亀戸人形(亀戸張子)      

亀戸人形(亀戸張子)
 種類:紙張子
 制作地:
 現制作者:実質的に廃絶
     松本米吉・・・竹澤九蔵
     金子豊三
     松崎家(船渡張子)  松崎新吉(先々代昭和12年没)・・・松崎柳之助(先代昭和50年没)・・・松崎久男(休止?)
   


 亀戸天神門前で参拝者を客層に売られていた人形(張子)。創始は不明であるが幕末には国芳の浮世絵「柳島の春景」(万延元年と推定:1860)にも形の似た人形が描かれているということで、そのころすでに亀戸人形は存在していたようである。亀戸では柳の枝に五色の餅や土玉をつけ、張子の鯛やサイコロ、千両箱などをつるした繭玉があった。おそらく亀戸人形はそのような繭玉の装飾品から発生したのかもしれない。やがて繭玉の柳の枝は竹に変わり、張り子もセルロイド製の吊るしものに変わっていった。そのような中で繭玉と同じように柳や竹の枝に吊した亀戸人形が制作販売されていったと思われる。吊るしものが多いのそのような経緯によるのかもしれない。また吊すことによって首や手足のユーモラスな動きが存分なく発揮されたのかもしれない。昭和40年代頃にはまだ竹に吊された張子などが戸板の上に並べて売られていたとのことである。

 亀戸人形は明治時代に亀戸天神門前で松本米吉が制作していたが、明治末には制作を止めた。同じく門前に住んでいた竹澤九蔵がその型を受け継ぎ、亀戸人形の技法を忠実に引き継いだ。旧浅草区田中町に転居後も作品を作り続けて門前で販売した。しかし戦前にはすでに制作されなくなっていた。
 埼玉県越谷市船渡(旧埼玉県南埼玉郡新方村船渡)の松崎家により制作された船渡張子の販路として亀戸天神は大きな卸先であり、販売数のかなりの割合を占めていた。亀戸張子として最後まで残ったのはこの松崎家の船渡張子であった。
 また荒物商をしていた金子豊三は門前に移転後、隣家の亀戸張子にひじょうに興味を持ち、門前で自らも制作販売をおこなった。また器用さもあって新作も制作していたようである。松崎家の船渡張子の委託販売もおこなっていた。


   一部の内容は船渡張子と重複。


        船渡張子を参照

 招き猫に関してはいつ頃から制作されていたかはわからないが、川崎巨泉の記録によればすでに大正時代にはすでに存在していたようである。はたして松本米吉が制作していて竹澤九蔵に型が伝わったかは不明である。

 だれの制作かはわからないが、川崎巨泉による亀戸人形(張子)の色彩画の画像を、「人魚洞文庫データベース」(大阪府立図書館 おおさかeコレクション)で見ることができる。
      

       
       

参考

繭玉
みずきに餅玉を付けた 
北海道の繭玉
 
繭玉
現在のまゆ玉市の縁起物は
枝もプラスチックになってしまった。
(足利市 徳正寺のまゆ玉市)
 
いずれも船渡張子
首振りの虎は全国にあるが、
船渡ではそれ以外の張子でも
首振りになっているものが多く見られる。
この首振り張子は近隣の越谷張子や五関張子などにも見られる。
招き猫と同じように土の台座に載っていることがわかる。
「松茸おかめ」は起き上がりになっている。
亀戸天神    東京の郷土玩具(横山宗一郎)より  
船渡張子の虎にはひげとして
鳥の羽(羽毛)が植えられている。
達磨はサイコロなどといっしょに
繭玉のように吊り下げられて
縁起物となっている。
船渡張子は吊しものになっているものが多い。
  西新井大師   東京の郷土玩具(横山宗一郎)より

        
   
   
   
参考

   大阪eコレクション 人魚洞文庫 巨泉玩具帖     ①亀戸人形の招き猫 
   ②西新井の招き猫
   ③西新井の招き猫

    いずれも大正ころの収集品で船渡製なのか亀戸製なのかは不明である。なお、①と③の背中に渋江人形と同じような桃?の斑点があるのがおもしろい。
    ①の亀戸張子の招き猫は赤い糸(ひも)がついており、吊しものになっているようである。




参考文献
招き猫尽くし (荒川千尋・板東寛司、1999 私家版)
郷土玩具1 紙(牧野玩太郎・福田年行編著、1971 読売新聞社)
日本郷土玩具 東の部(武井武雄、1930 地平社書房)
全国郷土玩具ガイド2(畑野栄三、1992 婦女界出版社)
郷土玩具 職人ばなし(坂本一也・薗部澄、1997 婦女界出版社)
日本の郷土玩具東日本編(坂本一也・薗部澄、1972 毎日新聞社)
東京の郷土玩具(横山宗一郎、1972 芳賀書店)
江戸おもちゃ考(酒井健、1980 創拓社)
郷土玩具展望中巻(有坂興太郎、1941 山雅房)

越谷郷土研究会 第422回史跡巡り「亀戸七福神めぐり」