上り」として紹介されている.。なお、ここでは製作者は松澤勇吉と紹介されている。また天狗帖(鈴木 1967)でも勇吉と記載されている。
松沢家は本業が農業であるため、農閑期を使ってダルマやその他の張り子の制作をおこなっていた。だるま市に向けて12月頃からダルマ作りを始め、最後のだるま市が終わった2月頃から農作業が始まる4月頃までダルマ以外の張り子制作がおこわれた。
砂原張り子の中でも特に有名なのは近くの第六天神社(岩槻市)境内で売られていた天狗・烏天狗・狐の起き上がり小法師である。なお招き猫は栄一自身によって型が彫られ制作されたもので、大きさは1種類しかない。
現在、砂原張り子は制作されていないようだが、詳細は不明である。
上の画像は北海道にある神恵内村日本郷土玩具館「童心館」の許可を得て撮影してます。
有錘(土のおもりをつけた)の起き上がりになっています。白猫の左手上げのみです。
埼玉県は招き猫の隠れた宝庫です。ただ現在では制作されていないものが多く、かつての記録もほとんど見かけることがないので早めに詳細を調べておく必要がある地域です。
参考文献
埼玉県立博物館紀要3「埼玉の張り子」(大久根茂 1976)
埼玉県立博物館紀要15「浦和市五関の張り子」(1988)
さいたまの職人 民族工芸実演公開の記録(第1回〜第70回) (埼玉県立民俗文化センター 1991)
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
全国郷土玩具ガイド1(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
「天狗帖」(鈴木常雄、1967 私家版)郷土玩具図説第五巻(鈴木常雄、1985覆刻 村田書店)