古賀人形    

古賀人形
 種類:土人形
 制作地:長崎県
 現制作者:小川亨(18代目)、小川憲一(19代目)
 
 小川家の小川金右衛門は木村藩士であったが浪人の後、天文(1532〜1555)年間に古賀村に来て農業を生業としていた。小川家三代目の小川小三郎の代の時京都の土師師が土器制作の技術を伝えた。農業の傍ら神仏祭祀用の土器を副業として造りはじめた。小三郎は晩年の文禄(1952〜1596)のころ小型の人形を創始して古賀人形が誕生した。人形の種類の中に大猫、中猫、小猫が見られる。三代後の天和(1681〜1684)年間の喜左衛門のころ大型の人形も創られ始めた。作品として招き猫(※1)も見られる。さらに文化・文政(1804〜1830)のころになるとさらに大きな作品も創られるようになった。明治になり一族三家により制作されたが、需要も減り後に制作するのは本家を残すのみとなった。  (日本郷土玩具 西の部(武井武雄))
              ※1 招き猫の創始時期とは合わないので、古賀の招き猫制作はもう少し後の時代であると思われる。

 文献に制作者としての氏名が見られる作者
  小川小太郎 小川セイ

  おもちゃ通信200号に掲載されている古賀人形の座り猫は295番高さ300mm×210mmの前足を立てた座り猫、297番165mm×220mmの香箱座り猫、298番100mm×95mmの香箱座り猫、299番と300番65mm×70mmの香箱座り猫が見られる。
  「鯛車 猫」(鈴木常雄)p.435に掲載されている小川セイ作の座り猫はサイズがわからないが、白猫で彩色はかなり異なると思われる。


 古賀人形の猫三態  
 中央の座り猫はサイスからおもちゃ通信200号の100mm×95mmの香箱座り猫にあたると思われる
                        
古賀人形 招き猫   
他には見られない独特の顔つき 金色の鈴を付ける
 赤い首玉が鮮やか  尻尾はひじょうに長いが彩色はされていない
 
高さ120mm×横56mm×奥行72mm

なぜか古賀の古い型の猫は黒で主である。
下の香箱座りの猫も黒である。
彩色も黒と赤で金色が鈴にのみ使われている。

底は上に向けて湾曲して、穴が空いている  
 なぜか鬼の顔に見える。耳が尖って小さく、下ぶくれ顔だからか? ポイントになる金色の鈴 
   
 古賀人形 座り猫(小猫)  
 ひげは左右に一本 背中の模様が特徴的 
   首玉の結び目はない
 
高さ70mm×横68mm×奥行52mm

おもちゃ通信200号には299番、同じ型の黒猫も見られる。
彩色は黒と赤だけで背中の模様はひじょうに特徴的である。
尻尾は背中の模様と似ているが黒で塗られている。

   
                                    
 古賀人形 座り猫  
香箱座りの座り猫 尻尾に彩色はない
  赤い首玉は結び目がない 

座り猫の古作
高さ114mm×横115mm×奥行95mm
測定の仕方によってサイズは異なってくるので
おもちゃ通信200号の298番、
100mm×95mmの香箱座り猫と同じ型と思われる。

おもちゃ通信200号に掲載されている297番、
高さ165mmの香箱座り猫とは
座り型が異なり、まったく違う型であることがわかる。


底は上に湾曲していて穴はない  
                 
 古賀人形 招き猫  
赤い首たまに金色の鈴 黒い斑に灰色の縁取り 
  尻尾の彩色も斑と同じで珍しい
 高さ約160mm

いつでも買えると思うとなかなか購入しないものである。
この型も手元にはない。

いわゆる常滑タイプの形態の招き猫で比較的新しい型と思われる。
濃いひげに特徴がある。
赤い首たまには魔除けの「雷文」が描かれている。
いかにも大陸に近いこの地を印象づけている。
この型の黒猫は見た記憶がない。


画像は名古屋のNさんによる 
底の形状は他の古賀人形と同じで胡粉塗り


資料  
おもちゃ通信200号より 「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972)郷土玩具図説第七巻より 



 目呂二の百猫の4番36番は古賀人形の猫である。



参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
日本郷土玩具 西の部(武井武雄、1930 地平社書房)
「鯛車 猫」(鈴木常雄、1972 私家版)
郷土玩具図説第七巻(鈴木常雄、1988覆刻 村田書店)
全国郷土玩具ガイド4(畑野栄三、1993 婦女界出版社)
おもちゃ通信200号(平田嘉一、1996 全国郷土玩具友の会近畿支部)
招き猫博覧会(荒川千尋・板東寛二、2001 白石書店)